(1)アワビ生産施設・設備
 ノルテ・カトリック大学構内に設置され1996年度より種苗生産が開始された施設・設備は,海水給排水設備,孵化場施設,屋外飼育水槽からなり,日本国内で一般的にアワビの種苗生産に用いられている様式が大半採用されていた.日本国内あるいはアメリカ合衆国内での長期間の使用実績に基づく導入ではなく,現地指導員の判断のみで導入された熱交換器,砂濾過器,精密濾過器など一部設備の性能は,価格に対応していないことが認められた.砂濾過器については,内部の砂の規格を改善することにより適正化できると判定されたので,現在使用している平均粒径1mmの砂を一部取り除き,平均粒径0.6mm,均等計数1.7以下の砂を厚さ10cm以上積層するよう指示した.このままの使用は汚損動物の混入と珪藻類増殖の不調につながることを指摘した.
(2)種苗生産技術
 アワビが天然に棲息していないチリにおいて日本のエゾアワビをはじめて生産することができたのは,ノルテ大学が,導入した生物を天然環境に逃がさないことを条件にチリ政府から許可を得て,青森県からエゾアワビの成貝を導入したことによる.現地では日本からの施設供与により生産場を完成させ,1996年にエゾアワビの産卵誘発を行って 50万個体規模の1歳貝を飼育していた.排水は全て陸上から土中へ浸透させ,卵や幼生が外海に流出できないようになっていた.飼育に関しては今後に困難をもたらす問題点がいくつかあり,改善に向けた助言を行った.

1 成熟親貝の育成
 産卵に用いる親貝は,屋内と屋外の水槽において飼育されており適正な密度に保たれていたが,付着基盤に使用していた塩化ビニール製の雨樋は軽量で水中での安定性を欠き,わずかの水流でも動いてしまうため生育に悪い影響をもたらしていると判定できた.作業員が古くなった海藻を取り除いて新しい海藻を投与するときに,付着板を上下転倒させてしまい,作業後もそのままにしている状況を全ての水槽で認めたので,雨樋の利用をやめ安定した重い素材と交換し,餌料の投与は,基盤上に新しい海藻を置くだけの処置とし,付着板やアワビに手を触れないよう周知させるよう助言した.作業員は,海藻の交換作業の指示,摂食量の計測の指示に極めて忠実であった.しかし,アワビに対して連続的な震動やストレスを与えてはならないことについて十分な指導を受けていなかった.今後の指導が不可欠である.
 当初に日本から調達したアワビと,現地で採卵して育てたアワビが採卵用の親貝として育成されていたが,殻長5〜7cmの段階で成長の鈍化をきたし,殻の肥厚を認めた.これは前述の不利な飼育条件によってもたらされたものであり,餌料海藻の不適合や遺伝形質によるものではないので,適切な飼育管理により回復できることを説明した.
 天然にエゾアワビの無いチリでの養殖生産では,近親交配による親貝の遺伝形質の単純化が危惧されることを強く指摘した.遺伝学的な推定に基づく警鐘に加えて,水産生物のいくつかの種(ヨーロッパヒラガキ,サケ)で,稚仔の成長速度低下,不稔性の増大が経験的に知られているので,新たな親貝を天然から継続的に調達することが避けられないことを助言した.
2 産卵誘発
 現地では,成熟したアワビの親貝を用いて産卵の人為的誘発を試みた結果,雌雄の生殖素放出のタイミングが一致せず,十分な濃度の精子を卵の放出直後に確保できない事態が生じていた.このため,生殖素の放出を誘発する刺激の開始を雌雄別々に行うことを検討していた.このような事例は,刺激として用いられる紫外線照射海水の効力が不足している場合に多く認められるので,現地の紫外線照射装置の能力と,使用方法について確認した.この結果,産卵水槽に供給する海水だけでなく,親貝の飼育や他の室内飼育に用いる海水全体に対して紫外線を照射していたため,極めて微弱な作用しか期待できないことが明かとなった.この点の改善を指示し,雌雄別の刺激開始は必要がないことを助言した.
3 着底基質上の藻類学的安定性
 アワビの浮遊幼生は,被面子幼生の後期に底棲生活を開始できる条件が整い着底する.この時,幼生はその後の生活をすることとなる基質の表面を選んで付着し変態する.日本の多くの種苗生産施設では,着底に好適な基質として,アワビ稚貝の匍匐粘液を付着させた板が用いられている.現地では,当初に匍匐粘液を採取すべき稚貝が存在していなかったので,青森県の階上にある栽培漁業センターにおいて武田恵二専門家が開発した技術によって良好な結果を得ていた.採苗用の珪藻培養板を淡水処理法することによって幼生の着底と引き続く変態を高率にもたらすこの技術は,稚貝の無い時や,好ましい珪藻の繁殖に乏しい条件下で効果を発揮する優れた方法であるが,採苗板上での珪藻の増殖は不安定となる短所がある.一旦稚貝が得られた後は,稚貝を飼育する間に長期にわたって増殖させたUlvella lensが優占し,同時に匍匐粘液も得られる飼育板を採苗基質として利用する方法がより安定した生残率をもたらすと考えられることを助言した.

(3)養殖生産技術
 エゾアワビの種苗を量産できることがチリで確認されたので,今後の関心はこの種の陸上での養殖生産とその独立採算性の追求へ移っていくものと考えられる.しかし,付加価値の高い殻長9cmまで育成するためには,1)さらに3年間以上の期間を要し,2)極めて大量の餌料を必要とし,3)幾何級数的に増加する水槽面積が必要とし,4)順調な生育を保障できるよう密度調節や餌料の必要量を予測できる管理体系を確立しなければならない.この分野の経験は日本では限られている現状にあり,むしろアメリカ合衆国(カリフォルニア州内)のアワビ養殖会社で経験が積み重ねられていると言えよう.これらの経験は,各国とも民間に委ねられているため,情報を得ることが極めて困難であり,ノルテ・カトリック大学独自の研究が必要となるものと予測される.

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