アワビがいなかった国でのアワビ養殖事情

關 哲夫


はじめに
 地球の反対側に100年前から日本と修好を結んだ細長い国土を持つチリ共和国がある.海藻資源は豊富にあるのにどういうわけかアワビは棲息していないことが知られている.そのチリ共和国から,JICAで実施している第三国研修の講師として出張の依頼があった.アワビの養殖技術の指導とアワビに関する第三国研修の講師が業務である.いつか自分の目でアワビの棲息していない海を見たいと思っていたことが唯一の動機で引き受けることを決め, 11月9日から10日間の日程で訪問する機会を得た.チリ共和国からは,十数年前に日本の商社が,チリ産の肉食性巻き貝(アクキガイ科の腹足類Concholepus concholepas,通称ロコ貝)をチリアワビと名付けて輸入したため,チリ共和国にもアワビが分布しているとの誤解も生んでいる.天然にアワビの棲息していないチリ共和国のアワビ養殖事情を中心に現地での活動について紹介したい.
 訪問したのは,首都サンチャゴの北 500kmに位置するラ・セレナ市と隣町コキンボにあるノルテ・カトリック大学である.前後2日間づつ合計4日間は航空機内となる遠隔の地への10日間の日程は,1.派遣日程(別記)のようにすさまじく圧縮されてしまった.

1.派遣日程
 別記

2.第三国研修講義
 長い飛行の後で11月10日夕刻にようやくラ・セレナに到着し,冷たいビールでもと思ったが,空港まで迎えに来た養殖学科長のイジャーネス教授から, 翌朝9時から90分の講義となっていると知らされ夜半まで講義の準備となってしまった. 講義は「アワビ養殖システムとその生物学的基礎」と題する別記の内容で行った.

3.アワビ生産技術の向上に関する技術指導
 大学に併設されたアワビ生産施設を視察し,生産技術の問題点などについて現地職員への技術指導を行った.概要は別記のとおりである.

4.チリ共和国におけるアワビ養殖の展望
 南米におけるチリの経済水準はアルゼンチンに次いで高く,現在の産業活動も良い状態であると教わった.これは,チリ国民がラテン語圏には珍しく勤勉であることと無関係ではないと思われた.ノルテ・カトリック大学に導入された日本の水産養殖技術は,サケ,マガキ,ホタテガイといずれも輸出外貨を得る産業に結びついていた.大学の研究船にカキ,ホタテガイと銘々し,産業化されていることを誇りとしていたが,アワビと言う名の研究船はまだないと説明する顔に,これからだと書いてあった.
 チリには,アワビは棲息していないが,ラパと呼ばれる殻長12cmとなる大型のカサガイ Fissurella spp.が棲息しており,天然ではこれがアワビと同じ生態学的地位を占めているようである.この貝は食用でありすでに日本へも輸出されて煮貝の原料となっているが,味と価格はアワビに遠く及ばず,この種の増養殖をねらいとする研究は行われていない.チリでは,産業に結びつく養殖学科が大学の重要な部門と位置づけられているが,生態学的研究については当面他国からの情報の学習を当てにしている状況であった.
 アワビの飼育技術は国際的にも日本の方式やアメリカの方式が普及しており,技術的には容易な段階を迎えている.今後の生産活動は独立採算性を目標として進められるものと考えられるが,チリには,極めて安価な土地,低い賃金で勤勉な労働,豊富な海藻など,有利な条件がある.このためもあってか,かつてアメリカのカリフォルニアで民間のアワビ養殖会社を訪れた際に面会したことのあるMicke Shanaider氏が当地へ移住して,自らアワビ養殖場の経営を始めていた.カリフォルニアのアカネアワビ(Haliotis rufescens)を導入し,全く電力を使用しない方式のアワビ養殖場であった.飼育水槽には定期的に小型発動機で汲み上げた海水を,海岸地形を利用して落差によって給水するユニークな設備であった.10年にわたるカリフォルニアでの修行からアワビの体重1kgの生産に12ドル以上の費用をかけられないとの確信を得ていて,技術的な裏付けは確かであった.土地は安価でも取り付け道路など整地には苦労する立地条件であったが,35歳の若さがこの試みに駆り立てたものであろう.大学でのエゾアワビの養殖と,民間のアカネアワビの養殖が同じ町にあって,それぞれ日本とアメリカの異なる技術を応用していることは,今後のチリでの試練に際して計り知れない推進力を生むことであろう.ノルテ大学での養殖の他に,南のプエルト・モントでもエゾアワビの養殖開発が海外漁業協力財団の支援により開始されている.近い将来,本物のチリアワビが日本へ届くことになりそうである.
 現在,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカ連邦など世界のアワビ養殖企業に共通する困難は,安定した餌料の確保にある.数多い企業が開発過程にある段階で,未完成のアワビ用人工餌料製品を各地の養殖施設に宣伝している例が見受けられている.しかし,多くの養殖施設は,1)生産規模がまだ小さいため必要とする餌料は人工餌料会社に魅力ある量に達していない,2)アワビの種類により嗜好性が異なるため,各国のアワビに有効な成分は共通しておらず,研究が必要である,3)投与した直後から分解し始める人工餌料の弱点を補強するため,飼育施設の設置場所,飼育水槽の構造,供給海水の水力学的利用法などとの組み合わせによる使用が必須であるが,養殖施設の規格は千差万別であるため,人工餌料の開発を企てる企業側が人工餌料の形状や品質を統一することができないなどの困難を抱えている実状にある.
 すでに年間3,000万個体の種苗を生産している日本では,3cm以下の稚貝に与える人工餌料が開発され市販されているが,成貝まで育成できる餌料として完成されていない.エゾアワビの陸上養殖を進めている中華人民共和国の大連では,国際的に最も安価な労働条件を有しているが,人工餌料の必要性と,冬季の低水温に悩まされていることが知られている.中国では,配合餌料をペレット化するプラントを日本から導入することを考えており,今後の餌料開発競争は国際的に展開することが予想される.
 チリ共和国ではエゾアワビ養殖に適合する原材料と成分の解明,人工餌料の形状と飼育水槽のデザイン開発,人工餌料の生産プラント製作と生産コストに関する技術的なサポートをそれぞれに関連する分野から得ていくことが必要になると予想される.さらに,この開発の延長線上には,他種のアワビに適用できる人工餌料も含まれると考えられる.

おわりに
 滅多に訪れることのないチリ共和国のわずかな部分を駆け足で通ってきた.コキンボを中心とした訪問地は風光明媚で,快適な気候であった.大使館でいただいた資料によれば,チリは3W(Weather, Women, Wine)の国だそうである.自分の都合で滞在期間を半分に短縮してしまった今回の旅で,私が確認できたのはワインだけであった.日智修好100周年記念の年に,第三国研修最後の講義に参加させていただき,運良く式典への参列と500個限定の記念メダルまでいただいた.この旅を可能にしていただいた皆様と快適な滞在に尽力いただいた関係者に感謝申し上げる.

(資源増殖部 藻類増殖研究室長)
資料
コキンボ市内にあるノルテ・カトリック大学のキャンパス
日智修好100周年記念式典のシンボルとして大学が建立した鳥居
日本の無償援助によって建設された大学のアワビ生産施設
チリで初めて生産されたエゾアワビ稚貝
チリー岩礁域海岸の海藻

Tetsuo Seki

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