”北方亜寒帯に関するシンポジウム”について

武藤清一郎


 第23回東北海区海洋調査技術連絡会が昭和48年12月20日・21日に開かれた(塩釜港湾合同庁舎)。各会員官庁よりの海況調査発表゛昭和47年東北海区の総合海況゛、調査研究発表が行なわれた。引続いて気象庁・海上保安庁・水産庁が昭和45〜47年の3年間行なった ゛北方亜寒帯海域に関する総合研究゛(特調費)の研究成果に基づいて、北方亜寒帯海域に関するシンポジウムが、黒田隆哉(東北水研)・秦克己(気象庁)両氏をコンビナーとして開かれた。そのプログラムはの通りである。
 上記のシンポジウム及び調査研究発表の中から暖水塊に関してまとめて述べる。
  1. 近年の暖水塊の発生
     黒潮前線から分離する暖水塊は4月〜6月が多く、特に5月が著るしい、更に7月〜9月は前者に比して甚だ少ない、又2月〜3月の分離もみられている(木村)。
     近海の黒潮の蛇行の山に当たる144°E付近(37°〜41°N)で分離する例が多い(木村・北野・武藤)。
     更に沖側で分離する場合は145°〜150°Eにわたりかなり北側(40°〜43°N)となっている (北野)。
  2. 暖水塊の構造変化
     黒潮から分離した暖水塊は100m層水温で15°〜20℃を示すが、北に移動するに従って低下しし、40°N付近では10゜〜18℃となり、親潮水域に入ると、急に冷し5°〜10℃となる(木村・北野)。
     又春季黒潮より分離した暖水塊の中央部は水温・塩分の均質層(300〜400m深)を示す(武藤)。 1971年春に分離した暖水塊は二層構造を示し、黒潮を構成する亜熱帯モード水および西部太平洋水に対応すると思われ、暖水塊内の混合作用は主として鉛直方向に行なわれ、漸次的変化する(野口)。            
     冬季を経過すると上・下層の混合は急速に進み、水温・塩分は低下する。又秋季から冬季にかけての海面における蒸発等による冷却は暖水塊の消滅の要素とも考えられる(秦)。
     暖水塊の流量を計算する時、従来は暖水塊の下層の潜流としての親潮の流量は極めて小さいものとして無視していたが、1970年の例について暖水塊の縁辺部および下層の親潮の流量は30〜35%と計算され、かなり大きな値を示す(秦)。
  3. 縁辺部の微細構造
     暖水塊の縁辺部では表面流速の最大値が現われ、略々巾5海里程度の高温・高かん帯とその内側に低温・低かん帯とが存在し、強流帯のモデル(黒潮流軸のモデル)とも考えられる(秦)。
     BTとサーモサリノグラフィーとの組合せによる細密観測では、縁辺部の潮境において2・30mから数十m層の下層より湧昇がみられ、これによって縁辺部に小暖・冷水塊(帯)が並列する(武藤)。
  4. 暖水塊への黒潮の補給
     1970年2月〜1971年4月までの暖水塊の廻転運動のエネルギーの変動をみると、1970年2月から4月にかけて若干の増加を示し、黒潮からの補給があったためと考えられ、以降冬から春にかけての減少は著るしく1971年4月に比し約10%程度に過ぎなかった(秦)。
     1971年春に分離した暖水塊は約半年間金華山沖に停滞したが、7月〜8月にかけて、暖水塊の南縁部を南北にきるように行なった数次の観測によると7月下旬には暖水塊内に34.800/00高塩分水の加入が100〜200m層にみとめられ、水温・短分の等量線の分布からみて黒潮の補給があったと推定された(武藤)。
  5. 持続期間
     暖水塊の持続は数ケ月から1年半を経過するとみられるものもある(木村・北野・秦・武藤)。
     但し2回も冬季を経過した例は得られていない(木村)。
  6. 移動
    暖水塊は分離後数ケ月は殆んど位置を変えないが、次の暖水塊の分離により、北におし上げられ、三陸近海を北上ち、親潮前線付近に停滞する。更に親潮水域に入りこむ場合もある(木村)。  近海(144°E付近)で分離した暖水塊は複雑な移動傾向を示すが、沖合で分離したものは北東方向に移動する傾向を示す。移動速度は約0.5〜1.0海里/日と見つもられる。(北野)
     暖水塊の移動は顕著低気圧の通過により影響される。1970年2月〜1971年10月までの暖水塊は北東にジグザグに約400海里移動し、平均して0.7海里/日となり、水温傾度の急な方向に移動する、又8月中旬から下旬にかけての約1週間に北東に約25海里移動し。3海里/日を示した(秦)。
     1972年秋には台風21号の通過前後で暖水塊の形状が円形からだ円形となり、暖水塊の急激な移動による結果と解釈すると、僅か1日以内に70海里移動したことになる(野口)。
    1) 暖水塊の回転運動の不均一性および、鉛直方向の回転軸の傾き
    2) 暖水塊周辺の東北海区全体の力学的高低
    3) 大気と海洋の相互作用−台風・低気圧を移動の要因とし、その中暖水塊の同心円回転運動がどのように移動に関与するか数値計算の例が報告された(友定)。
  7. 栄養塩・クロロフィルの分布
     暖水塊の栄養塩分布は水温・塩分構造によく対応している。1971年の暖水塊の場合黒潮の補給があった7月前後を境としてNitrate5〜10μg−at./L(200〜500m層)から2〜5μg−at./L(100〜600m層)となった。又1972年の暖水塊ではPhosphate−Pは0.2μg−at./L、Nitrate−Nは4μg−at./Lであり、表層は夏季を経過すると減少を示し、暖水塊下層(300〜600m層)では下層からの混合による増加がみられた。暖水塊の栄養塩の分布は、分離当初は黒潮のそれに相当するが、北への移動、時間の経過とともに暖水塊下層からの混合により、徐々に増加を示す(武藤・荒井)。
     クロロフィルーaの分布は、1972年の例では4月に表層(100m層まで)で0.8μg−at/Lであったが、夏季は略々1/4に減少し、秋李に至りやゝ増加した(武藤・荒井)。
  8. 動物プランクトンの分布
     1972年の例について述べると、黒潮から分離された暖水塊内は主として暖水性のCopepodaで占められているが、夏季に至ると、湿重量は4月の1,000〜2,000rより半分の500〜1,000rとなり、2・3種の入れ替りも見られた。9月には量的には4月程度に増加するが、10月には再び減少し、暖水塊内も周辺水域との混合が認められ、周辺水域との差は明瞭でなくなる。 (小達)。
  9. 暖水塊と漁場分布
     カツオ・マグロ漁場は黒潮北上分派沿いに分布し、サンマ漁場は親潮第1・第2分枝沿いに分布する。これらの漁場は何れも暖水塊に周辺までは分布するが、暖水水塊内に分布することは殆んどない。暖水塊の移動、停滞は漁場分布の要因としても作用する(黒田)。

 各氏の話題提供にかなりの時間がさかれ総合討論は充分な時間がとれなかったが、討論された2・3の諸点について付記する。
1) 1970年の暖水塊の中央部で50m層より湧昇があったと云うこと、又このような現象はいつも暖水塊の中央部にあるかと云う質問に対しては、1970年の2月、4月の観測では認められなかったが、5月頃から暖水塊の中央部は周辺より1〜2℃低く、その後7月、8月、11月では周辺より5〜6℃低くかった。12月にはこの現象はみられず、翌年2月には中心部は周辺より高温となっていた。この中央部の低温化は50m層付近のT・Sと一致するので湧昇したと推定した(秦)。
2) 1972年の暖水塊が1日に70海里移動したと云うこと(野口)に対しては、暖水塊の北西部は流れが小さいので、北西に動くとは考えにくい。やはり北東に動くと考えるのが妥当でないか。観測時間のズレから急激に移動したように見えるのだろう(秦)。

 その他暖水塊が黒潮前線より切離した後、釧路沖に至り消滅するとはっきり云えるかどうか、冬季の観測が欠除しているので、その間の連続性について疑問も出された。又暖水塊の移動の数値計算について討論された。
 特に暖水塊の形成機序についてはまだ不明の点が多いが、構造、移動等については現象的にはかなり整理がすゝんだと考えられる。以上の諸点を生かして今後の調査計画の充分な吟味が必要である。

参考

第1図 昭和49年2月後半の海況
表層
100m深
第2図 昭和49年3月中旬の海況
表層
100m深
第3図 昭和49年3月中旬の動物プランクトンの分布
第4図 昭和49年3月下旬の海況
表層
100m深

Sei-ichirou Mutou

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