南アフリカ共和国といえば,かつてアパルトヘイト(人種隔離政策)を強行していたことで知られているが,1994年,ネルソン・マンデラ氏が大統領に就任した後,アパルトヘイトは事実上消滅した。ケープタウンの繁華街を散策してみると,子供のころ社会科の授業で習ったようなひどい人種差別は見られず,黒人と白人のカップルが仲良く歩いていたり,ツーシーターベンツを運転する黒人がいたりした。町の一角にあるバーでは,有色人種と白人が入り混じってテーブルにつき杯を酌み交わしていた。ケープタウン大学の学生の過半数が有色人種であることを考えても,悪習は撤廃されたかのように思えた。しかし,いまだに黒人と白人の所得格差は大きく,黒人の収入は白人の1/7,黒人の失業率が約30%であるのに対し,白人のそれはわずかに4%である。また,一口に黒人と言っても,異なる部族を起源としたさまざまなグループが存在し,白人社会ではある特定のグループのみを社会的に優遇するような因習があるそうで,この国の人種差別問題は現在でもかなり根深いようだ。
アパルトヘイトの撤廃後,職を求める黒人の人口が都市部に集中し,そのような場所では治安の悪さが目立つようになった。世界でも最悪の治安状態で知られるヨハネスブルグは紛れもなく南アフリカ共和国の1首都である。観光ガイドやインターネットに記されているヨハネスブルグ旅行記では,日中でさえも繁華街を歩いていてビルの隙間に連れ込まれて身ぐるみを剥がされたり,レンタカーを運転していて信号待をしている際にホールドアップに遭ったりと,治安の悪さを誇る体験談は枚挙に暇がない。幸い,我々が滞在したところは同国内でも比較的治安が良いとされるケープタウンである。しかし,油断は禁物である。シンポジウムの講演要旨集の末頁には,以下のような注意事項が掲げられていた。
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決して我々の国では,人通りの少ない場所といえども日中に一人歩きできないほど危険ではない。ケープタウンでさえ安全に関する私の常識は通用しないのだ。実際,この町に到着した日に大学下の通りをぶらついたのだが,二日後まさにその通りで二人の男性の銃殺死体が発見されたそうである。また,ちょっと裕福そうな家屋は,頑丈な壁に囲まれ,セキュリティー会社と契約していることを示す看板を目立つところに掲げている。我々日本人グループはなるべく大学構外に出なくてもすむように大学寮に滞在した。とはいってもシンポジウム期間中,大学構内に缶詰状態というのはあまりにも退屈である。ケープタウンは,南アフリカ共和国の中でも,観光産業に力を入れており,夜間でさえも安心して出歩ける場所がいくつか存在する。そのような場所のひとつにショッピングモールやさまざま娯楽施設が集中したウォーターフロントと呼ばれる場所がある。ここでは警官が頻繁にパトロールしているため,夜間でも安心してぶらつけるのだ。我々は食事や買い物をもっぱらこのウォーターフロントで済ませた。南アフリカに入国してほとんど日本人を見かけなかったのだが,このような場所は例外で多くの日本人観光客を目にすることができた。
シンポジウムが開催されたケープタウン大学は,この町の象徴であるテーブルマウンテンのふもとに位置し,背後には迫力ある山の岩肌が迫り,眼前にはケープ湾に面したダウンタウンの町並みが広がっている。大学のすぐ脇には自然保護区があり,シマウマやバッファローのような草食獣がのんびりと下草を食んでいた。大学構内は手入れの行き届いた英国様式の庭園のようであり,我々の宿泊した大学寮は簡素ではあるが非常に清潔で毎日部屋の掃除がなされていた。ただし,防犯上,入寮する際にはドアロックを解除するための4桁の暗証番号を入力しなければならず,さらに,自分の部屋に入るためには頑丈にできた南京鍵のようなものをはずさなければならない。
シンポジウムでは,市場流通・初期生態・疾病・資源管理・餌料培養・養殖・遺伝学・栄養学・生理学等の各分野で合計87題の研究発表があった。大学や試験研究機関のほか,民間の養殖業者が多く参加していたのが特徴的で,研究発表もアワビ養殖に関するものが多かった。現在,アワビ養殖は中国,台湾,ニュージーランド,オーストラリア,米国,メキシコ,南アフリカなどで行われている。中国,台湾,米国以外では,アワビ養殖はまだ試験的なもの,もしくはサイドビジネス的なものがほとんどで,現在本格化に向けて精力的に試験研究を続けているところが多い。彼ら養殖業者は,アワビの価格が高い日本市場はもちろんのこと,近年民主化が急速に進み巨大なポテンシャルを持つようになった中国市場にも注目している。実際に中国に対する関心の高さを象徴する以下のようなエピソードがあった。シンポジウム期間中に行われたアワビ国際学会の総会で次期開催国(2003年開催予定)を議決したのであるが,以前より立候補していたのはニュージーランドのみであり,次の開催国と目されていた。ところが,総会の直前になって突然中国が立候補を決意し,採決の結果,中国が圧勝したのである。近隣のニュージーランドよりも中国に行ってみたいオーストラリア人(オーストラリアからの出席者は全参加者の約1/4を占める)の票に加え,多くの養殖業者が中国側へ動いたそうである。
私は初期生態分野でポスター発表を行った。エゾアワビでは,成長に伴い主な餌料が付着珪藻から大型海藻に移行することが知られている。今回の発表では,このような食性変化の機構を明らかにすることを目的とし,エゾアワビの成長に伴う歯舌の形態変化について検討した結果を報告した。発表の主旨に関しては前号の東北水研ニュース「表紙の写真の説明」に記してあるので,興味のある方はそちらを参照して下されば幸いである。また,河村氏,ニュージーランドコースロン研究所のRodney Roberts氏と共にアワビの餌料培養に関するワークショップの企画・運営に携わり,アワビ類の初期餌料となる付着珪藻の分離・培養法に関するデモンストレーションを行った。このワークショップはシンポジウム事務局より要請を受けて開催したものである。アワビ類は発育初期の数ヶ月間付着珪藻を主餌料とし,この期間は,天然においては非常に減耗が大きな時期であり,種苗生産現場では餌の管理が最も困難な時期である。付着珪藻はアワビの発育初期の主要な餌料とされてきたが,それらの具体的な餌料価値についてはほとんど明らかにされていなかった。近年,著者らの研究室が中心となって,珪藻の種によりアワビに対する餌料価値が異なることを明らかにし,またそのメカニズムを解明するに至って,この分野の研究は各国の注目の的となった。
シンポジウムの期間中,大学近くのワイナリーでバンケットが開かれた。バンケットでは,アワビ研究の第一人者として長年活躍された浮氏が,一連の業績をたたえられ国際アワビ学会から学会賞を授与された。日本におけるアワビの種苗生産技術は世界でも最先端の水準にあり,氏はその礎となる研究成果を数多く発表されている。現在においても,浮氏の研究成果には世界的にも高い関心が寄せられており,シンポジウム期間中も多くの研究者が氏とコンタクトを取ろうとしていた。
本シンポジウムに参加して,日本のアワビ研究は世界的にも非常に高いレベルにあることを実感した。このことは,アワビの養殖分野に関してだけではなく,天然における生態研究に関してもいえることで,日本ではすでに何年も前に都道府県の水産試験場や国の水産研究所で取り組まれた研究が海外ではようやく緒についたところである。日本語で書かれた論文や事業報告書の中には優れた研究成果がたくさんあるのだが,残念ながらこれらの多くはまだ海外に知れ渡っていないようである。しかし,近年アワビ養殖の実用化を目指した研究が活発化するのに伴い,日本で行われてきたアワビ研究は以前にも増して注目されつつある。日本語で書かれた研究成果を英訳し紹介することで著名になった外国人研究者さえいるのだ。先に次期シンポジウム(2003年)は中国(青島)で開催されることを紹介したが,その次(2006年)の開催国として,他国の強い要望もあったことから日本が立候補している。まだ先の話ではあるが,我国でのシンポジウム開催が優れた研究成果の発信の場となることを願ってやまない。
最後に,シンポジウム参加の機会を与えて下さった皆様に心からお礼を申し上げたい。