【研究情報】

DNAマーカーによるマガキ産地識別の可能性

關野正志・浜口昌巳*1・大越健嗣*2



 農水産物の生産地を偽り販売する産地偽装疑惑がしばしば新聞やテレビで取り上げられ,一つの社会問題になっています。マガキは東北地域における重要な養殖対象貝類の一種ですが,ここ数年,韓国産のマガキが国内産と称して販売され,消費者やマガキ養殖業者に大きな不安を与えています。主要マガキ生産地である宮城県では,流通マガキのトレーサビリティー情報システムを導入し,産地偽装問題に対処していますが,さらに科学的根拠に基づく産地識別手法を確立することが必要です。その手法の一つとして,DNAマーカーを使った個体・集団識別が考えられます。DNA解析技術の発展により,より高精度な系群・集団解析が可能になり,マガキへの応用が望まれています。しかしDNA解析を産地識別に利用するためには,まずDNAマーカーを使って,各地域のマガキが互いに異なる遺伝的特徴を持っているかどうか明らかにする必要があります。
 このような背景のもと,平成14年度から平成16年度まで,農林水産技術会議事務局主催の先端技術を活用した農林水産研究高度化事業の中で,研究課題“近縁魚類等の種判別および漁獲地域判別技術の開発”が進められ,筆者らはマガキの産地識別を目的として,“マイクロサテライトDNAの探索”という課題名で本事業に参画しました。その課題の内容は,マガキのマイクロサテライトDNAマーカーを開発し,これらを使って,日本各地および韓国のマガキ地域集団の遺伝的違いを見出す,というものです。ここではその成果の一部を紹介させて頂きたいと思います。
 
マイクロサテライトDNAとは?
 マイクロサテライトDNAは,ほとんどの動植物のゲノムDNA中に散在する,単位配列(数塩基を単位とする)の反復配列領域のことを言います。例えば,DNAを構成する4種類の塩基のうち,C(シトシン)とA(アデニン)がセットになって何回も繰り返される,CAリピートマイクロサテライトなどがあります。話が前後しますが,本稿では“マーカー”という言葉を使っています。身近な例では,ヒトのABO式血液型も遺伝するマーカーの一つです。血液型を決めるA,B,Oのような遺伝子タイプのことを,マイクロサテライトマーカーではアレルと呼びます。血液型の場合,A,B,Oという遺伝子のタイプ分けは,赤血球の型を決める遺伝子に基づいていますが,マイクロサテライトマーカーの場合のアレルは,単位配列の反復数の違いによりタイプ分けされ(例えば12回繰り返しとか,15回繰り返しとか),そのタイプ数は,一つのマーカーあたり,10や20は普通です。そしてそのようなタイプ数の多さ(変異性が高いと言います)のおかげで,得られる遺伝的情報が多くなり,地域間の遺伝的違いを検出しやすくなります。さらにマイクロサテライトDNAは,ゲノムDNA中のあちこちに存在しています。生物種によって異なりますが,前述のCAリピートマイクロサテライトの場合,ゲノムあたり,103-105カ所に存在すると言われています。さらにCとT(チミン)を単位配列とするCTリピートや,3塩基,4塩基を単位配列とするものもありますので,マイクロサテライトDNAの総数は膨大なものであると予測出来ます。このため,時間と費用の制約を考えなければ,異なるマイクロサテライトDNAをゲノム中からたくさん探し出してきて,マーカーとして使うことが出来ます。そして使うことのできるマーカーが多ければ,得られる情報は多くなりますので,やはり地域間の遺伝的違いを調べる上では有利になります。
 
マガキ集団解析と産地識別の可能性
 現在までに,筆者が開発した7つのマーカーを用い,国内および韓国の計12地域から入手したマガキ集団サンプルの分析を終えました。各マーカー・サンプルのアレル頻度(検出された各アレルの,各サンプル中における出現頻度)を求め,サンプル間で比較したところ,図1のように,Crgi162マーカー(マーカーの名前は,筆者らが命名したものです)において,国産マガキと韓国産マガキ間で大きなアレル頻度の違いが認められました(表紙の電気泳動図参照)。
 この図で,アレルCrgi162222の頻度が,一貫して韓国サンプルで高いのが分かります。特に西日本地域では,このアレルを持つ個体が極めて稀にしかいないと言えます。アレル頻度に基づいてサンプル間の遺伝距離を求め,それらの遺伝的類縁関係を表す樹形図を作りました (図2)。この樹形図から,宮城サンプルは,紀伊半島サンプル群(三重・和歌山)および西日本地域サンプル群(広島・山口・高知・宮崎・長崎)とは離れており,宮城集団と紀伊半島・西日本地域集団では遺伝的特徴が異なるということがわかりました。一方,Crgi162マーカーのアレル頻度組成の違いから予想されるように,この樹形図からも,日本と韓国間では比較的大きな遺伝的な違いがあることがわかりました。
 さて,マイクロサテライトマーカーを使うことにより,特に日本と韓国産マガキの間で遺伝的違いがあることが分かりましたが,それでは,マイクロサテライトマーカーを産地識別のためのツールとして使うことが出来るでしょうか?筆者らは,十分可能性があると考えています。ただし,まだやらなければならない課題が残されています。まず第一点は,今回の結果からは,年級群間でアレル頻度組成に違いがあるかどうかがはっきりしません。マガキのように多産な海洋生物では,海洋環境の機会的変動が,成熟・受精のタイミングのずれや,幼生の発達・生残等に影響を与え,結果として親が残す子供の数に大きな偏りが生じると言われています。これが真であれば,たとえ同一地点でも,異なる年級群は異なる遺伝的特徴を持っているかもしれず,今回明らかになった集団間の遺伝的違いが,別の年級群では消えてしまうということもあり得ます。したがって,年級群を考慮してサンプリング・分析を行い,アレル頻度の変動をモニタリングする必要があります。第二点は,用いた7つのマーカーのうち,日本-韓国間という大きなカテゴリー間で明瞭なアレル頻度組成の違いが検出されたのは1マーカー(Crgi162)だけであり,このようなマーカーを更に蓄積していく必要があると言うことです。前述のように,ゲノムDNA中には,膨大な数のマイクロサテライトDNAが存在しますので,今後Crgi162のような有効なマーカーが見つかる可能性は十分あると思います。このようなマーカーを複数使うことにより,高精度な産地識別,個体レベルの産地識別が可能になると期待しています。
 最後になりましたが,ここで紹介した成果は,宮城県産業経済部の文谷俊雄・武川治人両氏,および宮城県水産研究開発センターの酒井敬一氏のご協力により得られたものです。この場をお借りして深くお礼申し上げます。また前述のように本研究は,農林水産技術会議事務局主催の先端技術を活用した農林水産研究高度化事業からの支援を受けて行ったものです。関係者の方々に感謝の意を表します。
(海区水産業研究部資源培養研究室・水産総合研究センター瀬戸内海区水産研究所*1・石巻専修大学*2