【研究情報】

学会賞受賞の紹介



 2004年度日本海洋学会岡田賞を「西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類の生態に関する研究」で当所混合域海洋環境部特別研究員の杢雅利氏が受賞し,平成15年度日本水産学会論文賞を「Characteristics of the distribution of bacteria, heterotrophic nanoflagellates and ciliates in Hiroshima Bay in summer」で当所海区水産業研究部神山孝史氏が受賞しました。
 ここでは,学会賞を受賞されたお二方の研究成果の概要を紹介します。

日本海洋学会岡田賞 杢 雅利


 この度,「西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類の生態に関する研究」という研究題目で日本海洋学会から岡田賞を頂きました。大学院時代の指導教官である川口弘一先生をはじめ,東京大学海洋研究所の方々,船上での苦楽を共にした大学院生,そして特別研究員として迎え入れて頂いた東北区水産研究所の皆様に心からお礼申し上げます。
 東京大学海洋研究所の川口弘一教授の元に修士課程の大学院生として入学して以来,このハダカイワシ科魚類という深海魚の生態研究を行ってきました。この研究を始めて今年が10年目になります。学部学生の頃は抗生物質の合成研究という海洋学とは全くかけ離れた研究をしておりましたので,大学院に入って初めてこのハダカイワシという生物を目にし,その研究に携わることになりました。当然この研究を始めた当初は,サイエンスとして,何が重要で何がおもしろいのか,今となっては恥ずかしい話ですが,その本当の研究の意義をまだ理解しないまま,まずはこの魚類を種毎に分類する作業から始めました。と同時に,これまでに蓄積された知見から,徐々に自分なりにこの魚類について理解していくことになりました。
 一般的に“ハダカイワシ”と呼ばれますが,この魚類は全世界で約250種,日本周辺海域にはそのうち88種も生息しています。多くの種が中・深層と表層の間で日周鉛直移動を行うのが特徴です。この魚類は外洋生態系において,カイアシ類やオキアミ類など動物プランクトンの捕食者として重要であり,さらに海鳥類,イルカやオットセイなど海産哺乳類,大型のイカ類,そしてタラやサケ・マス,マグロなど大型魚類といった,より高次の大型生物の餌として非常に重要です。また,マイワシやサンマといった水産的に重要な小型浮魚類と同様な餌生物を捕食することによる,餌を巡る浮魚類との競合関係,直接浮魚類のシラスを捕食することによる捕食-被食関係,といった相互関係が推測されています。しかし,このような重要性を述べた研究はたくさんあっても,定性的な物が多く,定量的につかんだ研究は世界的に見ても数が少ないのが現状でした。また,生態系内でのエネルギーの流れ,炭素の循環を解明していく上で,この魚類がどのような一生を送っているのか,つまり,いつどこで生まれ,どのように成長して繁殖し,老いて死に至るかという生活史に関する研究も必要になりますが,生活史の知見というのはさらに少なく,また断片的であるのが現状で,この魚類が外洋生態系の中でどれくらい重要なのかを評価できていないように思われました。私は西部北太平洋に生息するハダカイワシ科魚類の基礎的な生態に関する知見の少なさを認識し,まずは,亜寒帯域から移行域に生息する種を研究材料に選び,非常に基礎的な生態を理解することから始めました。
 まず,1)この魚類の特徴でもある日周鉛直移動のパターンを種毎に把握し,2)どのような餌生物をどれだけ捕食するのかを種レベルで定量的に把握する。そして,3)それぞれの種がどの様な生活を送っているのか,生活史を追っていく。この3つを研究課題とし,それぞれの課題を関連づけることにより,この魚類の生態を深く理解し,外洋生態系での役割と重要性をはっきりさせることを研究目標としました。詳しい研究内容と研究成果については昨年の東北水研ニュース(2003,No.66,p11-13)で紹介させて頂きましたので,ここでは割愛しますが,これらの研究,特に日周鉛直移動や摂餌生態に関する研究は,海洋の物質循環や生物ポンプの理解にも寄与するものですし,生活史の研究から明らかとなりつつあるハダカイワシ科魚類の回遊についての知見は,この魚類がどのように進化してきたのかを理解する上でも重要であると考えています。現在,この3つの研究の柱に加え,本科魚類の個体数の経年変動という課題についてもデータの蓄積を始めています。個体数変動は,何らかの海洋環境の変動が,それぞれの種の生物学的特性に影響し起こったものと考えられますので,この変動の理解には,始めに立てた3つの課題との結びつきが非常に重要となってきます。また,他の生物,特に小型浮魚類との競合や捕食-被食といった相互関係が明らかとなってくれば,地球規模で起こる気候変動によって引き起こされるマイワシなど浮魚類をはじめとする海洋生物の資源変動のメカニズム解明にも寄与するはずですし,私自身,今後この課題に取り組んでいきたいと考えています。
 私の研究全般に言えることですが,このような生態研究には海洋の物理環境の理解,また化学的な手法や考え方が必須ですので,積極的に分野を越えた連携をとり,研究をより“おもしろいもの”にしていきたい,そしてこういった研究によって,このハダカイワシ科魚類の生態系における役割とその重要性が,より明確に浮かび上がって来るものと信じて研究を続けていきたいと思っています。今後とも皆様のご指導よろしくお願い申し上げます。
(混合域海洋環境部高次生産研究室)

日本水産学会論文賞 神山孝史


論文名:Characteristics of the distribution of bacteria, heterotrophic nanoflagellates and ciliates in Hiroshima Bay in summer 〔Fisheries Science 2003, 69(4), 755-766〕
著者:神山孝史, 有馬郷司, 辻野 睦

 受賞論文は,これまで情報が少なかった内湾域漁場での細菌群からそれを餌とする鞭毛虫類や繊毛虫類等の原生動物へのエネルギーの流れについて,神山室長が専門とする動物プランクトン研究で培ってきた研究手法を駆使して明らかにしたもので,新たな情報の提供は勿論のこと,研究の着眼点,調査デザイン,調査結果の解析・考察・表現力等が総合的に評価されたのだと思います。神山室長は現在,マガキ養殖場の生産性にかかわる原生動物等の微小動物プランクトンの役割の解明にあたっており,今後も漁場診断や適正養殖規模の推定等に役立つ成果を出してくれるでしょう。
(海区水産業研究部長 佐古 浩)

受賞論文の要約
 近年の微生物ループ構成生物〔細菌,従属栄養鞭毛虫類(HNF),従属栄養渦鞭毛藻,繊毛虫類〕の役割に関する研究で,多くの海域で細菌からのエネルギーの流れが重要であることが指摘されてきた。広島湾は,植物プランクトンや細菌等が豊富で生産性が高い海域であり,プランクトンフィーダーであるマガキやカタクチイワシの生産量が多い海域である。この関係から,微生物を含めた食物網は湾内の生物生産機構に大きな役割を果たしていると考えられるが,微生物ループの構成生物を湾全体で包括的に調べた知見はない。本研究は,広島湾における低次レベルでの食物網構造を解明するために,夏季の湾内の環境と細菌,その捕食者となるHNFおよびそれらの消費者となる繊毛虫類の水平的,鉛直的な分布特性を調べた。
 広島湾は南に開く閉鎖性の強い湾であり,最北部に大型河川が流入するため,概ね南北の環境傾斜が存在する。夏季に(1996年6月13〜15日と8月20〜22日,1997年7月1〜3日),湾奥から湾口に向けて6点の調査点を設定し,各点の環境項目(水温,塩分,溶存酸素濃度,栄養塩類濃度,全画分と<20μm画分クロロフィルa濃度)の水平的,鉛直的な分布を調べた。また,湾奥,湾中央,湾口の代表点を設け,主たる微生物ループ構成生物として,細菌,HNF,繊毛虫類の出現密度と体サイズから推定した炭素換算バイオマスの鉛直的な分布を把握し,海域間で比較した。繊毛虫類については有鐘繊毛虫類と無殻繊毛虫類に分け,後者は蛍光顕微鏡下で葉緑体の有無によって混合栄養群と従属栄養群に分けて調べた。
 3回の調査結果から夏季の広島湾は湾奥から湾中央にかけて水温,塩分の成層化が起きるが,栄養塩濃度とクロロフィルa濃度は湾奥で高いものの湾中央では低くなり,北部から流れ込む河川水中の栄養塩類は湾奥の植物プランクトンによって急速に吸収されると解釈された。また,湾奥でのクロロフィルa濃度はほとんどの時期に<20μm画分が卓越し,夏季にこの海域では小型の植物プランクトンが卓越すると考えられた。一方,細菌,HNFの出現密度とバイオマスは概ね湾奥で高くなった。繊毛虫類の出現密度,バイオマスも概ね湾奥の表層付近で高く,一時期を除くとその多くは無殻繊毛虫類,特に混合栄養タイプで占められた。
 繊毛虫類とその餌料と想定される生物群(細菌+HNF+<20μmクロロフィルa)のバイオマスバランスを解析するため,両者の炭素換算バイオマスをXY軸にプロットした(図1)。その結果,無殻繊毛虫類については,海域ごとに有意な正の相関関係が認められ,湾奥での回帰直線の傾き(餌料生物に対する繊毛虫類のバイオマス比)が最も低くなった。また,湾奥での回帰直線のX切片の値(繊毛虫類バイオマスが0となるときの餌料生物量)は他の2海域よりも有意に高くなり,無殻繊毛虫類の餌料とならない餌料生物が他の海域よりも多いと解釈された。以上の結果から,湾奥での高い栄養塩濃度は微生物を含めた一次生産生物を増加させ,それは無殻繊毛虫類の豊富な生物量を支えていると思われるが,その生物間エネルギー伝達効率は他の海域よりも低いと推察された。
 バイオマスバランスは各生物の生産と消費の結果で起こる見かけの関係であり,現実のエネルギー伝達効率を考察するには,各生物の生産速度と消費速度を実測する必要がある。しかし,その関係が定常状態とみなせる場合には,餌料とその消費者のバイオマスバランスの解析はプランクトン食物網のエネルギーの伝達効率を評価するための1つの手法となるかも知れない。

(海区水産業研究部海区産業研究室)