波打ち際にすむアミ

高橋一生

 砂浜は我々が海に接する上で最も身近な存在であると言っていいだろう。夏の海水浴は言うに及ばず、私たちの誰もが、その水際に素足を浸したり、波と追いかけっこをしたりした経験をもっているはずだ。おそらく私たちの海に親しんだ思い出の多くが「砂浜」や「波打ち際」で刻まれたものにちがいない。しかし、これほどに身近な存在でありながら、そこにいる「生物」に関して強い印象を抱いている方はあまりいないのではないだろうか。実際、砂浜域、とくに波が打ち寄せる砕波帯*1は干潟や岩礁域等に比べて目立った生物相が乏しいのは確かである。これは砂浜域砕波帯が常に波浪によって攪乱され、一方でこの波浪に抗するための強固な付着基質を欠いていることに起因しているのだが、実は注意深く観察すると、この環境に巧みに適応した様々な生物がそこに生息し、この領域に特有の生物相を形作っているのである。とりわけアミ類は東北地方太平洋岸の砕波帯生態系における鍵種として挙げられる。

 アミ類は通常体長が1〜2cm程度の甲殻類である。その外見はエビ類や釣り餌として使われるオキアミ類とよく似ているが分類学上は異なるグループに属している。原則として海産だが一部の種は海跡湖にも生息する。我が国では霞ヶ浦等で漁獲され佃煮として賞味されているイサザアミなどがこれにあたる。これらアミ類のうち我が国の砂浜域波打ち際に出現するのはアルケオミシス属の仲間で、東北地方太平洋岸の波打ち際には主としてコクボフクロアミArchaeomysis kokuboiが分布している(図1)。このアミは、波が砂浜をはい上がってくると砂から泳ぎだし波が引くと再び砂に潜るという行動を繰り返し行うことによって、波打ち際にとどまっている。この性質を利用して、東北地方の釣り人は寄せ波に網をすくい入れてアミを捕まえクロダイやウミタナゴ釣りの餌として用いる。地元では「いさだ」と呼ばれ、釣具屋にも専用の捕獲網が売られているのでご存じの方もいるだろう。青森県下北半島南部では同様の方法で漁獲対象となっていたという話しも聞いたことがある。私も昨春塩竃に赴任して早速捕獲網を購入し採集に出かけた。いい場所に当たればおもしろいほど良くとれる。波打ち際に濃密に分布している本種の習性をうまく利用した方法で、考案した先人の知恵には敬服するばかりである。

 波打ち際にたくさんのコクボフクロアミが分布しているのは疑いようがない。だが本当にこの場所を好んで分布しているのだろうか。沖にはもっとたくさんいて、その一部が波によって受動的に寄せ集められているだけではないのか。我々の眼から見ても決して居心地がよさそうには見えない砕波帯。そこに体長1cm程度の小動物が棲みついている事実を耳にすれば、だれもがそんな疑問を抱くに違いない。当然のことながら彼らとて漫然とただそこにいるわけではない。本種の分布様式がそれを如実に示している。コクボフクロアミは成長段階や性別ごとに岸に沿った実にきれいな帯状分布を示す。最も岸寄りには成熟雌、とりわけ保育嚢内*2に卵または胚を持った雌が集中して分布している。さらにこれよりやや沖側に成熟雄や未成熟個体が、そして最も沖側に保育嚢から生み出されて間もない幼体が分布している(図2上)。それより沖に行くとある地点を境に全く出現しなくなる。コクボフクロアミの分布は岸から沖に向かう流れが卓越する領域に限られているのだ。おそらくはその領域内で各個体サイズに見合った生息場所(流れの強さ)を選択した結果が帯状分布という形で現れるのだろう。自明のことだが海底付近の流れはいつも一定ではない。海況は冬から春にかけては時化が多く、夏から秋にかけては比較的穏やかな日が続く。コクボフクロアミの分布もこれに対応し冬から春には沖方向に分布範囲が伸張し、夏から秋には岸方向に収縮する。潮汐の変化にも対応する。個体群全体が潮汐による汀線の移動に追随し、満潮時には岸方向に、干潮時には沖方向に移動するのだ。上述した種内の帯状分布は潮汐移動時も保たれる。ただし潮が下げているときのほうが汀線近くに分布が集中する傾向があるから「いさだ」獲りの際は下げ潮時、とくに干潮の直前を選ぶと効率がいいだろう。本題に戻るが、要するにコクボフクロアミは各個体に最も好適な分布域を海況や潮汐の変化に合わせて選択しているわけで、これは各個体が可能な限り汀線に近い場所に留まろうとする行動に他ならない。そうコクボフクロアミは極めて能動的に波打ち際に固執しているのだ。なぜか。

 物理的に不安定な波打ち際に留まるためには、相応のエネルギーが要求される。コクボフクロアミの繁栄をみると、ある程度の代償を払っても波打ち際にはそれに十分に見合った利益があると考えるのが自然だろう。利益としてまず餌供給が挙げられる。コクボフクロアミはカイアシ類や渦鞭毛藻といった水中に漂うプランクトンを主な餌としている。これらのプランクトンは打ち寄せる波によって絶え間なく波打ち際に運び込まれ、それをコクボフクロアミは波打ち際で待ち受けて捕らえるのだ。回転ずしのようにイスに座っていると向こうから食べ物が次々に運び込まれてくる状況を想像して頂くといい。コクボフクロアミが餌供給の面でいかに恵まれているかがわかるだろう。

 さて、この文字通りおいしい環境に生息しているコクボフクロアミだが、食事時間は夜間に限定されている。昼間は全く餌を食べないのだ。実はコクボフクロアミは餌を摂る際に少なからず海底から離れなければならないのだが(図2下)、昼間はそれが許されない理由がある。捕食者である。沿岸域の多くの魚類は視覚によって餌を知覚し捕獲する。特に動くものには敏感で餌を求めて水中に泳ぎ出た小動物などはたちどころに食べられてしまう。コクボフクロアミは交尾や脱皮なども夜間にしか行わない。発見されやすい昼間は出来るだけ海底から離れないのが身を守る上での原則らしい。ただひとつ潮汐移動という例外を除いては。

 いくら強力な捕食者といえども波打ち際に近づくことは簡単なことではない。流れに逆らって泳ぐだけの遊泳力をもたない小型の魚類は岸に打ち上げられてしまうだろうし、流れに逆らうだけの遊泳力を持った大型の魚類にとって波打ち際は浅すぎて侵入できない。コクボフクロアミの汀線への追随は、魚類捕食者から逃れるという点で効果的なのだ。実際に昼間、波打ち際近傍で採集した魚類に食べられているコクボフクロアミを調べると(食べられている個体自体少ないのだが)幼体、未成熟個体ばかりが食べられており、成熟雌などは殆ど食べられていない。つまり沖側にいる個体ほど食べられやすく、岸側にいる個体ほど安全なのだ。魚類捕食者からの逃避。これが、コクボフクロアミが波打ち際に固執するもう一つの理由だろう。

 これほど「食べられない」ことに関して努力しているコクボフクロアミだが全く魚類に食べられないかというと、必ずしもそうではない。大槌湾ではヒラメ、カタクチイワシ、クロソイ、オキタナゴなどの幼若魚やヒラツメガニ、エビジャコ等の大型甲殻類が本種を活発に捕食している。ただしこれらの捕食のほとんどは夕刻から夜間にかけてのものだ(図3)。コクボフクロアミも摂餌、交尾、脱皮などの生物活動のためには、一日中海底にとどまるわけにはいかない。日没となれば、それを待ちかねたように海底を離れ水中に泳ぎ出す。まだわずかではあるが明かりが残っているこの時間帯が捕食者にとっては狙い目となる。もちろんコクボフクロアミにとっては昼間に海底を離れるより捕食される確率は低いはずで、活動できる時間帯が限られていることを考えればいたしかたないところだろう。

 このようなコクボフクロアミの生態を眺めてくるとこの生物の生態系内での役割が浮き彫りになってくる。波打ち際には沖から波によってプランクトンや有機物が絶えず運び込まれてくる。これらの多くは小さすぎて魚類や大型甲殻類の餌としては不適であるが、コクボフクロアミの餌としては最適な大きさだ。コクボフクロアミは豊富な餌料供給によって繁栄し、その一部は魚類などに捕食される。空からやってきたシギ、チドリ、カモメ、カモ類などの鳥類にも食べられることもある。つまりコクボフクロアミは海岸の生態系のなかで水中のプランクトンと大きな肉食の動物との間を取り次ぐ重要な位置を占めているのだ。またコクボフクロアミを捕食する魚類や甲殻類の多くが、成長に伴って沖合表層、外洋砂浜域、岩礁域、藻場など他の生態系に生息環境を移すことから、様々な沿岸生態系を繋ぐ役目を担っていると言い換えることもできよう。

 砂浜海岸は、わが国において現在最も急速に失われつつある沿岸環境のひとつである。その原因は埋め立て、海砂の採取、ダム建設など様々だ。一方で砂浜のもつ防災機能やアメニティ空間としての重要性も認識されつつあり人工砂浜域の造成も盛んに行われているが、生物を含めた砂浜の機能をこれに求めるのは難しいのが現状のようである。技術的な問題がその原因の最たるものだと思われるが、そこにたくさんの生物が生息し、沿岸生態系の欠かせない一部分を形作っているという認識が希薄であることも一端にあるように思う。これは砂浜消失が進行している原因でもあるだろう。この点では私たち研究者はこれまでの努力が足らなかったという批判を避けられないだろうし、これからの時代に向けて大きな責任を負っていることを忘れてはならない。

 一見何もいないように見える波打ち際、そこにさっと網をすくい入れると透明なコクボフクロアミがぴちぴちと踊る、そんな砂浜をいつまでも残したいものだ。

(混合域海洋環境部 生物環境研究室)
参考文献

Takahashi, K & K. Kawaguchi (1995) Inter- and intraspecific zonation in three species of sand-burrowing mysids, Archaeomysis kokuboi, A. grebnitzkii, and Iiella ohshimai, in Otsuchi Bay, northeastern Japan. Marine Ecology Progress Series, 116: 75-85

Takahashi, K & K. Kawaguchi (1996) Practical key characters to identify the closely related sand-burrowing mysids, Archaeomysis kokuboi and A. japonica (Mysidacea; Gastrosaccinae) throughout all developmental stages. Bulletin of the Plankton Society of Japan, 43: 113-117

Takahashi, K & K. Kawaguchi (1997) Diel and tidal migrations of the sand-burrowing mysids, Archaeomysis kokuboi, A. japonica and Iiella ohshimai,in Otsuchi Bay, northeastern Japan. Marine Ecology Progress Series, 148: 95-107

Takahashi, K & K. Kawaguchi (1998) Diet and feeding rhythm of the sand-burrowing mysids, Archaeomysis kokuboi and A. japonica in Otsuchi Bay, northeastern Japan. Marine Ecology Progress Series, 162: 191-199

Takahashi, K & K. Kawaguchi (2001) Nocturnal occurrence of the swimming crab Ovalipes punctatus in the swash-zone of a sandy beach, northeastern Japan. Fishery Bulletin, U.S., 99:501-510

Takahashi, K, T. Hirose, & K. Kawaguchi (1999) The importance of intertidal sand-burrowing peracarid crustaceans as prey for fish in the surf-zone of a sandy beach in Otsuchi Bay, northeastern Japan. Fisheries Science, 65: 856-864

脚注*1 砕波帯(breaker zone)という用語は厳密な意味では波が砕ける場所を指すが、我が国ではこの領域とこれより岸側の磯波帯(surf-zone)を併せた領域を一般に砕波帯と呼ぶ場合が多く、本文でもこれに従った。
*2 アミ類雌の胸部後方にある袋状の器官。この中で卵及び胚を保育する。

Kazutaka Takahashi