東北水研を離れて思うこと
河村知彦

 昨年7月1日付けで東京大学海洋研究所に移りました。昭和63年春に大学院の修士課程を終えて入所しましたので、東北水研には12年間お世話になりました。東北水研には強く望んで入れていただき、希望どおりアワビの初期生態研究をやらせてもらいました。本当に充実した楽しい日々でした。自分なりに満足できる研究成果を残せたと思いますし、これからも継続発展して行く道筋ができたと思います。テニスを覚え、バードウォッチングを始め、サッカーにはまりました。大好きなスキーにもかなり行きました。結婚もしましたし、子供にも恵まれました。子供たちは宮城の言葉を話す、れっきとした宮城人になりました。東北地方の自然の豊かさを堪能するにはまだまだ足りませんが、行ける所はほぼ行き尽くしたと思います。そして、何よりも素晴らしい先輩や仲間に恵まれました。皆様にはこれからも仲良くお付き合いいただきたいと思いますが、これまでお世話になってきた東北水研の皆様、水産試験場をはじめとする関係機関の方々、漁協の皆様、その他多くの人たちに改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 東北水研ニュースの刊行委員会から、転任の挨拶を兼ねて「大学から見た水研」というテーマで寄稿しないかという打診を受けました。大学に移って半年になりますが、私は依然として“水研の人間”です。大学の側から水研を見ることは到底できません。ようやく大学がどういうところかわかって来たような気がしている程度なのです。しかし、成り行き上、転任のご挨拶だけというわけにはいかなくなりました。大学に移るという一大決心をするにあたって、いろいろと考えたこともありますので、僭越ながら、現在大きな岐路に立っている水研の今後に期待するところを、大学との比較を念頭に入れて書き連ねてみたいと思います。
 私にとって、水研は大変居心地の良い所でした。理想的研究環境があったと思います。配属先が大学院で学んだことを生かすために理想的な研究室であり、そこで良き先輩、同僚に恵まれた幸運によるところも大きいと思いますが、水研に共通する長所も多かったと思います。まず、フィールドに近いこと。距離的な近さはもちろんのこと、水産業の現場に“近い”ところで研究することが大学にいる研究者よりも容易であることは大きな利点と言えます。現場の問題は研究の原動力となりますし、現場には研究を進める多くのヒントが埋もれています。意識しなくても、“社会に貢献する”研究を組み立てられます。必要に迫られてから、自分の研究の社会的意義を改めて考え直す必要がありません。
 次に、研究費が大学に比べれば概して多いということです。これは規模の大きなフィールド調査を行ったり、高額な器械・装置を備えて効率的に研究を進めるためには大変重要な要素です。さらに、組織が比較的大きいため悪い人間関係が固定しないこと。不幸にして同じ部署にいる者同士の関係が悪化しても、部署を移ったり転勤したりすることでそれが解消できるという利点があります。こんなことを書くとお叱りを受けそうですが、基本的に年功序列であるため、必要以上に厳しい競争関係がないことも平和な職場環境を作る要因になっていると思います。職場が平和で楽しいことは、研究にゆとりを持たせ、長期的展望を持った良い研究を生み出す大切な要素です。いろいろな価値観の人がいますので、全てにつけ許容範囲が広いことも大きな長所だと思います。かつて「ドラネコの提言」、「ドラネコの捨てゼリフ」という名文をこの東北水研ニュースに残して東北水研を去られた方がいます。あのような天に唾する(とご本人が書かれています)人がいること、それを容認して研究所の広報誌に掲載すること、それがまた新たな論議を呼び自浄作用が働くこと、素晴らしいことだと思います。
 しかし、長所があれば当然のように欠点もあります。現在の水産研究所の研究を推進する上での問題点とその解決方法を考えて見ます。@研究費が多いことを長所に挙げましたが、額は多くても融通が利かず、臨機応変に効率良くお金を使うことができません。研究費に対して旅費があまりに少ないことも問題です。結果として研究費の無駄使いにつながっていると思います。A研究費をわけもなく公平に分配する傾向も強いと思います。この点では、業績や期待度に応じた研究費の重点配分が必要でしょう。B年功序列を長所としてあげましたが、序列が上がることイコール管理職になること、という現在の仕組みはそろそろ無くさなくてはいけないと思います。優秀な研究者が若くして研究の現場から離れなくてはならない現状は、研究機関としての水産研究所の最大の欠点でしょう。C個々人の適性によって職種を変えることができる柔軟なシステムの構築が必要ではないでしょうか。研究職で採用された人が全員研究者として生きなければならないことに無理があると思います。職種と序列(給料)は別物として考える必要があります。Dこれに関連して、新規採用の方法にも問題があると思います。教育機関ではない水産研究所に、ただ試験を通過してきただけの出来上がっていない研究者を採用するのはどうでしょうか。私自身、人事院の試験を受けて採用されましたからそんなこと言える立場にありませんが、研究者としての適性を十分に判断して人を採用できるような仕組みが必要です。必要のある分野・場所にもっと多くの最適な研究者を配置する必要性も感じます。大学や水試との人事交流をもっと活発にして必要な人材を集めることができれば良いと思います。人事院試験による採用は止めて、新人の補充は現在の特別採用のような実績と面接重視の方法にする方が良いでしょう。もちろん、その場合には現在の特別採用の年齢制限を無くす必要があります。現在増えつつある短期雇用の若手研究者を重点配置するのも一つの方法だと思いますが、その中で実績をあげた人を正規に採用する道を開くべきです。Eさらに、もっと抜本的な改善方法もあると思います。水産研究所は全体としてかなりの数の研究者がいますが、9つの研究所に分かれて配置されています。同じ分野の人がそれぞれ少しずつ、どこの水研にもいるのです。研究所として独立した研究を維持するにはそれしかありませんが、集まって研究できたら効率は格段に向上すると思います。定員が増やせない以上、研究所の数を減らして一場所の規模を大きくするか、研究所間の分業を図るしかありません。後者を選択した場合、違う分野の研究者が一緒にいるからこそ得られる広がりが失われます。研究所の数を減らせば、同じ研究機材や図書を複数の研究所で重複して保有する必要が減りますから、研究費をより効率良く使うことができるはずです。9つの研究所があることは、転勤、引越しという生活の変化をもたらします。研究対象や人間関係を変えることができるというメリットもありますが、長期的な生活設計が立てられないというデメリットも大きいと思います。大きな研究所なら、研究所内で違う部署に移動することも可能でしょう。海区ごとに独自の研究課題があり、現場に近いところに研究所があるのが理想ですが、各県の水産試験場との連携、役割分担によりその問題は解決できると思います。
 私が以上のような水研の長所、短所を考えたからといって、それで大学と天秤にかけて大学へ移る道を選んだわけでもありません。どちらがいいのか、結局はよくわかりませんでした。水研に残る道を選んだ場合、ずっと東北水研にいられる保証が無く、それからの先行き、つまりどこに転勤するのか、そこでどのような研究環境や生活環境があるのか、比較するものが無かったからです。東北水研の研究環境や生活環境は最高でしたし、十分に満足していました。しかし、私自身の水研での先行きが見えなかったこともあり、思い切って“変化”を選んだのです。新たな世界に挑戦するつもりで。
 将来、もし私に水研に帰るチャンスをいただけたとしたら(出てきたばかりで帰ることを考えるとは何事かといわれるかもしれませんが、そういう自由な人事交流がこれからは必要になると思います)、その時またどうするか考えると思います。その時、「水研に移りたい」と躊躇なく思える水産研究所であり続けてほしいと思います。今よりもっと魅力ある研究所になっていることを願っています。水産研究所は今年から独立行政法人に移行し、さらに5年後、10年後に組織の見直しがあるのだろうと思います。現在の水産研究所の持つ長所を失わないよう、同時に、改善すべき点が変わって行くことを期待します。これまでは残念ながら、研究所の職員の意見が組織の変革に繋がるようなことは少なかったと思います。これからは“独立”行政法人ですから、研究所で働く人たち自らの意思が理想的な研究環境、職場環境を作るためにもっと反映されるべきです。大学に移ったためにその変革に係われなくなってしまったことは心残りです。
 さて、もはや水研の職員ではなくなった私を取り巻く状況はといえば、正直まだ良くわかりません。水研よりもさらに変異の大きい社会かもしれません。これから新しい環境の中でどのように生きていけばよいか考えていくつもりです。ただ、一つ言えることといえば、水研や水試で即戦力として役に立つ人を育てることが私の大学での使命であり、それがこれまでお世話になった水研にできる唯一の恩返しであるということです。それをするために水研への未練を断ち切って大学に移る決心をしたのですから。
 皆さん、今後ともどうかよろしくお願いします。私の新しい職場、連絡先は以下のとおりです。研究のお話、遊びのお誘い、いつでもお待ちしております。東京にお越しの際にはぜひお立ち寄りください。
東京大学海洋研究所
海洋生物資源部門資源生態分野
〒164-8639 東京都中野区南台1-15-1
TEL 03-5351-6499 FAX 03-5351-6498
E-mail kawamura@ori.u-tokyo.ac.jp
(旧 海区水産業研究部 沿岸資源研究室、現 東京大学海洋研究所)

Tomohiko Kawamura