海洋性プランクトン珪藻の栄養環境変動下での生活史応答による個体群維持機構

桑田 晃


1. はじめに
 様々な時空間スケールで環境が変動する海洋生態系において、植物プランクトンは強く環境変動の影響を受けながらも多様な群集を形成維持し、一次生産者として、生態系全体の生物生産を支えている。これは、海洋環境の変動下において、植物プランクトン群集内の各々の種が、環境が好適な局面での生産・増殖とともに不適な局面での耐久・休眠により個体群維持活動をしている結果である。これまでに、一部の鞭毛藻類や珪藻類などの生活史において、環境が栄養増殖に不適な際に休眠胞子の形成が知られ、また珪藻類の一部では内部形態に違いのある休眠細胞も報告されている。海洋の一次生産力の変動機構の解明において、多様に変動する海洋環境下での藻類の個体群維持活動における休眠胞子・休眠細胞の機能の定量的評価は、不可欠であるが、実例は未だ少ない。光合成生物であるプランクトン藻類にとって、光、温度、栄養環境は特に重要な環境要因であるが、中でも、水塊の動きと密接に関係がある不規則な変動を示す栄養環境が、海洋におけるプランクトン藻類の生活を大きく左右していることが知られている。
 以上のような背景から、栄養環境の変動下でのプランクトン藻類の増殖・生存過程の定量的な解析を、現場及び室内実験により行った結果を以下に紹介したい。研究の際には、まず出発点として、栄養環境変動下における生存過程の総括的な知見を得るために、一つの種の動態に絞り、素過程に分けて解析した。フィールドには伊豆諸島周辺に頻発し、栄養環境が数日から数週間で変化する比較的小規模な局地性湧昇水塊を選び、対象藻類には上記の局地性湧昇海域に普遍的に出現し、種の同定が比較的容易かつ、生活史の各ステージが明らかになった中心型珪藻類のChaetoceros pseudocurvisetusを選んだ(図1)。
2. 貧栄養化に伴うC. pseudocurvistus個体群の生活形応答
 貧栄養化に伴う個体群の応答を夏期の御蔵島東沖の局地性湧昇域をフィールドとして解析した。その結果、C. pseudocurvistus個体群は、栄養物質濃度の高い湧出直後の局地性湧昇内では通常の栄養細胞で活発に栄養増殖し、やがて現場のプランクトン藻類の増殖を律速している硝酸塩濃度が低下すると、栄養細胞内のクロロプラストが退色・萎縮・断片化した休眠細胞と、栄養細胞とは明確に形態の異なる休眠胞子との二つの生活形へと移行することが明らかになった。
 次に、栄養環境に対するC. pseudocurvistusの生活史応答を現場より単離した培養株を用いて実験的に解析した。その結果、細胞増殖に伴い培地中の硝酸塩が消失すると、C. pseudocurvistusの栄養細胞から直ちに数日以内で休眠胞子が形成されること、さらに、休眠胞子形成には細胞は珪素の吸収が必要で、窒素欠乏時に珪酸塩が不足すると、休眠胞子ではなく休眠細胞が形成されることが判明した。従って、珪酸塩が十分に存在する状態で窒素欠乏になった場合は休眠胞子が形成され、珪酸塩が使われて環境中に十分な量の珪酸塩が確保されなくなると、休眠胞子ではなく休眠細胞を形成することがわかった。そのために、この種の個体群は、窒素欠乏下では利用可能な珪酸塩の量に応じて休眠胞子と休眠細胞の両者を作り分けていることが明らかになった(Kuwata and Takahashi 1990)。
3. C. pseudocurvistus個体群の各生活形の細胞の特性
 次に、C. pseudocurvistus個体群で見られた休眠胞子と休眠細胞それぞれの特性を解析した。栄養細胞、休眠細胞、休眠胞子各々を硝酸塩と珪酸塩の量を調節して実験的に作り分け、顕微鏡観察、細胞成分の化学分析をした。その結果、栄養細胞が休眠胞子に転換する際に、細胞体積の減少、細胞内の多量の炭素と珪素の蓄積、窒素とクロロフィルa含有量の低下が起こることが、一方、休眠細胞への転換の際には僅かな珪素の蓄積と、窒素とクロロフィルa含有量の低下が起こることが明らかになった。さらに細胞内の有機炭素の貯蔵形態に着目し各生活形の脂質、炭水化物の分析を進めた結果、休眠胞子は炭水化物と脂質を、休眠細胞は脂質を細胞内に貯蔵をすることが判明した。また、休眠胞子ではグルコースを主成分とする貯蔵性多糖類の、休眠細胞では中性脂質の貯蔵が特に顕著であることが判明した。次に、それぞれのタイプの細胞の光合成及び呼吸活性を測定すると、休眠胞子、休眠細胞ともに栄養細胞に比べ、光合成及び呼吸活性の著しい低下が見られた。特に休眠胞子の呼吸活性の低下が著しく、正の純光合成量が維持されていた。以上の結果より、休眠胞子、休眠細胞両者には生物一般で見られる休眠特性が共通に認められたが、両者の間には休眠の度合いに違いが見られた。よって、この種の貧栄養環境下での生存に対し、それぞれが異なる役割を果たしていることが推察された (Kuwata et al. 1993)。
4. 休眠細胞と休眠胞子の貧栄養下での生存と栄養環境好転時での回復過程
 変動環境下での個体群の維持にとって、貧栄養環境下の休眠胞子と休眠細胞による生存とともに環境が貧栄養から富栄養へと好転した際の、休眠細胞と休眠胞子それぞれの回復過程が重要である、次にこれら二つの過程を培養実験系を用いて実験的に検討した。
 貧栄養下の生存過程では、休眠細胞は形成後約10日間は低い死亡速度を示すが、その後は高い死亡速度になり、約1か月で99%以上が消失した。それに対し、休眠胞子の死亡速度は終始低く、約1カ月後でも30%以上の生存がみられた。
 栄養環境の好転に対する回復過程では、休眠細胞は、直ちに増殖開始が認められたのに対し、休眠胞子は増殖開始までに約1日の停帯期が認められた。これは、休眠胞子は増殖の開始に先だって、発芽過程を要するためであった。さらに増殖開始直後の増殖速度にも両者で差が見られ、休眠細胞は休眠胞子よりも高い増殖速度を示した。これらは、添加した制限栄養塩の硝酸塩濃度には無関係で、低濃度から高濃度まですべてに共通して認められた。以上の解析により、貧栄養下での生存では、休眠胞子の方が休眠細胞よりも高い生存力を示し、反対に富栄養への好転に対しては、休眠細胞の方が休眠胞子よりも速やかな回復応答を示すことが明らかとなった(Kuwata and Takahashi 1999)。
5. C. pseudocurvistus個体群の栄養環境変動下での生存に対する生活形応答の意義
 最後に、本研究で得られた結果を基に数学モデルを構築し、C. pseudocurvistus個体群の生活史応答による栄養環境変動下での個体群維持機構を検討した。その結果、栄養供給の規模によらずにC. pseudocuruvisetus個体群は貧栄養環境の持続期間が20日前後の短期の間は、休眠胞子と休眠細胞の両者の生活形で生存し、栄養環境の好転が起こると、主に休眠細胞の回復により個体群サイズが回復することが予測された。それに対し、貧栄養環境がそれ以上の長期にわたる場合は、休眠胞子のみの生存により個体群が維持されることが予測された。さらに、この種が現場において休眠胞子・休眠細胞の両者を形成するのは、どちらか一方だけの休眠形形成よりも、現場でみられる時間周期の不規則な栄養環境変動下での個体群維持に対し、より有効な生存手段であることが示唆された(図2)(Kuwata 1993)。
参考文献
Kuwata, A. 1993. Studies on the life-form responses and survival processes of a marine planktonic diatom population under fluctuations of nutrient environment. University of Tokyo, Dr. Dissertation. pp160.
Kuwata, A., Hama, T., Takahashi, M. 1993. Ecophysiological characterization of two life-forms, resting spores and resting cells of a marine planktonic diatom, Chaetoceros pseudocurvisetus formed under nutrient depletion. Marine Ecology Progress Series, 102: 245-255.
Kuwata, A., Takahashi., M. 1990. Life-form population responses of a marine planktonic diatom, Chaetoceros pseudocurvisetus, to oligotrophication in regionally upwelled water. Marine Biology, 107: 503-512.
Kuwata, A., Takahashi., M. 1999. Survival and recovery of resting spores and resting cells of the marine planktonic diatom Chaetoceros pseudocurvisetus under fluctuating nitrate conditions. Marine Biology.134:471-478
参考図
図1 Chaetoceros pseudocurvisetusの生活史
図2 Chaetoceros pseudocurvisetusの栄養環境変動下での生活史による個体群維持機構(模式図)
(混合域海洋環境部 生物環境研究室)

Akira Kuwata

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