エゾアワビ初期稚貝の食性

−大型別枠研究「バイオコスモス計画」を終えて−

                         

河村知彦・高見秀輝・山下 洋


 今年3月,農林水産省の大型別枠研究「農林水産系生態秩序の解明と最適制御に関する総合研究」(バイオコスモス計画)が終了した。私たちの研究室では,プロジェクト発足当初から10年間,岩礁域生物制御サブチームでアワビの初期生態を解明することを目的とした課題を担当した。ここでは,10年間の研究で明らかになった成果のうち,特に2*期以降の6年間に行ったエゾアワビ稚貝の食性に関する研究成果を中心に紹介する。

成長に伴う食性の変化
 アワビの成貝や放流サイズ(2〜3cm)の稚貝が海藻を食べることは良く知られている。海藻による餌料価値の相違などについても多くの仕事がある。もっと小さな着底初期の稚貝については,付着珪藻が主な餌料と考えられてはいたが,具体的な付着珪藻の餌料価値や,種類によるその相違,いつ頃から海藻を食べるようになるか,などについてはほとんど明らかにされていなかった。珪藻を主餌料にする着底初期の数ヶ月間は,天然においては減耗の非常に大きい時期で,この時期の減耗の程度がその後の資源量を決定するものと考えられる。また,アワビの種苗生産においても,初期の餌管理がもっとも難しい行程の一つであり,技術の進んだエゾアワビについても,この時期の稚貝の成長速度や生残率を完全に予測,管理することは不可能である。初期稚貝の食性を具体的に解明し,餌料環境が稚貝の生残・成長に及ぼす影響を検討することは,天然生息域における稚貝の加入・生残機構を把握するために必要なことであり,また,種苗生産の現場からも強く求められている研究課題である。
 我々の行ったいろいろな室内実験の結果とこれまで報告されている知見を併せて検討した結果,アワビ類には成長に伴って3回の大きな食性転換期があることがわかった(Kawamura et al. 1998b)。1回目の食性転換は変態時に起こる。浮遊幼生期には摂餌を行わず卵黄を主な栄養源とするが,変態後は着底基質上の珪藻などが分泌する粘液物質を主餌料とするようになる。エゾアワビでは,変態後1日以内に開口して活発な摂餌活動を開始するが,変態後数日間は卵黄からの栄養にも依存しており,全く餌を与えなくても殻長0.4mm程度までは成長することができる(Takami et al. submitted)。珪藻の細胞内容物はこの時期のアワビ稚貝の成長にとって不可欠なものではない。珪藻が細胞外に分泌する粘液だけで良好に成長することができ,珪藻の種による成長速度の差も小さい(Kawamura and Takami 1995, Kawamura 1996, Roberts et al. 1999a)。同種のアワビ稚貝(殻長約3cm)の匍匐粘液(Takami et al. 1997a)や無節サンゴモの分泌粘液あるいは表層細胞(Takami et al. 1997b)も,変態初期のエゾアワビ稚貝の良好な成長を保証する餌料であることが明らかになった。
 2回目の転換は,殻長0.6〜0.8 mmの頃起こると考えられる。この頃から,稚貝は上記の粘液物質だけでは良好に成長することはできなくなり,珪藻の細胞内容物などを摂取する必要が生じる(Kawamura et al. 1998b, Roberts et al. 1999a)。しかし,稚貝が全ての珪藻の細胞内容物を効率よく利用できるわけではない。餌料として与えた珪藻の種や株によって稚貝の成長速度に大きな差がでてくるが,これは稚貝が珪藻の細胞内容物を効率よく摂取できる場合とできない場合があるためである。アワビは珪藻の細胞殻を消化管内で分解・消化できないものと考えられ,摂食される際に細胞殻の壊れやすい特定の珪藻の餌料価値が高いことが明らかとなった(Kawamura et al. 1995, 1998a)付着力の強いCocconeis属などの珪藻は,剥ぎ取られる際に殻が壊れやすい。珪藻の基質への付着力の方が細胞殻の強度よりも強いためと考えられる。実際に,アワビがCocconeisの群落を摂餌した後の基質上には,弁当箱状をした珪藻細胞殻の上側の殻と中身が剥ぎ取られて食われ,下側の殻だけが残されている場合が多く見られる。一方,アワビが摂餌しやすいためこれまで好適餌料と考えられていた付着力の弱い珪藻の多くは,細胞殻が壊れることなく丸飲みにされやすく,ほとんどが生きたまま消化管を通過して排泄される。例外的に細胞殻が非常に薄い珪藻,例えば針型の細胞形状を持つものなどは,付着力に係わらず摂餌される際に細胞が壊れやすく,餌料価値が高い。このように,基質への付着力や細胞殻の強度が珪藻の餌料価値を決める大きな要因と考えられるが,これらは同一株でも培養条件や株の生理状態によって変わりうる(Roberts et al. 1999a)。
 アワビが珪藻を主な餌料とするのは殻長5〜10mm程度までであり,それ以降は海藻の幼体などが餌料になるものと考えられる(3回目の食性転換)。初期稚貝にとって餌料価値が高く,アワビ初期稚貝が生息する無節サンゴモ域などで優占しやすいCocconeis属などの珪藻(河村他 1992, Kawamura et al. 1998b)は,1層のコロニーしかつくらず(河村他 1998)細胞容積も小さいため,単位面積あたりの付着量は少ない。成長したアワビにとっては摂餌効率の悪い餌料と考えられる。殻長約3cmのエゾアワビ稚貝に単種のCocconeisを餌料として与えた場合,稚貝の成長速度はマコンブを与えたものよりも低かった(高見他 1996)。アワビが珪藻食から海藻食に変わる具体的な時期については,条件によっても異なるものと考えられるが,現在引き続き検討を行っている。

食性変化の機構
 このような食性変化を可能にする機構を明らかにするため,アワビの摂餌・消化器官等の発達過程についても検討を行っており,これまでにその一端が明らかになった。
 2回目の食性転換の後,天然ではCocconeisなど付着力の強い珪藻がアワビ稚貝の主餌料になっているものと考えられるが,変態直後の初期稚貝は付着力の強い珪藻を基質から剥ぎ取ることができない(Kawamura and Takami 1995, Takami et al. 1997a, Roberts et al. 1999a)。アワビ稚貝がCocconeis細胞を効率よく剥ぎ取って食べられるようになるのは,殻長0.8mm前後からである。ちょうどこの時期に,歯舌の形態が粘液などをすくい取るような構造から,基質に強く固着する珪藻等を削り取るのに適した構造へと変化することがわかった(Roberts et al. 1999b, Kawamura et al. submitted)。現在,その後の歯舌の形態変化と海藻食への転換との係わりを検討している。
 大型海藻に含まれる多糖類に対するエゾアワビ稚貝の消化酵素活性は,殻長2mm前後に急増することがわかった(Takami et al. 1998)。実際の食性変化に先だって,海藻を利用するために必要な消化器官の機能が整い始めるものと考えられる。

初期稚貝の生残・成長に及ぼす餌料環境の影響
 アワビ類は,孵化後数日間の浮遊生活の後に着底,変態して底生生活に移行する。その際,浮遊幼生が着底基質を選択することが知られている。天然海底では無節サンゴモが好適着底基質と考えられている。種苗生産工程では,プラスチックの板上に自然繁茂した珪藻をアワビ稚貝(殻長2,3cm)に匍匐・摂餌させた「舐め板」が幼生の着底・変態を誘起する基質として利用されている。本研究で明らかになったアワビの食性から見ると,これらの好適着底基質上では,変態直後から海藻(あるいは人工餌料)を食べるようになるまでに必要な餌料環境が保証されている可能性が高い(Takami et al. 1997a, b)。変態後しばらくは,無節サンゴモやアワビ稚貝,付着珪藻等に由来する広範な粘液物質が主要餌料となる。しかし,この時期の初期稚貝は飢餓に対する耐性が非常に低く,餌料不足がその後の生残,成長に深刻な影響を及ぼす(Takami et al. submitted)。2回目の食性転換期以降は,Cocconeisなど付着力の強い珪藻が好適餌料となる。付着力の強い珪藻は,巻貝などの植食動物に比較的食われにくく,無節サンゴモ群落や「舐め板」など比較的高い摂食圧が加わっている環境で優占しやすい(河村 1995)。しかし,無節サンゴモ域に生息する小型巻貝類の中には,付着力の強い珪藻を好んで食べる種もいる(河村 1997)。アワビの成貝や稚貝は初期稚貝とは餌料を競合しないが,このような他の巻貝類は初期稚貝にとって強力なライバルとなる。着底・成育場における植食動物の密度や組成は,アワビの資源加入量に大きな影響を及ぼすものと考えられる。

 この研究は多くの方々の御支援に支えられて続けることができた。研究成果には共同研究の成果も数多く含まれる。あらためて感謝の意を表したい。また,誌面の都合上,我々の研究成果以外の関連する研究の紹介,引用は全て割愛した。以下の文献中の引用等を参照していただきたい。


文献
河村知彦(1995) 付着珪藻群落の変動機構.月刊海洋,27,591-596.
Kawamura, T. (1996) The role of benthic diatoms in the early life stages of the Japanese abalone (Haliotis discus hannai). In: Survival Strategies in Early Life Stages of Marine Resources, 355-367, Balkema, Rotterdam, 367pp.
河村知彦(1997) 磯焼けに及ぼす小型巻貝の摂餌選択性と摂餌圧の影響.磯焼けの発生機構の解明と予測技術の開発, 60-70, 農林水産技術会議事務局,東京,105pp.
Kawamura, T. and Takami, H. (1995) Analysis of feeding and growth rate of newly metamorphosed abalone Haliotis discus hannai fed on four species of benthic diatom. Fisheries Sci., 61, 357-358.
河村知彦・岡村和磨・高見秀輝 (1998) アワビの好適餌料珪藻Cocconeis scutellum var. parvaの増殖特性.水産増殖, 46, 509-516.
Kawamura, T., Roberts, R.D. and Nicholson, C.M. (1998a) Factors affecting the food value of diatom strains for post-larval abalone Haliotis iris. Aquaculture, 160, 81-88.
Kawamura, T., Roberts, R.D. and Takami, H. (1998b) A review of the feeding and growth of postlarval abalone. J. Shellfish. Res., 17, 615-625.
Kawamura, T., Takami, H. and Yamashita, Y. (submitted) Radula development in abalone Haliotis discus hannai in relation to their feeding habit. Fisheries Sci.
Kawamura, T., Saido, T., Takami, H. and Yamashita, Y. (1995) Dietary value of benthic diatoms for the growth of post-larval abalone Haliotis discus hannai. J. Exp. Mar. Biol. Ecol., 194, 189-199.
河村知彦・山田秀秋・浅野昌充・谷口和也 (1992)牡鹿半島沿岸の漸深帯海底に設置した塩化ビニル板上の付着珪藻群落.東北水研研報,54,97-102.
Roberts,R.D., Kawamura, T. and Nicholson, C.M. (1999a) Growth and survival of post-larval abalone (Haliotis iris) in relation to their development and diatom diet. J. Shellfish Res., 18, in press.
Roberts,R.D., Kawamura, T. and Takami, H. (1999b) Morphological changes in the radula of abalone (Haliotis iris) during post-larval development. J.Shellfish Res., 18, in press.
高見秀輝・河村知彦・山下 洋 (1996) エゾアワビ1歳貝に対する付着珪藻の餌料価値.水産増殖,44, 211-216.
Takami, H., Kawamura, T. and Yamashita, Y. (1997a) Survival and growth rates of post-larval abalone Haliotis discus hannai fed conspecific trail mucus and/or benthic diatom Cocconeis scutellum var. parva. Aquaculture, 152, 129-138.
Takami, H., Kawamura, T. and Yamashita, Y. (1997b) Contribution of diatoms as food sources for post-larval abalone Haliotis discus hannai on a crustose coralline alga. Moll. Res., 18, 143-151.
Takami, H., Kawamura, T. and Yamashita, Y. (1998) Development of polysaccharide degradation activity in postlarval abalone Haliotis discus hannai. J. Shellfish Res., 17, 723-727.
Takami, H., Kawamura, T. and Yamashita, Y. (submitted) Starvation tolerance of newly metamorphosed abalone Haliotis discus hannai. Fisheries Sci.
参考図
付着珪藻Navicula ramosissimaを食べるエゾアワビ稚貝 (変態後約10日,殻長約0.5mm)

Navicula ramosissimaを食べたエゾアワビ初期稚貝の糞

殻長1.4mmのエゾアワビ稚貝の歯舌

*:冊子ではローマ字
(海区水産業研究部 沿岸資源研究室)

Tomohiko Kawamura, Hideki Takami and You Yamashita

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