栽培漁業と地域振興

−遊漁をいかに取り込むか−

山下 洋


 最近、栽培に元気がないという声を耳にする。とくに現場から、漁業者の栽培漁業に対する熱意の沈滞が指摘されるようになってきた。栽培漁業が本格的に開始されて30年が過ぎた。初期には、海洋牧場という夢に向かってすごい熱気だったらしい。現在は、曲がり角にあるといえるかもしれない。可能性、限界、問題点がかなりはっきりしてきた。特に明確になってきたことは、放流事業は経済行為であり、経済的な自立が求められていることである。栽培漁業は公に利益を与えるものとして、公的に補助されるべきという考え方もあるが、社会情勢に応じた補助金の削減や廃止は容易に起こりえる。種苗生産・放流事業が漁業経済的に成立するためには、放流魚の高い回収率(累積再捕率)と高い魚価が鍵となる。両方が条件を満足して始めてうまくいく。栽培漁業に関係する研究者達は、いかに回収率を上げるかを目標に、放流技術開発に長年取り組んできた。「海域の環境を理解し適切な技術を適用すれば、ある程度までの回収率は得られる」というのが私の基本的な結論である。ところが魚価に関しては、私たちの努力ではいかんともしがたいものがある。冒頭の沿岸漁業者の熱意の沈滞も、幾ら努力してもあまりお金に跳ね返ってこないという問題が、大きな原因ではないかと考えている。
 例えば、宮城県志津川湾におけるクロソイの放流事業では、宮城県をはじめとする関係者の努力により、1983年の放流開始以降水揚げ量が急激に増加し、91年には事業開始前の20倍に達した(図11)。また、回収率も3〜15%と年変動はあるものの放流事業の中ではかなり高く、放流事業としては成功例と考えられる。しかし、放流海域におけるクロソイの年間総水揚げ金額は300万〜700万円であり、このうちの5〜10%程度の負担金では、種苗生産の餌代にも満たないかもしれない。水揚げ金額だけに頼った経済的自立はとても不可能である。
 一方、志津川湾は宮城県の釣りのメッカである。町内の釣り道具屋をベースに推定した年間の遊漁客は、5万人以上とされている。現在、宮城県が遊漁によるクロソイの釣獲量を調査中であり、具体的な数字も近々明らかになるが、1隻で年間500尾以上漁獲する遊漁船が確認されており、遊漁案内船登録数289隻から考えても相当数にのぼることは間違いない。放流魚は放流後1年間は湾内の浅い海域に滞留するため、陸から釣られる個体もかなりあると思われる。平成8年度の志津川魚市場への水揚げ尾数8,451尾と比べても、相対的に遜色のない量が釣獲されている可能性が高い。遊漁船の多くは漁民のサイドビジネスである。また、釣獲されたクロソイのほとんどは放流魚あるいは放流魚の子孫と考えられる。さて、5万人の釣り客が餌代、昼食代などで1日に2,000円使ったとすると、それだけで経済効果は年間1億円になる。今の段階では仮定であるが、遊漁船の半数が実稼働し、年間平均80日、1隻が5名の釣り客を乗せ、釣り客は前日から民宿に泊まり民宿と釣り船の費用1万2千円を支払ったとすると、年間約7億円の売り上げとなる。遊漁がいかに町の(観光)産業に貢献し、漁村の地域振興をになっているかは、数字はかなりいいかげんではあるけれども実感としてはよくわかる。志津川湾ではクロソイの他にヒラメも放流され遊漁により釣獲されており、遊漁者も栽培漁業の明確な受益者である。逆に言うと、栽培漁業は受益者を漁師に限定する必要はないのではないだろうか。種苗放流事業を、漁業だけでなく、観光や地域振興に貢献する事業として位置づけると、栽培事業を経済的に支える基盤もより広く堅固になることは間違いない。すそ野を広げるための具体的な方策については、当面はそれぞれの地域が知恵を絞ることになる。
 志津川湾の例を上にあげたが、すでに放流魚の漁獲に関して遊漁が漁業を圧倒している例も報告されている。神奈川県のマダイについて今井らによる詳細な報告がある2)、3)。それによると、1992年の神奈川県沿岸におけるマダイの漁獲量の比率は、重量で見ると漁業、遊漁案内業、プレジャーボートが1:2.75:0.42である(図2)。マダイの総漁獲量は、種苗放流が開始される以前と比較すると放流開始後の10年間に2.3倍に増加していることから、見かけ上、放流による資源添加分は全て遊漁により釣獲されていることになる。今井4)は、漁業での放流魚漁獲による年間の収入を1億1千5百万円、マダイを主対象とする遊漁案内業の収入(乗船料のみ)を10億6千9百万円と試算した。神奈川県は、1988年から遊漁船と遊漁者からも栽培漁業協力金を徴収する体制をとっているこの分野の最先進県であり、遊漁から栽培漁業協会への協力金は97年度で1860万円にのぼる。しかし、協力金の金額は、これでも受益割合に対してはアンバランスであり、漁業者への負担が大きいことが指摘され、受益割合に応じた公平な負担が今後の重要な検討課題とされている。隣接する静岡県でも同様に、この問題に関する詳細な調査が行われ5)、6)、1993年のマダイの漁獲割合は重量ベースで漁業、遊漁案内業、プレジャーボートが1:1.33:0.42と報告されている(図2)。日本は山国であり都市は沿岸部に集中し、沿岸域の人口密度は全般に高い。また、交通網の発達により、都市部から放流海域への移動も容易である。すなわち、放流された魚が遊漁により多獲される現象は首都圏や大都市周辺に限られているわけではない。鹿児島県錦江湾などでも、放流されたマダイの相当数が遊漁者により釣獲されていることが報告されている。かつて、たぶん現在も、遊漁は漁業にとってはじゃまものであり敵と見なされる場合が多い。しかし、栽培漁業を成立させる条件として、事業が多くの人によって支えられることは重要であり3)、むしろ遊漁者や遊漁に関係する様々な産業を、栽培漁業の受益者として取り込むことが、今後の栽培漁業の経済的自立のための重要な課題となるのではないだろうか。
 それでは具体的にどのような方法が考えられるか。神奈川県では、漁業者から、種苗センター設立基金の一部負担と水揚げ額の中から漁業負担金の拠出を受けている。遊漁船からは、船の規模に応じて設定されたランクに対応した協力金、遊漁者からは、釣り宿、釣具店における栽培協力募金などを得ている4)。特筆すべきは、遊漁団体に種苗を販売し、遊漁団体がそれを放流している点である。宮城県でも、放流事業を手伝いたいという声が遊漁団体からあがっていると聞く。釣り人達は、魚をより多く釣るためには努力(たぶんお金もある程度までは)を惜しまないという性質を持っている。この他、観光や地域振興という視点からは、利益を受けている市町村から種苗生産に対する協力金を得るという方法もあるのではないだろうか。しかし、これらの方法は現実的だが経済的にはとても十分とはいえないであろう。日本は世界中から経済構造改革とグローバライゼーションを求められている。水、空気、ゴミ処理費用に加えて、魚もただという発想はそろそろ転換する必要がある。法律の解釈あるいは法律そのものを改正することによって、遊漁を水産に取り込むことを本気で考えるべき時が来ていると思う。遊漁者は2千万人とも3千万人ともいわれており、これを味方に付けたときの水産パワーを考えれば、苦労の甲斐はあるのではないだろうか。法律に関する論議は私の能力を越えているが、内水面における第5種共同漁業権においては、すでにそれが実行されており、不可能ではないはずである。釣りの国民的レジャーとしての人気は高まるばかりのように見える。さらに、遊漁船やプレジャーボート、及びそれを利用する遊漁者の経験や装備の充実とも相まって、遊漁による漁獲圧力はさらに増大するであろう。遊漁管理なしには、沿岸魚類の資源管理すら困難な時代が到来しつつあるという点も、遊漁管理の必要性のもう一つの側面として忘れてはいけない。
 ちょっとだけ目を海外に移してみよう。そもそも、アメリカの水産資源に対する考え方も無主物を前提としているが、「水産資源は州民の共有財産である」から始まり、現在は「水産資源は政府がこれを信託的に保有している公共の財産」という考え方で管理されている。私はアメリカのワシントン州における制度しか知らないが、ワシントン州の距岸3マイルまでの海域では、水産資源は信託された公共の財産として州政府により厳密に管理されていた。すなわち、淡水性の雑魚以外ライセンスなしに釣れる魚はない。ライセンスは、主に沿岸魚(サケ類、タラ類、メバル類、カレイ類など)、淡水魚(バス類、ナマズ類、マス類など)、及びスチールヘッドに分かれており、97年のライセンス料(年間券)はそれぞれ18,17,18$であった。ライセンスの管理は厳格であり、警察権を持った水産系の職員が巡回してライセンスのチェックを行い(当然拳銃を持っている)、密漁者は逮捕(?)され、牢屋には入らないが、海辺や川岸の清掃作業の強制労働を一定期間科せられるとのことであった。またまた、いいかげんな計算をしてみよう。ワシントン州の主要都市、シアトル、タコマ地区の人口を約300万人と考え、釣り人口がその5%として、15万人がそれぞれどれか1つのライセンスを購入すると、ライセンス収入は3億円(1$=120円としても)を越える。基本的にはこのライセンス料はほとんど州政府により水産資源の培養、管理、水産生物をめぐる環境保全に利用されている。日本で2千万人から年間500円のライセンス料をとったら、なんと100億円になるのである。
 ワシントン州からテキサス州にもうちょっとだけ寄り道をする。アメリカでは、遊漁団体は漁業団体よりもはるかに強力な政治的パワーを持っている。彼らは車に「We fish, we vote」というステッカーを貼っているそうだ。テキサスで沿岸釣りの対象として最も人気のある red drum というニベ科の魚が近年オーバーフィシングにより激減した。そこで釣り団体の圧力によりテキサス州政府は、red drum の種苗放流事業を開始し、今や1州で年間2千万尾以上が放流されている6)。2千万尾というのは我が国のヒラメに匹敵する数である。この他、日本産ヒラメと非常によく似た summer flounder やスズキ(アカメ)に近い snook などの種苗生産も研究中であり、これもまた基本的には遊漁のためである。
 漁業就業者数287,380人(平成8年度)、漁協青年部が主に50歳代によって構成される時代がやってきた。後継者難、高齢化、輸入増加、魚価低迷など多くの問題に包囲された漁村にとって、遊漁がもたらす経済効果は地域振興を含めた極めて明るい材料となる。行政施策にも直接係わることであるが、研究者という立場と栽培漁業振興という視点からかなり自由に書かせて頂いた。ここに述べたことは、神奈川県の今井利為さんや宮城県の小野寺毅さんほか、数多くの関係者の皆さんから頂いたデータや考え方の「受け売りの寄せ集め」であり、この場でお礼を申し上げます。

引用文献
1)宮城県 (1997):平成8年度放流技術開発事業報告書,底棲種グループ・クロソイ,21-32.
2)今井利為・高間浩・柴田勇夫 (1994):神奈川県における遊漁船のマダイ釣獲量の推定.栽培技研,23, 77-83.
3)今井利為 (1994):プレジャーボートによるマダイ遊漁の実態.栽培技研,23, 85-93.
4)今井利為 (1997):神奈川県におけるマダイ種苗放流の経済的評価について.栽培技研,26, 29-42.
5)柳瀬良介・阿井敬雄 (1998):静岡県における遊漁船によるマダイ釣獲量の推定.栽培技研,26,67-73.
6)柳瀬良介・渥美敏 (1998):静岡県におけるプレジャーボートの釣獲実態.栽培技研,26, 75-83.
7)W. Lawrence 他 (1995):Beneficial uses of marine fish hatcheries: enhancement of red drum in Texas coastal waters. Ame. Fish. Soc.Symp., 15, 161-166.

資源増殖部 魚介類増殖研究室

Yoh Yamashita

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