農林水産省の土木技術者として

乃万俊文


 平成9年9月末日を持って37年余お世話になりました農林水産省を辞めました。入省は昭和35年、あの伊勢湾台風の翌年のことで赴任地は、愛知県下の干拓の災害復旧事業所でした。災害復旧ですので、土、日曜のない現場で全国の(といってもその現場は西日本からの応援が多かった)農業土木職の応援を受けて破堤した防潮堤の復旧作業が行われていました。そこでは、測量の他、コンクリート工事、学校では習わなかったアスファルトコンクリートの配合設計まで担当した。堤防が一応修復され干拓地が海から完全に隔離された頃、同じく愛知県内陸部での農業用水路工事に従事することになり、調査・測量、設計、河川協議、地元説明会、施行(工事監督)などいろいろなことを勉強させてもらえた。そんなある日、先輩から当時の農業土木試験場に水産土木という新しい分野が出来るがどうかとの声がかかり、新しい分野を覗くのも面白そうとほんの2、3年のつもりで出向いたのが研究との出会いで、その後30年余も研究に籍をおくことになりました。
 東北区水産研究所でも、土木学会にも属し続け「土木人間」を通したが、土木の有り難さは良くも悪くも関係した構築物がかなりの期間目に触れる場所に残ることにある。この面から農水省時代を振り返ると、最初の復旧なった干拓地の他用途転売は決まっていた(職場には知らされていなかった)が、その転売先がなかなか決まらず5、6年を経て貯木水面となり、折角修復した堤防を切って海とつなぐことになった(現在は完全な陸域)。農業水利事業での水路工事は、東海道新幹線が矢作川付近を通過するとき「あ、あそこに・・・」と眺めることができる。しかし、矢作川の現場を離れ30年余、矢作川は河床低下が激しく30年以前の取入れ口では満足に河川水を取入れることが出来ず、現在第U期工事を行っている。
 水産土木での構築物といえば、佐渡・加茂湖のポンプ施設、岩手県種市の増殖溝、田老の消波循環流工などの漁場造成施設に参画させてもらった。現在の加茂湖におけるポンプによる外海水導入の効果についてはよく分からないが、岩手県下では約20年経過して漁場として確実に使用されている現場を見させていただいて感激したことがある。
 陸域においては社会経済的情勢の変化、ダムによる河川土砂輸送量の減少などの環境変動の影響が大きく農業土木の構築物の機能が発揮されない事例が多いようである。参画した水産土木の構築物の場合、そのような社会経済的または自然環境的変動の影響がたまたま小さかったことが幸いしたかと思われる。
 平成8年、建設省は河川整備の方向を見直し「山から海まで水系一貫の観点から適切な量、質の土砂移動を目指した総合的な土砂対策を確立」する方向を定めている。この施策により筆者は「土砂がダムに溜まり、海岸では浸食が進行する日本列島断崖化」がくい止められることを期待し、さらにダムの堆砂を河川に放流することを願うものである。しかし、河川から昔のように土砂が輸送される事態となれば、河川水の濁度の増加、漁港の埋没など水産への影響も予想される。濁度の水産生物への影響については、今後河川管理者から水産研究者へ問いかけがくることが十分考えられます。心の準備をお願いします。例えば、洪水の水産生物への影響は濁度の面、流量(流速)の面での検討が考えられますが、それぞれについて検討されていれば結構ですが、もし検討されていなければ是非ご検討頂きたいと申し上げましてご挨拶といたします。
(9.10.1退職 元企画連絡室長)

Toshifumi Noma

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