KIWIの国の土産話

河村知彦


目次
ネルソンでの生活
コースロン研究所
自然と人々 −移生物と移民−
アワビ漁業と養殖
研究の成果
おわりに
引用文献

 飛べない鳥「KIWI(キーウィ)」は、世界中でニュージーランドにだけ生息する変わった鳥です。国鳥に指定されていて、国のシンボル的存在ともなっています。ニュージーランド人の俗称も「キーウィ」です。また、ニュージーランドの代表的果物である「キーウィ・フルーツ」は、見た目が鳥のキーウィに似ていることから名付けられたのだそうです。しかし、多くの日本人にとってニュージーランドと言えば、「羊と花の国」という代名詞が思い浮かぶのではないでしょうか。近年ニュージーランドは、私達日本人にとってオーストラリアやハワイに次ぐ人気の新婚旅行地となりつつありますが、多くの新婚さんはこの「羊と花」それに緑ときれいな湖を求めてこの国を訪れるようです。加えて最近のアウトドアブームでもまた、トランピングやフライフィッシング、トローリングなどを目的として、ニュージーランドは一躍脚光を浴びています。
 私は1996年7月始めから1997年6月末までの一年間、この「キーウィ」の国に家族ともども滞在し、研究をする機会をいただきました。一年間の出張(オールギャランティー)を終えて、私達が体験したニュージーランドでの生活、この国の人々や自然について、また研究の成果についても、この紙面をお借りして若干の紹介をしたいと思います。

ネルソンでの生活
 私達が一年間を過ごしたのは、ネルソンという南島の最北端にある人口4万人ほどの田舎町です。私はそのネルソンにあるコースロン研究所で主に研究を行いました。田舎町とは言っても、人口340万人ほどのこの国では、ネルソンは10番目くらいに人口の多い南島北部の中心都市です。本州と九州をあわせたほどの面積を持つ国土に日本の35分の1ほどの人間しか住んでいないのですから、羨ましい限りです。ネルソンは「Sunny Nelson」というニックネームを持っていますが、そのニックネームが示すとおり晴天率が高く、長いこと雨が降り続いたという記憶はありません。ビーチが有名なリゾート地ということもあってか、非常に明るく開放的な雰囲気がありました。街の規模も4万人の市にしては大きく、特に夏の間は活気に溢れていました。必要なものはほとんど手に入れることができ、特に不自由は感じませんでした。日本食レストランも一軒あり、ネルソンに住む数十人の日本人の憩いの場となっていましたが、そこの寿司は結構いけました。食料品は輸入品を除けば概して安く、特に地元で取れる野菜や果物は、間違いではないかと思ってしまうほど安い値段が付いていました。たとえば、キーウィ・フルーツは最盛期には20個くらい入った袋一つが1ドル(約80円)くらいで売られていました。野菜や果物の種類は非常に豊富で質も高く、一部の和野菜を除けば日本で売られているもののほとんどをスーパーで買うことができますし、日本では見かけないものも結構あります。肉類は、日本人好みの薄切り肉は特別に注文しないと手に入りませんし、質自体も全体としてそれほど高いとは思えませんでしたが、やはり驚くほど安く売られていました。例外的に私達がおいしいと感じた上質のフィレ牛肉(それがおそらく最も高価でしたが)が100gで2ドル(約160円)程度でした。私たちは家では主にニュージーランド米を食べていましたが、これは非常に安くしかもおいしいものでした。もちろん「ササニシキ」や「コシヒカリ」などの日本の高級な米に比べれば味は落ちますが、十分おいしく食べられます。これらの米が安い価格で日本に入ってきたら日本の稲作はどうなるのか・・・という不安がふと頭をよぎりました。醤油、味醂、わさび、のり、鮨酢などもスーパーで手に入れることができます。けっしておいしくはありませんでしたが、豆腐もニュージーランド製のものが売っていました。ニュージーランド料理というのは特にないようですが、羊の肉が牛肉と同じくらい好まれていて、日本では珍しい鹿の肉「ベニソン」が比較的普通に食べられているようでした。肉の入ったパイ(私の大好物)やソーセージも多く売られています。魚はフライとして食べられることが多く、街のいたるところに「フィッシュ・アンド・チップス」と呼ばれるファースト・フードの店があります。パンは、さすがに主食だけあっていろいろな種類のもの(日本ではあまり見かけないブラウン・ブレッドが主流です)が売られており、どれもおいしいものでした。
 食べ物で困ったのは、ネルソンには魚屋が二軒しかなく、売っている魚も数種類に限られていることでした。魚を生で食べるという習慣がないせいか、特に新鮮な魚はなかなか手に入りませんでした。例外的に、養殖が行われているサケ(キングサーモン)はスーパーでも割と生きのいいものを手に入れることができました。もちろんスモークサーモンも安く手に入ります。また、これも養殖が盛んなマッスル(ミドリイガイ)はいつでも生きたものを買うことができ、これも美味でした。スモークや酢漬けにされたものも売っていますが、これもなかなかのものです。イガイは日本では厄介な付着生物としてしか見られていません(日本のものは主にムラサキイガイです)が、今後食用として利用できないものでしょうか(フランス料理やイタリア料理にはよく使われていますが、これは輸入物でしょう)。季節によっては、カキ(主に2種類、日本のマガキも養殖されている)とホタテ(日本産のホタテよりは小さい別種)も生きのいいものが手に入ります。注文するとクレイフィッシュ(伊勢エビ)も生きたものを取り寄せてくれます。日本の伊勢エビとは別種ですが、見た目も味もアメリカ産のロブスターよりは伊勢エビに近いものです。こちらの他の食料品と比べるとかなり高価ですが、小売価格で1キロ(約2尾)50NZドル(約4千円)程度ですから、日本での伊勢エビの価格から考えるとずいぶん安いと思います。これらは例外ですが、おいしい魚を食べるためには、基本的には自分で釣るしかありませんでした。後程詳しく述べますが、アワビも魚屋で購入することはできません。素潜りで取ることは許可されていますが、制限サイズを超えるものをネルソン近くで取るのは普通の人にはかなり難しいと思います。ニュージーランドに一年住んでみて、私達には日本食がやはり不可欠なことがよく分かりましたし、日本食には米や醤油とともに魚や海藻が付き物であることも再認識しました。水産物は日本人が日本人であり続けるために必要なものであり、水産業は稲作とともになんとしても守っていかなければいけない産業であることを痛感しました。
 工業製品の多くは輸入品で、日本とほぼ同じくらいの価格で売られていますが、食料品の安さから見るとすごく高く感じられました。特に驚いたのは、車の価格です。車もすべて輸入車で、その多くが日本車です。新車の価格は日本よりやや高い程度ですが、中古車の価格がものすごく高いのです。私は、1986年製のスバル・レオーネ・ツーリングワゴン(4WD)を購入しましたが、価格はかなり値引きをしてもらって1万ドル(約80万円)でした。例外もあるでしょうが、日本では10年落ちの車はほとんど売り物にならないのではないでしょうか。ちなみに1年乗って帰国する際に、この車は6,500ドルで売れました。ちょうど折悪く、新聞やテレビで日本から輸入される中古車の質の悪さ(距離計を不正に動かしたりしている車が多いことなど)が大きく報道されており、当初の予想よりかなり安くでしか買い手が見つかりませんでした。それにしても、ニュージーランドの人たちは物を大事に長く使います。私が見たこともないような古い車が普通に走っていますし、電気製品や家具などもかなりの年代物を上手に使っている人がたくさんいます。多くの人が簡単な故障なら自分で直してしまうようです。家の売買もわりと盛んに行われていますが、古い家を買って自分で自分流に直してしまいます。上手く直せれば、買った時より高く売れるらしいのです。何でも新品にどんどん買い換えてしまう私たち多くの日本人とはずいぶん違います。
 日本と大きく異なる生活習慣で困ったことといえば、やはり「風呂」の違いでしょう。ニュージーランドの風呂は、バスタブに満々とお湯をためて入るようには作られていません。むしろバスタブのない家の方が多いようです。私達が借りていた家にはバスルームが2つありましたが、一方にはシャワーのみ、もう一方にはバスタブだけがありました。もちろん「洗い場」はありません。お湯は主に夜間電力で沸かしてタンクに溜めていたので、タンクのお湯を使いきってしまうともう翌朝までお湯が出なくなってしまいます。バスタブいっぱいにお湯を溜めると一杯で終わりになってしまいました。お湯に浸かる習慣がないのは西欧諸国に共通するものであり、むしろ日本が特殊であることはよく分かってはいましたが、思いっきり風呂を楽しめないのはやはり苦痛でした。特に、我々のニュージーランド生活が真冬の7月に始まったため、最初はシャワーを使うのが寒くて、なおさら風呂を恋しく思いました。
 もう一つ驚いたことは、食器の洗い方です。これは妻が息子の幼稚園に手伝い(園児の親が子どもと一緒に幼稚園にいて、先生の手伝いをすることが歓迎されている)に行っているときに気がついたことなのですが、洗剤で洗った食器を水で濯がずにそのまま拭いてしまうのです。あとから多くの人に聞いたり、実際に見たりして確認しましたが、これは特殊なことではなく、ニュージーランドでは一般的な食器の洗い方のようです。使った食器を泡ぶくぶくのシンクにつけてブラシでこすり、水と泡を軽く切った後は布巾で拭いておしまいなのです。日本では濯がずに洗剤付きの食器を拭いてしまう人はまずいないでしょう。洗剤が人体に悪影響を及ぼすであろうことは誰でも知っていることですし、もちろんニュージーランドの人も知識としては知っているのですが、それほど重大なこととは思っていないのです。そういう私自身、洗剤がどの程度人体に有害なのか詳しく知りませんし、食器の表面にわずかに残った洗剤がそう重大な悪影響を及ぼすとは思えません。むしろ排気ガスで充満した都会の街中で呼吸していることの方がよほど体に悪いに違いありません。それでも我々は食器を洗う際、洗剤を濯がずに拭き取ることはできません。常識の違いというものです。この食器の洗い方の違いは、風呂の入り方の違いとそっくりです。映画などで見るかぎり、西欧人は泡ぶくぶくのバスタブから上がると、お湯で身体を流すことなくいきなりタオルを身体に巻き付けて泡を拭き取っています。一般の人が実際にそうしているのかどうか聞いたことはありません(もちろん見たこともありません)が、バスタブとシャワーが別の部屋にあったりすることから考えれば、おそらくそうなのでしょう。

コースロン研究所
 私が客員研究員として滞在したコースロン研究所は、国公立ではありませんが、営利を目的としない半ば公の組織です。日本で言えば財団法人にあたるのでしょうか。今年で創立76周年を迎える歴史ある研究所です。元々は個人の遺産を資本金として、故人の遺志により公共の利益につながる研究を行うために設立されました。コースロンという名前はこの資本金出資者の名前です。研究所の運営、管理はニュージーランド議会の定めた条例に基づき、ネルソン市長、タスマン地区(ネルソンを含む地域)の長、ネルソン地区選出の国会議員、それにネルソン教会の大司教と彼らが選出する有識者6人の合計10人のメンバーからなる顧問委員会により行われています。研究所のスタッフは総勢80名ほどですが、そのうちの過半数は国や企業から委託される化学分析業務や環境コンサルタントを行っており、純粋に研究を行うスタッフは30名ほどにすぎません。それでもニュージーランドで海洋生物の研究を行っている2大研究所の一つです。もう一つは、国立の水圏・気圏研究所(NIWA)ですが、こちらは総勢500−600名の大研究所です。
 私はコースロン研究所とNIWAが企画したプロジェクト研究(アワビの初期生態に関する共同研究)のメンバーとしてニュージーランドに滞在しました。プロジェクト研究費は主にニュージーランド科学技術省から支給されていて、それに私を招聘するための旅費と滞在費の一部が含まれていました。私の滞在費の残りは、ASIA2000というアジアの国々との共同研究等を行うための基金を供給する財団から支給されました。当初の予定では、私は始めの9ヶ月間コースロン研究所に滞在し、残りの3ヶ月は首都ウェリントンにあるNIWAに移ることになっていましたが、結局1年間ずっとネルソンに滞在しました。 NIWAで私が主に共同研究を行うことになっていたPaul McShane博士が、私の滞在中にNIWAをやめてオーストラリアの研究所に移ることが決まったためですが、家族で引越しすると落ち着くまで時間がかかり、3ヶ月でまとまった仕事をするのは困難と判断したことも理由の一つです。それに、ネルソンの方が暮らしやすいと思ったためでもあります。ウェリントンは天候が悪く、特に一年中強い風が吹くことで有名で、お世辞にも住みやすい所には見えませんでした。さらに、コースロン研究所とNIWAはいわばライバルの関係にあり、近年両者の関係は必ずしも良好ではないことから、コースロンとしても私がずっとネルソンをベースに仕事をした方が都合が良かったようです。
 話がだいぶそれてしまいました。コースロン研究所の話に戻りましょう。研究スタッフ30名(このうち半数が研究者で半数がテクニシャン)といえば、ほぼ東北水研と同じ規模です。建物の規模もそれほど大きくはなく、職員の総数(約2倍)から考えれば東北水研よりも人口密度は高いかもしれません。研究機器の充実度は東北水研の方がはるかに高いと思いますが、研究者の水準自体は残念ながらコースロン研究所の方が上のようでした。パーマネントの職員は一人もおらず、所長を含めて全て短期の契約で雇われています。研究者も全てプロジェクトの研究予算で雇われているため、プロジェクトが終わってしまえばその後雇ってもらえる保証はありません。研究者は、プロジェクト研究の予算を申請する際に、実際に研究にかかる費用以外に自分の給料やテクニシャンの給料、研究所の維持経費なども要求しなければなりません。つまり申請が却下されれば給料ももらえなくなってしまうのです。実際には、前述した分析業務やコンサルタント業務等での利益などをやりくりしてアクシデントに対処し、急に職がなくなってしまうことがないようにはしているようですが、業績を残さないと簡単にくびになってしまうのです。それだけに皆真剣に研究に取り組んでいるように見えました。現在、力を入れている研究分野は、ミドリイガイ、アワビ、カキの養殖に関わる基礎・応用研究、タスマン湾(ネルソンの面している湾)砂浜域の基礎生産を中心とする生態研究、船のバラスト水(大量の荷物を運ぶ大きな船はバランスを取るために船底に水を入れているが、この水によって水中のいろいろな生き物が遠い外国にまで運ばれる)が生態系に与える影響の研究、貝毒プランクトンの研究、それに淡水のサケ・マス類の資源生態研究などです。特に貝毒プランクトンの研究では、ニュージーランドの中核的研究所となっています。
 人数が少ないせいかもしれませんが、研究所の雰囲気は和気あいあいとしていて非常に居心地のいいものでした。毎日、10時と3時にそれぞれ30分ほどのティータイムがあります。これはニュージーランド中で共通する習慣のようで、息子が通っていた幼稚園でもちゃんと10時にはティータイムがありました。多くの職員がこの時間にはティールームで顔を合わせて、いろいろな話に花を咲かせます。ティールームにはビリヤードの台とダーツボードが置かれていて、皆がかわるがわる楽しんでいました。毎週木曜日はガトーDayと言われ、午前のティータイムに誰か一人の当番が全員分(ガトーDayに参加するかどうかは自由ですが、ほとんどの人が参加していました。約70人分)のケーキを作ってくることになっていました(これはコースロン独特の催しのようです)。3月の最初の木曜日にとうとう私の番が回ってきました。自慢じゃありませんが、私の料理のレパートリーといえば、それまでカレーライスのみでした。最初は密かに妻に頼もうかとも思っていたのですが、みんなに事前に釘をさされてしまいました。私は一念発起してケーキ作りの特訓をしました。そしてケーキ作り(といっても私の作るケーキはごくありふれた物ばかりですが)が以外に簡単なものであることを知りました。要するにレシピどうりやればいいのです。問題は70人分のケーキをどう用意するかです。私は短時間で作ることができるチーズケーキを作ることにしました。ところが、数日前に友人たちにぜひ寿司を作って欲しいとせがまれてしまいました。以前に我が家で手巻き寿司を御馳走したことがあったのです。午前のお茶の時間に寿司というのは、私のセンスからはとても受け入れられるものではなかったので一旦は断ったのですが、とうとう押し切られて巻き寿司を作ることになりました。寿司が嫌いな人のためにチーズケーキも作ることにしたので、用意はさらにたいへんになってしまいました。結局、前日の夜に12個のチーズケーキ(直径20cmの丸型)を焼き、当日の朝は5時に起きて、30本の巻き寿司を作りました。がんばった甲斐あってどちらも好評でしたが、特に寿司は大人気でした。日本の素晴らしい食文化を彼らにうまく紹介できたかどうかはさだかではありませんが・・・。
 コースロンには、バレーボール、サッカー、それにカヌー・ポロ(カヤックを使って行う水球のような競技)のチームがありました。私はサッカーに加わっていました。チームはネルソン地区の6人制ミニ・サッカーのリーグに加盟していて、10月から3月までの毎週月曜日の夜に試合を行っていました。基本的に練習はしませんので、みんなが集まってサッカーをするのはこの試合の時だけです。夏の間は日照時間が長いため、9時近くまで照明無しで試合をすることができました。
 コースロンチームは、4つあるグレードのうち上から2番目のグレード(十数チームが属していました)でシーズン優勝を飾りました。チーム結成以来初の優勝だそうです。私もほほ全試合出場しました。活躍の程はともかく、サッカーは研究所のみんなと仲良くなるのに非常に役立ちました。

自然と人々 −移生物と移民−
 ニュージーランドを訪れる日本人観光客の多くは、緑の絨毯を敷き詰めたような大地とそこで草を食む無数の羊たち、街中の公園や大きな家々の庭に咲き乱れる花々を見て、ニュージーランドは自然に恵まれた国だという印象を持つに違いありません。実際ニュージーランドを紹介したガイドブックには、そのように誤解されるような言い回しが多く見られます。しかし実際には、それらはもちろん本来の自然ではありません。元々はうっそうとしたブナと羊歯の森で覆われていたところを、森を焼き尽くして牧草地にしたのです。
 現在では、標高1,000メートル以下の山や平地はほとんどが牧草地として利用されています。木が一本も生えていない緑の絨毯はあくまで人工的なものです。
 ニュージーランド人が日本を訪れて最もびっくりすることの一つに、これだけ多くの人が住む国であるのに少し郊外に出ればまだ豊かな森が残っているということがあるそうです。裏返してみれば、都会にそれだけ多くの人が集中して住んでいるということにもなりますが、日本には依然としてニュージーランドに比較すれば豊かな里山の自然が残されていると思います。しかし残念ながら、我々日本人の多くは日本の恵まれた自然環境に気がついていないようですし、その自然を守っていくことの大切さを今一つ認識していないと思います。きっとそれを失った時にはじめてその重要性に気が付くのでしょう。
 ニュージーランドの本来の自然が失われたのは、森を牧草地に変えたためばかりではありません。ニュージーランドは、オーストラリアにカンガルーなどの有袋類が出現する以前にオーストラリアと分かれて独立した島となったため、陸上に住む哺乳動物はもともとは2種類のコウモリだけしかいませんでした。天敵がいなかったため鳥たちは独自の進化をし、多くが飛ぶ能力を失ったり、地上で無防備に巣を作ったりするようになったようです。鳥だけでなく植物や爬虫類、無脊椎動物も独特の進化を遂げました。千年以上も前にこの島にポリネシアから渡来したマオリ人が、おもに飛べない鳥たちを食料として利用し、その結果11種いたと考えられている大型の飛べない鳥モアは全て絶滅しました。
 18世紀にイギリス人のジェームズ・クックがこの島を「発見」し、ヨーロッパ人が入植すると、彼らは祖国にあるもの全てをこの島に持ち込もうとしたようです。家畜やペットはもちろんのこと、狩猟用のシカやヤギ、ブタ、ポッサム、鳥などをヨーロッパやオーストラリアから連れてきて森に放しました。草食獣はこの島独特の植物を食い荒らし、ポッサムやイタチなどの肉食獣は地上を住み処とする鳥や昆虫たちに大打撃を与えました。現在30種を超える哺乳動物がこの国に「帰化」し、分布を広げています。ペットとして持ち込まれたり偶然に紛れ込んで繁殖に成功した鳥たちの数も多く、街中や郊外で見かける鳥の大半はこうした帰化種です。バードウォッチャーである私はニュージーランドで88種の鳥を見ましたが、そのうち27種は帰化種でした。最近トラウト・フィッシングの天国としてもニュージーランドは脚光を浴びていますが、実は主要な対象魚であるレインボー・トラウトとブラウン・トラウトは両方とも帰化種です。ヨーロッパ人たちは動物ばかりでなく多くの植物も持ち込み、それらは固有種のニッチを奪って猛烈な勢いで分布を広げました。そんなわけで、本来の姿をとどめたニュージーランド原始の森は今ではほとんど見られなくなりましたし、この国固有の鳥や小動物の多くは絶滅に瀕しています。現在、ニュージーランドは国をあげて残された自然の保全に努めています。天然林の残されている場所は、かなり小さな範囲でも保護地域に指定され、場所によっては立ち入りの制限されているところもあります。外国からの生物の持ち込みも厳しく規制されています。帰化動物の駆除もかなり本格的に行われていますが、焼け石に水といった感じは否めません。失われた自然を取り戻すのは想像以上に難しいのです。
 多くの自然が失われたといっても、日本と同じように山岳地帯の多い島国ですし、人間が少ないこともあって、奥地に行けばまだまだニュージーランド本来の自然を見ることができます。特に南島の西海岸や南部には、原生林が多く残されています。南島の西海岸は一年を通して雨が多く、レイン・フォレストと呼ばれる独特の森が発達しています。その最大の特徴は、大型のシダ類が繁茂していることです。実際の太古の森がどのようであったのか私には想像がつきませんが、映画「ジュラシック・パーク」に出てきた恐竜時代の羊歯の森を彷彿とさせるものがあります。実際、ニュージーランドには恐竜の子孫とも考えられている「トゥアタラ(むかしとかげ)」という爬虫類がいます。他のトカゲにはなく恐竜が持っていたと考えられている特徴の一つである、「生まれる時に卵の殻を破る角のようなものを持っている」ということがそう考えられる大きな理由のようですが、残念ながら現在では人の住んでいない離れ小島にしか残っていません。ニュージーランドの国鳥「キーウィ」は、日本人にも非常に有名ですが、このキーウィには実は3種類いることを知っている日本人はそう多くはないでしょう。2種類は絶滅に瀕していますが、ブラウン・キーウィと呼ばれる1種は幸いまだ比較的多数棲息していると考えられています。しかし、夜行性で非常に臆病なため野生の個体を見かけることはめったにありません。例外的に南島の南端に位置するスチュアート島に棲息するブラウン・キーウィの亜種だけは、夜行性がそれほど強くなく、人を恐れないので、比較的見られる可能性が高いということがネイチャー・ウォッチングの本に書いてありました。バードウォッチャーの私としてはこれを見ない手はありません。日本からやはり鳥好きの友人たちが遊びに来た時にあわせて休暇を取り、家族ともどもこのスチュアート島を訪れました。
 スチュアート島は、南島と北島に次いでニュージーランドで3番目に大きな島で、面積1,680平方キロといいますから、ちょうど佐渡島の2倍くらいの大きさがあります。南島の南端の町ブラフから高速フェリーで約1時間で行くことができますが、わずかに400人ほどの人が住んでいるに過ぎません。開発の手が及ばなかったため、豊かな原生林が残されており、その自然を求めて国内外から多くの観光客が訪れます。私たちが訪れたのは11月の終わりでしたから初夏だったのですが、真冬のような寒さでした。外を歩く時には分厚いオーバーに手袋という完全防備でしたが、それでも寒くて震えていました。さすがに南極に近いだけのことはあるなと思ったのですが、真冬に仕事(島にあるアワビの養殖場を訪れた)で再度この島を訪れた時には、さほど寒さを感じませんでした。島の住人にお聞きしたところ、暖流がこの島の周りを流れているため、緯度のわりには気温が下がらないということでした。11月の寒さは異常気象によるものであったようです。しかし2度の訪問とも天気には恵まれず、雨が降っていました。それもそのはずで、この島では1年のうち200日以上雨が降るそうです。南島の西海岸も同様に雨が多く、その雨が文字どおりレイン・フォレストを発達させているのです。
 さて、キーウィですが、島に行きさえすれば誰でもどこでも見られるというものではありません。私たちはお金を払ってキーウィ・ウォッチング・ツアーに参加しました。夜の9時頃に出かけて夜中の1時頃に帰ってくるツアーでしたので、最もキーウィを見たがっていた5歳の息子は妻と妹と一緒に留守番ということになってしまいました。もちろん私たちがキーウィを見に行ったことは息子には秘密です。ツアーに参加したからといって必ず見られる保証はありませんでしたが、幸いにも私たちはオス・メス各1個体ずつ2羽のキーウィを見ることができました。最初の1羽目は、森の中の小道を歩いている私たちの目の前に突然現れました。ガイドが「動かないで」とささやくと同時に彼の持っていた懐中電灯の光の中に1羽のキーウィが浮かび上がりました。姿といい、歩き方といい、まさに獣のような鳥でした。キーウィは何の躊躇もなく私たちの方に近づいてきました。なんと凍り付くように静止していた私たちに触れそうな位置までのこのこと歩いてくるではありませんか。しかし誰かがわずかに身動きをしたとたん、彼女は急ぎ足で森の中に戻って行ってしまいました。どうやらキーウィは全くといっていいほど目が見えないらしいのです。私はこの時、ジュラシック・パークに出てくるティラノザウルスを思い出しました。夜行性の肉食動物にとっては格好の餌食となるであろうことが容易に想像できました。冒頭で触れましたように、ニュージーランド人は自分たちのことを「キーウィ」と呼び、オーストラリアにおけるコアラと同じようにこの鳥をとても大切にしていますが、実際に野生のキーウィを見たことがある人はきわめて少ないそうです。私たちは非常に貴重な体験をしたのです。
 「キーウィ」と呼ばれるニュージーランド人ですが、その9割がヨーロッパ、特にイギリスからの移民の子孫です。イギリスからの植民が本格的に始まったのは19世紀半ばですが、現在でも移民の受け入れは続いています。ヨーロッパやオーストラリアとの間での人の出入りはかなり自由に行われているようです。ネルソンで私たちが知り合いになった人たちの中にも、最近ヨーロッパ等から移住してきた人も少なくありませんでした。コースロン研究所にも外国から移ってきた研究者が数人いました。母国語が英語というのは実に羨ましいことです。他の英語圏の国に移住するのは、私たちが国内で引越しするのとそう大差はないように見えます。私たち日本人の大半が今でも狭い日本列島にひしめき合って暮らしているのは、日本語が通じる国が他にないからに違いありません。先住民族であるマオリ人の数は30万人ほどですが、その多くが北島に暮らしています。イントネーションが日本語に似ているマオリ語も公用語となっていて、小学校などで教えているようですが、ヨーロッパ系住民の多くはマオリ語を話すことはできません。北島のオークランドやウェリントンではアジア系やポリネシア系の人も多く見かけました。南島では圧倒的にヨーロッパ系の人の割合が高く、南に行けば行くほどその傾向は強まるようです。アジア系やポリネシア系の人には南は寒すぎるのかもしれません。国民の8割がキリスト教徒ということですが、日曜日に教会に礼拝に行くような熱心な信者は少なく、特に若者の信仰心は薄いようです。平和な証拠でしょうか。
 1年間暮らしてみて、私が最も強く感じた日本人とニュージーランド人の違いは、「価値観」の違いです。移民の国ということで、もともと違った歴史と価値観を持った人たちの集合体ですから、よけいにその傾向が強いのかもしれませんが、価値観が人それぞれ異なっていて、何が良くて何がいけないという基準がはっきりしません。各人が自分流の「生き方」をかなり明確に自覚しているようで、他人の生き方を羨ましく思ったり、批判したりすることが少ないのです。息子の幼稚園での「教育」を見ていて気がついたのですが、これはどうやら小さい頃からの教育のされ方に根づいているようです。日本では幼稚園といえども一応カリキュラムというものがあって、毎日園児に何をさせるかがおおよそ決まっています。先生が園児に「今日は折り紙で遊びましょう」などと言って、みんなでそろって折り紙をするわけです。ニュージーランドの幼稚園では(少なくとも息子の通っていた公立の幼稚園では)、みんなにそろって同じ事をさせることが非常に少ないのです。幼稚園にはありとあらゆる子どもの「遊び道具」がそろっています。外で泥んこ遊びをする子がいると思えば、からだ中絵の具だらけにして豪快に絵を描いている子、粘土やブロックでわけの分からない芸術作品を創作している子、園に飼われているウサギやオウムと戯れている子、本を読んでいる子もいます。その日何をするかは園児それぞれが選択するのです。先生は子どもの遊びや創作活動の手助けをするだけです。朝一番と帰る直前に15分ほどづつ、みんなで集まって一緒に歌を歌ったりするのが唯一の団体活動です。「トライカスロン」とかいう名の自転車レースのような幼稚園主催のイベントが休日にあったのですが、これがまた非常に変わっていました。雰囲気は日本の運動会に似ていて、家族総出で観戦し、父母の有志がバーベキューやわたあめ、風船などを作って売っていました。売り上げは幼稚園に寄付され、運営費の足しにされます。何が変わっているかというと、レースそのものが変わっているのです。子供たちは自分の自転車を自分流に飾り付けして決められたコースをぐるぐると周ります。立派な自転車に乗っている子もいれば、ぼろぼろの三輪車に乗っている子もいます。飾り付けも人それぞれで、非常にユニークな飾り付けをしている子もいました。自転車ばかりでなくコスチュームにもみんな工夫を凝らしていて、さながら仮装パーティーのようでもあります。レースとはいっても、スタートが決まっているわけでもなく、順位付けがされるわけでもありません。ただ制限時間中、同じ所をぐるぐると周って自分の自転車とコスチュームをみんなに見てもらうだけなのです。もちろんどの子が一番良かったなどという評価をする人もいません。みんな自分で満足するだけなのです。それを見た時には理解に苦しみましたが、今思えばいかにもニュージーランドらしい催しであったと思います。
 小学校でも同じような教育方針が取られているそうです。機会は均等に与え、いろいろなことに挑戦する材料は提供するが、何をやるかはあくまで本人の意思によるのです。教えられることを吸収し、試験でいい点数を取ること、より難しい学校に進学することが唯一の正しい生き方とされてしまっているかのような日本の教育とは大きく異なっています。大人になっても人と同じ事をしたがる日本人の習性は、おそらく日本の教育の仕方によって形成されるのでしょう。ニュージーランド人は、人とは違った自分流の生き方をすることに楽しみを見出しているようでした。もっとも、どちらがいいかは分かりません。ニュージーランドでは、青少年の自殺率が非常に高いそうです。自分流の生き方が見つけられずに脱落していく子供たちも多いのかもしれません。
ニュージーランドの代表的風景?
マールボロ・サウンド
マウント・クック
ミルフォード・サウンド
羊歯の原生林
ブラウン・キーウィ

アワビ漁業と養殖
 もちろん私はニュージーランドに物見遊山に行ったわけではありません。アワビの初期生態の研究をしに行ったわけで、ちゃんと仕事もしてきました。研究の具体的成果についても後で述べますが、まず研究のバックグラウンドであるニュージランドのアワビとその漁業について触れておかなければなりません。しかし、それについては日本海区水産研究所の林育夫さんが既に詳しく報告されています(林 1995a、b)ので、ここでは簡単な紹介だけにとどめたいと思います。
 ニュージーランドにはブラック・フット、イエロー・フット、ホワイト・フットとそれぞれ呼ばれる3種のアワビが生息しています。いずれも日本のアワビと同じHaliotis属に属していますが、遺伝的にはそれほど近い種類ではありません。そのうちホワイト・フットは成長しても6cmほどにしかならず、漁獲の対象とはなっていません。残り2種類が漁獲されていますが、特に大型で美しい貝殻を持つブラック・フットが主要な対象種となっています。ライセンスを取得した漁業者だけが毎年決められた海域で割り当てられた量を取ることができます。漁獲の方法は素潜りに限定されていて、漁獲できるサイズの制限も設けられています。漁業者の数はニュージーランド全体でも300人あまりにすぎません。日本でも漁獲の制限は様々な方法で行われていますが、その多くがそれぞれの漁業組合によって自主的に行われているものです。ニュージーランドでは、すべての制限が農水省によって設けられています。実際にはNIWAの研究者が、資源量を推定してそれぞれの海域の漁業者数と漁獲量を決定しています。漁業者ではなくても、自分で食べる分であれば誰でも1人10個まで素潜りで取ることが許されています。もちろんサイズ制限は守らなくてはいけません。しかし、この漁業者以外の「アワビ採り」はそれほど人気があるようではありませんので、資源量全体に大きな影響を与えることはないと思います。アワビの資源量は昔に比べればずいぶん落ち込んだという話ですが、現在は資源管理がかなり徹底して行われていることもあって、まだ健全な個体群が残されている場所がかなりあるようです。私も何ヶ所かで海に潜ってみましたが、比較的アワビが多いといわれる場所ではたしかに驚くほど多くのアワビが生息していました。海底の岩盤には大きなブラック・フットが折り重なるように付着し、切立った岩盤の壁面にはイエロー・フットが点々と付いていました。かつては日本沿岸でもこういった光景があちこちで見られたに違いありません。
 マオリの人たちはアワビを良く食べるようですが、ヨーロッパ系の人々にはアワビはあまり人気がないようです。したがって、漁獲されたアワビの肉は大半が主にアジアに輸出されます。ブラック・フットはその名のとおり軟体部の表面が真っ黒(内部は白色ですので、切り身にすると白黒のコントラストがなかなか美しいのですが)で、アジアではこの黒色が嫌われるため、漂白してから缶詰にされて輸出されています。真珠層が非常に美しい殻は、肉とは別に貝細工の材料として使われています。産業として将来性があるのは、漁業ではなくむしろ養殖のようです。現在10社ほどの民間業者が養殖を試みていますが、まだ事業をはじめたばかりで、どうやら採算が取れているのは2、3社にすぎません。アメリカや日本の技術をベースに独自の方法を考案していますが、技術的にまだ未完成な部分が多く、種苗の生き残りが非常に悪いのです。しかし、大きな業者はいずれも最低一人は生物学者を雇用していて、かれらがNIWAやコースロンの研究者から情報を得ながら技術の向上を図っていますので、今後徐々に良くなっていくものと思われます。
 水産業は、これからのニュージーランドを支える有力な産業の一つに挙げられていて、研究機関もアワビやクレイフィッシュ(伊勢エビ)など有望な対象種の養殖技術の開発に力を入れはじめています。私がニュージーランドに呼ばれたのも、そもそもアワビの種苗生産技術を向上させるのに私の研究が役に立つと思われたからです。生鮮食品としてのアワビの値段が非常に高い日本は、養殖したアワビの市場として有望視されていますが、真っ黒な肉の色が日本人好みではないことが危惧されていて、肉の色を遺伝子操作によって変えようという試みさえ考えられているようです。私個人の感想としては、肉の表面の黒色はそれほど気になりませんし、味もなかなかですので、日本の市場に安く入ってくれば充分受け入れられるのではないかと思います。味の点から言えば、ブラック・フットよりも少し小型のイエロー・フットの方がおいしいように思いました。ただイエロー・フットは、産卵や初期稚貝の管理がブラック・フットよりさらに難しく、種苗生産技術の開発にはまだ時間がかかりそうです。しかし、日本のアワビ漁業の発展をめざして研究を行っている私としては、外国から安い良質のアワビが入ってくることを必ずしも喜んでばかりはいられません。輸入アワビに対抗する手段を日本のアワビ漁業も持たなければならないでしょう。私たちアワビを研究するものの緊急の課題の一つです。肉とは別に、アワビの殻から真珠を作る試みも始まっています。こちらの将来も、これからの技術の開発に委ねられています。

研究の成果
 私の場合、ニュージーランド側から旅費と滞在費、研究費を支給されるオールギャランティー出張でしたので、コースロン研究所が中心となって行っているプロジェクトの課題に沿った研究をする義務をある程度は負わされていました。東北水研の私たちの研究グループは、エゾアワビの初期生態の研究を行っており、これまでに変態直後からの初期稚貝の食性を明らかにしてきました(Kawamura et al. 1995、Kawamura 1996、河村 1997、Takami et al. 1997など)。特に、これまで初期稚貝の主要な餌料と考えられていた珪藻のなかでも、実は初期稚貝が餌料として利用できるのはごく一部の種類に限られていることを見つけました(Kawamura et al. 1995)。アワビの稚貝は珪藻の珪酸質でできた固い細胞壁を消化管の中で壊すことが基本的にはできないのです。したがって、珪藻細胞の中身(細胞質)を摂取するためには、稚貝は珪藻を基質から剥ぎ取る際に細胞壁を物理的に壊す必要があります。基質に強固に付着する珪藻と例外的に細胞壁が非常に薄い珪藻だけが、稚貝の歯(歯舌)で擦り取られる際に細胞壁が壊れ、結果として稚貝は細胞質を利用することができるのです。それ以外の多くの珪藻は、細胞壁を破壊されることなく取り込まれ、ほとんどが生きたまま排泄されてしまいます。殻長1mm程度までは、珪藻の細胞外に分泌する粘液やバクテリアなどを食べて成長しますが、その後大型海藻の幼体などを食べることができるようになる殻長5mmくらいまでの稚貝は、このようなまる飲みにされる大部分の珪藻を餌とした場合には、良好に成長することはできないと考えられます。着底直後から殻長5mmくらいまでの期間は、自然環境下でも種苗生産工程においても最も減耗の大きい時期であり、その時期の最適餌料の解明は国内はもちろんのこと海外においても最重要課題の一つに挙げられていました。日本の多くのアワビ種苗生産施設で浮遊幼生の付着板として利用され、その後の餌料の供給源にもなっているいわゆる「なめ板」は、付着力が強く稚貝になめ取られる際に細胞が壊れやすい珪藻が優占しているため、餌環境としても理想的なものであることがわかりました(Takami et al. 1997)が、「なめ板」の作成にはかなりの期間と労力を必要とし、必ずしも使いやすいものではないため、種苗生産施設では「なめ板」に代わる最適な餌料の選択と供給が重要な課題となっています。説明が長くなってしまいましたが、私がニュージーランド側から求められたのは、エゾアワビで明らかにしたのと同様の手法でニュージーランドのアワビの初期食性を明らかにすることでした。
 「健全なアワビ個体群とその生息環境を自分の目で見て、日本のアワビの生息環境との違いを見つける」というのが、私がニュージーランドで研究を行いたかった最大の理由でした。日本では、アワビ類の資源の回復を目的として種苗の大量生産技術が開発され、1970年代以降種苗の放流事業が続けられていますが、残念ながら資源の顕著な回復は未だに認められていません。漁獲量に占める人工種苗の割合は年々増加していますので、種苗放流の効果はあるのです(放流しなければさらに漁獲量は減少するでしょう)が、天然の稚貝加入量が減少しているため資源量自体が増加しないものと考えられます。稚貝加入量の減少原因にはいろいろなことが可能性として考えられていますが、明確な原因は未だに明らかにされていません。私自身も、稚貝加入量が減少した理由として、私たちが明らかにしてきた成長に伴なう稚貝の食性の変化から考えられるある一つの仮説を持っていますが、エゾアワビの生息する東北地方の太平洋岸では現在その仮説を実証できる場所がありません。継続して天然稚貝が高密度に発生している場所がないのです。前述したように、ニュージーランドではまだ健全なアワビ個体群が残されていて、稚貝も継続して発生していると思われますので、稚貝が発生しなくなってしまった東北沿岸との違いを見つけられるかもしれないと期待したのです。実際、私はいろいろな場所で海に潜り、健全なアワビ個体群を見ることができました。日本の海との違いも幾つか見つけることができました。それは私の仮説を否定するものではありませんでしたが、仮説を裏付ける具体的データを取るにも至りませんでした。アワビの数が多いといっても初期稚貝を見つけるのはやはり難しく、まとまったデータを取るにはかなりの調査回数と調査点を設定する必要がありました。フィールドの調査を一緒にやることにしていたPaul McShaneがオーストラリアに移ってしまったこともありますが、そういうまとまった調査をするには1年の滞在は短かすぎました。要するに、フィールドの仕事は大幅に縮小せざるをえなかったのです。そのかわり、実験室での仕事は非常に充実したものでした。
 実験室でアワビの食性を明らかにしていく仕事は、コースロン側からの要望でもありましたが、ニュージーランドと日本のアワビ資源の状態を比較する上でも、食性の相違を把握しておくことは不可欠なことです。また、南アフリカのアワビでは、私たちの研究結果とはやや異なる初期稚貝の食性が報告されていました(Matthews and Cook 1995)ので、遺伝的にエゾアワビと近縁ではないニュージーランド産のアワビで稚貝の食性を調べることには、当初からたいへん興味を持っていました。すべての研究は、コースロンの研究者でそれまではアワビの着底機構の研究を主に行っていたRodney Robertsと彼のテクニシャンのChristine Nicholsonと一緒に行いました。研究のもともとの手法やアイデアは私から出たものでしたが、実際に実験の組み立てから分担、データのまとめ方、結果の公表の仕方やタイミングに至るまで細かく打ち合わせをする必要があり、その多くの過程でRodneyと私の意見が一致しないことが多々ありました。議論になると、当たり前のことですが、英語の下手な私は圧倒的に不利で、初めのうちはしばしば自分の主張したいことの半分も言えずに意見を取り下げなければならないこともありました。彼が私の言いたいことを推してくれることもたびたびでしたが、そういう時にも言葉が上手く出てこない自分に腹立たしい思いをしなければなりませんでした。しかし、お互い苦労してコミュニケーションをはかり徹底的に議論をしたお陰で、結果的にはいい仕事ができたと思いますし、いい友人にもなれました。
 苦労の末に生み出された実験結果からわかったことは、ニュージーランドのブラック・フットも日本のエゾアワビと基本的には同じ食性を持っているということでした。着底後2、3週間は粘液物質を主な餌料とするためどんな珪藻(珪藻以外でも)を食べても同じように良く成長できますが、その後は摂餌の際に細胞殻を分解できる特定の珪藻でだけ良好な成長を得ることができました(Kawamura et al. 1998)。同時に、その食性の変化のメカニズムについてもある程度の答えを得ることができました(Roberts et al. in 1998)。今後、私が長期間ニュージーランドに滞在して研究を行う機会はもうないかもしれませんが、コースロンのアワビ研究チームとはこれからも共同で研究を行っていきます。ニュージーランドと日本のフィールドでの観察結果を比較する上で、両種のアワビで初期の食性が共通していることが判ったことは非常に大きな収穫であったと思います。
3種のアワビ
アワビ(ブラック・フット)の生息状況

おわりに
 言葉も習慣も違う国で、常識も考え方も異なる研究者と一緒に研究を行うことは、想像以上に大変なものでした。言葉の障害はやはり大きく、最初の数ヶ月は思ったように仕事が進展せず、いらいらが募るばかりでした。家族にとっても言葉や食生活の違いは大きなストレスを生んだようで、皆初めのうちは早く日本に帰りたいとばかり思っていました。しかし、私たちの下手な英語にもめげずに辛抱強く付き合ってくれた人たちとは、本当にいい友達になれました。一旦慣れてしまうと、ニュージーランドのいい点がどんどん見えてきて、暮らしも快適になりました。あと2、3年も滞在すれば、言葉の問題もなくなり、何の苦労もなく暮らせるようになったでしょう(?)。出張で行ったのでなかったら、そのまま住み着いていたかもしれません。それほどニュージーランド(ネルソンだけかもしれませんが)は素晴らしい国でした。外から日本を見ることができたのも、大変いい経験でした。日本のいい点、悪い点が良く見えたような気がします。私自身の今後の研究にとって重要な1年であったことは間違いありませんが、東北水研のアワビ研究チームにとっても有益な1年であったと思います。
 最後になりましたが、この素晴らしい機会を与えてくださった研究課、東北区水産研究所をはじめ水産庁の関係各位とコースロン研究所をはじめニュージーランドの関係者の方々に厚く御礼申し上げます。また、留守中様々なご迷惑をおかけした東北水研資源増殖部の方々、特に山下室長はじめ魚介類増殖研究室の皆様には心より感謝しています。ネルソン滞在中、研究活動のみならず何から何まで面倒を見ていただいたコースロン研究所のHenry Kaspar研究部長、Rodney Roberts氏、Christine Nicholson氏にもあらためてお礼を申し上げたいと思います。

引用文献
林 育夫 1995a. ニュージーランドのアワビ漁業の現状.ちりぼたん,26,12-16.

林 育夫 1995b.ニュージーランドの水産研究所訪問ーその感想文ー(中編).日本海区水産試験研究連絡ニュース,373,19-24.

Kawamura, T. 1996. The role of benthic diatoms in the early life stages of the Japanese abalone Haliotis discus hannai. In: Survival Strategies in Early Life Stages of Marine Resources (eds. Y. Watanabe, Y. Yamashita and Y. Oozeki), 355-367, Balkema, Rotterdam,367pp.

河村知彦 1997.アワビ初期稚貝期における付着珪藻の餌料価値.平成7年度東北ブロック増養殖研究連絡会議報告書,45-52.

Kawamura, T., Roberts, R.D. and Nicholson, C.M. 1998. Factors affecting the food value of diatom strains for post-larval abalone Haliotis iris. Aquaculture, in press.

Kawamura, T., Saido, T., Takami, H.and Yamashita,Y. 1995. Dietary value of benthic diatoms for the growth of post-larval abalone Haliotis discus hannai. J. Exp. Mar. Biol. Ecol., 194, 189-199.

Matthews, I. and Cook, P.A. 1995. Diatom diet of abalone post-larvae (Haliotis midae) and the effect of pre-grazing the diatom overstorey. In: Progress in Abalone Fisheries Research.  Proceedings of the Second International Symposium on Abalone Biology, Fisheries and Culture. Marine and Freshwater Research, 46, 545-548.

Takami, H., Kawamura, T. and Yamashita, Y. 1997.Survival and growth rates of post-larval abalone Haliotis discus hannai fed conspecific trail mucus and/or benthic diatom Cocconeis scutellum var. parva. Aquaculture, 152,129-138.
(資源増殖部 魚介類増殖研究室)

Tomohiko Kawamura

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