水研を去るの記

河井智康

経歴:平成2年4月 資源管理部長

 「旧き良き時代」という言葉がある。今の世相を見るにつけ、私も相対的にはその時代に生きてきた幸せ者の一人のように思われる。それは決して平坦な幸せな人生を意味しない。1936年(昭和11年)生まれは、その年の2.26事件から日本が軍国主義をひた走り、第二次世界大戦敗戦を小学校3年で迎え、以後も波乱に満ちた人生を送らざるを得なかった。食料難時代には栄養失調となり、就職難時代にも遇い転職する者も多かった。しかし常に何かが人々の心をプラス志向に働かせ、世の中が悪ければ自分の力と努力でよい方向に変えていこうと考える人が多かったように思う。
 水研の機構問題でもそうだった。東海水研の筑波移転は運もあったが完全に撤回させることができた。今回の体制確立までにも全水研をあげての大闘争の中で多くの条件をかちとったといえよう。とりわけそのなかで展開されていた東海水研の所長人事公選制の動きでは、単に所長人事だけでなく、かなりの長期にわたって水研人事の民主化に貢献した。また水研への経済研究部門の導入にも全水研的な運動が大きな役割を果たした。
 つまり「旧き良き時代」とは、皆がその気になれば自分たちの努力で世の中を変える展望がもてた時代と私は解する。それは日本全体が、戦後の復興という命題の中で多数の力に依存しなければならなかったという客観的条件があったためでもあろう。水産の研究発展への期待も今以上に一人一人の方にかかっていたことも確かなことだった。
 それはまた社会の変革についてもいえた。一回一回の選挙が確実に日本をよりよい方向に動かしているという実感がもてた。今のように「誰がやっても同じ」だと嘆く必要がなかった。ではなにが「良き時代」を古いものにしてしまったのだろうか。それは日本社会の目先の「利潤追求主義」の膨張によるのは間違いないが、そこから生まれた「多忙」の2文字が国民を縛り付け、それからを一人一人が抜け出せないところに大きな問題があるのではなかろうか。その間に世の中はどんどん住み難くなった。世の中はよくなってこそ人類の進歩があった証しである。だが、そんなことを心配しているヒマもないようだ。
 「多忙」を理由に他を振り返らないところに「多忙」からの抜け道はない。「多忙」との戦いこそが今問われているように思う。この呪文から自らを解放し、皆で「新しき良き時代」を作ろうではありませんか。
 永年の水研のみなさんの友諠に感謝しつつ、「水研を去るの記」とさせていただきます。どうもありがとうございました。

(前 資源管理部長)

Tomoyasu Kawai

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