サソリ、オオトカゲ、ニシキヘビ、コブラ、クロコダイル

山下 洋


 平成7年12月に3週間、平成8年には11月に約1カ月間、国際農林水産業研究センター(以下JIRCAS)の汽水域プロジェクト(熱帯・亜熱帯汽水域における生物生産機構の解明と持続的利用のための規準化)の短期派遣研究員としてマレーシアに滞在した。昭和63年に米国に10ヶ月間滞在して以来7年間、一度も外国に出たことがなかった。そのため、1回目の訪問では成田エクスプレスが空港に到着する直前まで空港ターミナルが2つあることも知らずに、小説などを読みふけっており、列車内でのアナウンスに大あわてした。先が思いやられることしきりであった。
 本プロジェクトの目的やその概要についてはJIRCASの印刷物(たとえば国研セ研究会報3号)を参照頂きたいが、私の分担について簡単に紹介したい。本プロジェクトの主題は、マングローブ汽水域の生物生産機構を解明し、特にマングローブの伐採が生物生産にどのような影響を与えるかを明らかにすることである。私自身は、政府の管理下にあるマタン・マングローブ林(写真1)と乱開発されているメルボック・マングローブ林(写真2)における魚類生産構造の解明とその比較に関する研究の一部を担当し、具体的には、日齢査定(写真3)等を用いてカタクチイワシ類仔稚魚の生産量の比較を試みた。研究結果については近い将来印刷されるであろう研究報告を読んで頂ければと思う。また、マングローブ林やそこでの漁業など私たちの調査フィールドの様子については、西海区水産研究所の小菅丈治氏が西海区水産研究所ニュース85号で詳しく紹介している。そこで私は本プロジェクトの海外出張報告番外編として、小菅氏の報告と若干重複する部分もあるが、私が見聞きした範囲で研究も含めたマレーシアの社会や生活について御紹介したい。今後いっそう拡大するであろう水産研究所と東南アジア諸国との共同研究の推進にあたり、その国の社会的背景や生活の一端を知っておくことも何かの役にたつかも知れない。

マレーシア

 マレーシアは人口1900万人の多民族、多宗教国家である。マレー半島とボルネオの北半分からなる13州によって構成されている。各州にはサルタンと呼ばれる王様がおり(写真4)、国王はその中から選ばれるが日本と同様に象徴であり実権はない。人種構成は、マレー人50数%、中国人約30%、インド人約10%、残りはその他である。マレー人の多産に対して中国人家庭では少子化が進んでおり、最近15年で中国人の人口割合が5%も減少したことに華人社会は危機感を募らせている。マレー人のほとんどはイスラム教徒、インド人はヒンドゥー教徒、中国人の多くは仏教徒である。イスラム教徒は豚を食べず、さらに“HALAL”というお祈りを捧げた後に処理した畜肉以外は食べることができない。もちろん酒は飲まない。マレー人が“NON-HALAL”の中華レストランに行くことはないし、中国人がマレーレストランへ行くこともあまりないようである。必然的に食事をする場所は人種ごとに別々になることが多い。私たちの研究チームのマレーシア側のメンバーは全てマレー人だったので、昼食はよく一緒に食べたが(写真5)、たまに一緒にとった夕食の場合は、4回目のお祈りののち午後8時頃から始めなければならなかった。彼らは甘いジュースを飲みながらつきあってくれた。イスラム教徒は1日に5回お祈りをしなければならない。合理的な中国人が束縛だらけのイスラム教に改宗することはほとんどないという。このような状況で、彼らは人種ごとの社会を形成し、混血もまれなようだ。マレーシアという国は独立した人種社会の集合体として形成されている。
 一見異なる人種がうまく共存しているように見えるマレーシア社会であったが、この国には1つ大きな問題点があった。マレーシア憲法はイスラム教を国教として規定しており、マレー人は“Bumiputra(sons of the soil)”と呼ばれ、政府のマレー化政策によりあらゆる面で優遇されている。政府の要職も主にマレー人で占められ、身近な例でいえば、大学の人事や日本への国費留学生の選考もマレー人が優先される。シンガポールはこの政策に反発した中国人を中心に、1965年にマレーシアから分かれて独立した国である。マレーシアのマハティール首相は1981年以来15年間その職にあり、卓抜した能力、指導力、カリスマ性により民族間のバランスを上手にとりながら、シンガポールに次ぐ東南アジア第2の経済発展を実現してきた。しかし、彼の引退もそう遠くはない。後継者がイスラム原理主義者の突出や中国人のマレー人優遇策に対する強い不満を抑えられるかどうか、2020年に先進国入りするという目標までにはまだ多くの障害がありそうだ。人種問題やカルトを除く宗教問題があまり存在しない日本に生まれた好運を実感した。
 マレーシアの長年の宿敵でライバルが隣接する仏教国タイである。むかし文部省の海外学術調査のために2カ月ほど滞在したタイ国と比較してみると、宗教の壁の厚さがよくわかる。かつてはタイにおいてもタイ人と中国人の間に厳しい対立があり、タイ人による中国人排斥運動が起こったことがあった。その時、中国人の多くは中国名を持ちつつ公式な名前をタイ風に変えてしまい、現在も華人社会は存在するものの、ほとんどタイ社会にとけ込んでしまっている。バンハーン前首相をはじめ多くの政府要人が中国系タイ人であることは、日本ではあまり知られていないようだ。当時のカウンターパートでタイ国水産局に務める私の大学時代の同級生も、タイ風の名前を持つ中国系タイ人であり、夜になると彼や他の水産局の研究者と一緒によく飲んだくれたことを思い出した。
 すこし町にでてみよう。ペナンの町なかの様子は、イギリスが築いた町並みの一角を除くと、日本のテレビなどでも見かける東南アジアの雑踏そのものである。通りはまさに人種の坩堝だった。マレーシアは1957年に独立するまでイギリスの植民地であり、オーストラリアにも近いため白人も目につく。比較的色の白い中国人、かなり黒いマレー人、極めて黒いインド人。ちなみに私は北日本からやって来たにも係わらず、色、顔相ともにマレーらしい。インド人の骨格は明らかに他のアジア人とは異なっており、女性にはすらりとした美人が多い。ヒンドゥー教の新年に招かれたインド系の職員のお宅で出会った彼の妹も、えもいわれぬ美人であった(カメラを忘れたことを悔やん だ)。ちなみに、マレーシアでは人種ごとに3回の新年がありそれぞれ祭日となる。道路の状況にはすさまじいものがある。自動車に乗っていると小型のバイクが車線にお構いなく左右から追い越していくので、うかつに進路を変更することができない。また、2車線なら3台、3車線なら4、5台の自動車が並走することも珍しくなく、その間をバイクがすり抜けていく。2カ月弱の滞在で2度もバイクと大型車の致命的な事故に出会ってしまった。私は免許をとって以来22年間15万キロ無事故無違反を少しだけ自慢しているが、東南アジアでハンドルを持つ気にはなれない。町で見かける文字はほとんどすべてアルファベットか漢字である。そういえばタイなどで普通にみるサンスクリット文字やアラビア文字がほとんどない。マレーシアでは、いつの頃かはっきりしないが全ての表記をアラビア文字からアルファベットに変えたそうだ。日本のひらがなやカタカナと同じように表音文字なので、外来語、例えば、restoran, bas, teksi, universiti, sains & teknorogi などは日本人にも意味がすぐわかる。マレーシア経済の急速な発展の理由の1つにアラビア文字を捨てたことがあるかも知れない。公用語はマレー語だが英語もほとんどの人が理解できるので、タクシーの運ちゃんや食堂のおばちゃんとも意志の疎通ができた。中国人やインド人は家庭ではそれぞれの出身地の言語をしゃべり、外ではマレー語と英語を話している。
 さて、食べ物の話しをほんの少し。私はほとんど毎日、インディカ米に煮野菜と空揚げの魚や鶏肉をのせその上に幾種類かのカレーをぶっかけたマレー食を食べていた。きっと日本では食べる気にならないだろう。ところが、マレーの気候と風土にはマレー食が合う。食べ物に関して東南アジアで注意しなければならないのがコレラとA型肝炎だ。特に後者には不用心な日本人が多いようだが、命にかかわることもある。お尻に注射されるのでちょっと痛いけれども、私は出発直前に必ず予防薬のγ−グロブリンを注射してもらう。これでほんとうに大丈夫かどうかはわからないが、透明度10cmの河口の泥水でジャバジャバと洗って差し出された生ガキ以外はすすめられたものは全て食べた。

調査と研究

 私は主にペナンにあるマレーシア水産局の中央水産研究所(FRI:Fisheries Research Institute)に滞在して標本の処理や分析を行った。ここでの研究環境はやはり日本とはずいぶん異なった。マレーシアでの最大のサプライズに直面したのは2回目の訪問(96年)で最初にFRIに出勤した日であった。1回目の訪問時(95年)に調査計画等を相談し、96年の訪問ではわたし用に保管されたほぼ1年分の標本を使って様々な分析を行う予定であった。ところが、FRIに来てみると、標本がほとんどないのである。仔稚魚は1個体もなかった。こちらの研究者は、フィールド調査によって魚類標本を採集してくると、すぐに分類や体長、体重などの測定を行い、さっさと捨ててしまっていたのである。95年の訪問時に私自身が採集した標本も影も形もなかった。95年の予備調査のときにも、彼らが標本を捨ててしまうというので、このプロジェクトでのサンプルは絶対捨てないようにと何度も念を押したのだが、私の錆び付いた英語では、昼御飯の話し程度にしか聞こえていなかったのかも知れない。2つのフィールドそれぞれ10数点で毎月採集された仔稚魚から成魚まで約1年分の標本が全く残っていない。ただ絶句するばかりだった。私にとって不幸中の幸いが1つ、初年度の予備調査時にマタンとメルボックで採集した仔稚魚の標本を、それぞれひとつまみずつ日本に持ち帰ったものの、結局見る暇がなく再びマレーシアへ持ってきていた。当面その標本を用いて耳石日輪の分析を進め、再び両フィールドへサンプリングに出かけた(写真6)。12ヶ月分の標本のはずが同時期の標本2年分だけになってしまった。しかし、生態研究は体力、忍耐、柔軟性、観察力の勝負だ。限られた材料からいかに有効なデータを搾り取るか、これこそ生態学者の腕の見せどころである。
 FRIの勤務時間は午前8時から午後4時15分までで ある。残業する人は日本人を除いて皆無に近かった。職員は既に述べたように、マレー人、中国人、インド人であり、それぞれが独自の生活スタイルで仕事を行っていた。例えば、金曜日などはお祈りのために昼休みが2時間半もある。お祈りの時間には中国人やインド人は仕事をしたりぶらぶらしていた。極東を除くアジアでは一般的なことだが、ここでも正規の研究員はデータの解析や報告書の作成を行い、実際の調査や試料の分析はアシスタントの役割である。その結果、調査手法や生物の分類、試料の分析手法などについてはアシスタントの方がよく知っていた。何人かのアシスタントは中途半端な研究員よりもはるかに優秀であった。フィールドを注意深く観察せず、標本を見ず、分析をしないで生態研究の能力を磨くことはできない。2回目の訪問では、私のところにHaris氏という若いマレー人の研究員がカウンターパートとしてついてくれた。彼は私が教えた仔稚魚のソーティング、分類、耳石の取出しと計数、計測を全てひとりで行っていた。仔稚魚に触れるのは始めてだったそうだが、非常に意欲的で仔稚魚研究の専門家になりたいという希望を持っていた。1回目の訪問から彼がカウンターパートであったら、前述のサプライズもなかっただろうと悔やまれた。蛇足だが、FRIのトイレにはトイレットペーパーのかわりに大便器の横の水道につながれたホースがあるだけである。これもマレー化政策の一環なのか、国研のトイレはマレー式なのだ。一度うっかり紙を忘れてマレー式をトライする羽目になった。チームの一員である中央水研の田中勝久氏によると、ペナン国際空港のトイレにも紙はないそうだ。皆さん(トイレに)出かけるときは(紙を)忘れずに。
 表題のサソリ、オオトカゲ、ニシキヘビ、コブラ、クロコダイルはいずれもマレー半島に分布する生物である。幸いにも調査中にみることができたのはオオトカゲとヘビ類だけだった。サソリはジャングルや山奥にいて、しかも刺されても重大な事態には至らないそうだ。クロコダイルも川の中・上流のジャングル域に分布しているそうだが、最近クアラルンプルの近くで5mの個体が捕獲されたらしい。マレー半島のニシキヘビは全長15mにも達する世界最大のヘビといわれている。一昨年、何十年ぶりかに人が呑まれたそうだ。マレー半島にはニシキヘビも含めて139種のヘビの分布が確認されており、このうち約30種が弱毒種、39種が猛毒種である。39種中22種がウミヘビ、17種が陸生のヘビであり2種類のコブラも含まれる。コブラによってタイでは毎年数千人単位で死者が出ているが、マレーシアではそれほどではないらしい。もし不幸にしてヘビにかまれたら、とりあえずそのヘビをひっつかんで病院に急ぐのがいちばん。少なくともヘビの姿、形、大きさはしっかり覚えておく必要がある。私もマングローブ林の間のクリークなどで調査しているときに、しばしばwater snakeと総称されている何種類かのヘビを見た。その多くは弱毒性といわれている。また長期派遣研究員の早瀬茂雄氏は、調査具により96年だけで4度も猛毒のウミヘビを混獲した。採集物にはこの他にも毒棘を持つエイ類の幼魚やハチ(カサゴの類)などがまぎれており、コッドエンドにいきなり手を突っ込んではいけない。同じ汽水域プロジェクトの一環としてマングローブそのものの研究を行っている森林の研究者は、マングローブ林内にわけ行って調査しており、時には本当にコブラを見るそうである。臆病者の私にはとてもできそうにない。しかし、マングローブ林内にはおっかない生き物ばかりがいるわけではない。調査をしていると、カワセミがしじゅうまわりを飛び回り、頭が白く胴体がオレンジ色の猛禽(たぶんシロガシラトビ)が大空を旋回していたし、サルの親子がしばしば私たちの調査を見学にやって来た。念願のアカショウビンも見ることができた。
 前述の田中氏は、マングローブ汽水域の栄養塩の特徴的な動態を非常にきれいに把握していた。マタン・マングローブ林では日出直後から数時間の間、海底から大量の気泡が泡風呂のように出現するのを観察した(写真1)。おそらく海底に藍藻か付着珪藻が高密に分布しており、それらが一斉に光合成を始めた結果であろう。田中氏のデータも底生植物プランクトンの役割の重要性を強く示唆していた。また、私のデータは管理が行き届いているマタン・マングローブ林の方が、魚類の生産力が有意に高いことを示していた。魚類の分類が確定しておらず、仔稚魚に至っては種までの査定がほとんど不可能に近いなど問題も多く残されているが、マングローブ汽水域は生物や生態系の研究者にとっては宝の山である。また、遅れている熱帯、亜熱帯域の生物生産機構や環境の研究に日本が積極的に取り組む意義は、世界的な視点からみても非常に大きいと考えられた。
 最後に、研究のみならず広く視野を広げるための貴重な機会をくださったJIRCAS水産部の福所前部長、マレーシアでの研究活動の全てにめんどうを見て頂いたJIRCAS長期派遣研究員の早瀬茂雄氏、FRIのIbrahim所長をはじめ研究員、アシスタントのみなさんに心からお礼を申し上げたい。
(資源増殖部 魚介類増殖研究室長)

You Yamashita

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