『「海の日」は7月20日とされたが、この日は昭和16年逓信大臣村田省蔵が提唱し次官会議によって「海の記念日」とされ以下50数年間にわたって海事関係者を中心に祝われた日である。この「海の記念日」は当時、海を知り、海運の重要性を広く知ってもらうために定められたもので、明治9年東北、北海道をご巡幸になった明治天皇が軍艦以外の当時の最新鋭船「明治丸(現在東京商船大学に保存されている)」に乗船され、海路、横浜港にお帰りになった日に因んだものである・・・・
「海の日」の制定にあたっては「海の記念日」と定められた7月20日は当時軍国主義的雰囲気の強かった記念日を国民の祝日とするのは、軍国主義の復活に結びつくものではないかとの議論があり、例えば咸臨丸が米国へ出発した日や、天正時代に九州のキリシタン大名がローマ教皇等に派遣した少年使節団の出港日がふさわしいとの意見もあったが、いずれも真冬の時期であるということもあり、海に親しみやすく夏の始まりの時期であり、6月から8月にかけては祝日が一つもないこともあって、この日が「海の日」には最も適切とされた。公立学校の大半においては、7月21日から夏休みとされており、夏休みとの関連においても適切である。・・・・・(海と安全'96-7祝日「海の日」のためにより抜粋)』 |
以上のような経過で制定された国民の祝日「海の日」は、今年が記念すべき第1回目にあたり、若鷹丸も八戸港白銀岸壁において船内を一般公開することになった。この日は本船の繋船岸壁の隣で急遽自衛艦2隻による体験乗船が実施されることとなったため相当の見学者が見込まれるものとなった。
7月20日(土)八戸は天候快晴、絶好の行楽日和となった。08:00出勤した乗組員は打ち合わせ通り満船飾、会場設営等にとりかかったが昨年より代船建造に絡んだレセプションを幾度となく繰り返してきた乗組員は何の戸惑いもなく作業を進行させ約45分程度で会場の設営は終了、見学者の来船を待ち望むまでもなく岸壁では見学希望者が本船の勇姿を見上げていた。
09:30受け付け開始とともに見学者が乗船し始め、見学経路途中に配置された乗組員は見学者が戸惑いを起こさないようにすみやかに誘導していった。船内では本船の主要部分(船橋、研究室等)には乗組員、研究者を複数配置させ、搭載機器の説明、本船の所属、行動海域、調査内容等説明していった。見学者の多くはこのような調査船は初めて乗船するためか事細かに質問を重ね、各機器の名称、使用方法、そこまでは良いとして「ウインチとはどういう意味なのか?」、「ブリッジとは?」、「トロールとは?」等から説明しだす有り様で、私事ではあるが大変勉強になった。しかし、気象衛星ひまわりの映像だけは見学者にすぐさまご理解頂けた。さらには自衛艦では細かい所まで説明してくれないとの苦情まで承った。
また、各研究室では八戸支所の研究者らの計らいで八戸支所を紹介したパネル、各魚種の耳石を陳列しての年齢当てコンテスト、腹部を開き内蔵各器官の名称をわかりやすく表示したマダラ、ROVにより撮影された海底状況をモニターするなど多彩に趣向をこらしたもので子どものみならず大人も真剣に見入っていた。