それぞれの青島、またはチャレンジ'95

東北水研PICES訪中団


まえがき

 1995年10月15日より22日まで重点基礎予算を使わせていただき、PICES(The North Pacific Marine Science Organization)の年次総会へ行って参りました。今年のBIOのテーマは海洋部生物環境研と資源部漁場生産研の私たち(横内、瀧、杉崎)の研究に直接関わる生態系の食物連鎖に関するものであったので、内外の研究者と現在の研究情勢について情報交換が活発にできて、出席者それぞれの今後の発展に役立つ有意義な会議だったと思います。この会議に関する客観的な報告は随所で行われておりますので、ここでは自分だけが経験した青島について、杉崎が横内さんと瀧さんに無理矢理書いていただいた内容を中心にご紹介します。

横内さんの巻(チンタオ息抜き一人歩き)

 初日ホテルで落ち着いてから、地図と少しのお金を持って散歩に出かけた。中心街に向かう海岸沿いにはアベックがいっぱいだ。これなら安全だなと思ってどんどん歩いた。なんとか外食で済まそうと思ったが、結局ソーセージとパンを買うのに、おやじと悪戦苦闘する羽目になった。中国語はマージャン程度、相場も分からないから、つい大きなお金を出してしまう。すると今度はお釣りがない。おやじの粘り強さに感心した。そうこうしているうちに帰り道では暗くなっていた。ムシロを体に巻いて歩く人に出くわした。ぎょっとしたが、そんな変な格好の人にはそれっきりで、人民は皆きちんとした身なりでお洒落なのには感心した。他の都市での治安の悪さや流行している肝炎の話を、その日の夜にホテルの部屋で他の参加者から聞かされ、これはやばいなと思った。が、今のところ元気だ。
 会議1日目は送迎バスで会場まで行ったが、2日目からは徒歩にした。潮干狩りのおばさんの貝掘りを冷やかそうとして近づくと、やたらと話しかけてくるので、すぐに逃げ出した。車が右側通行なので、渡る時にはまず左を見て右を見るのだ。これができない。きょろきょろしているとタクシーがすぐに寄って来て、「さあ乗った乗った!」とでも言っているのだろうか。「違うってば!」。バス停でモタモタしていようものなら、個人経営のミニバスから車掌さんが叫んでいる。言葉は通じないから、地図で目的地を指差す。そのまま乗ってしまうスリル。人民といっしょっていい感じ。
 少し慣れてきて話が通じるようになったある日、酔っぱらってホテルの前まで帰って来ると、片言の日本語を話す女の子が話しかけている。なぜかタクシーが来て数名が乗り込んでいる。「皆で渡れば!?」が失敗だった。結局ギブミーマネーの世界になってしまったが、食い下がった。ウエイターの男達はただスナックを運んでくるだけで、全く恐くない。ようやく外に出たらホテルが見えたので、頭を冷やしながら皆で歩いて帰った。あの時はどうもお世話になりましたT大学のT先生。
 最終日の午前中に時間があったので、あのアベックの多かった海岸に出て、生物相?などをチラホラ見ながら散策していると、永田豊先生と合流し、しばらく御一緒させていただきました。今回の目的の一つである政治的な話もちょっぴり伺うことができた。とにもかくにも、人民のエネルギーに圧倒された出張だった。ザイツェン(さようなら)!
(海洋環境部 生物環境研究室)

瀧さんの巻

 青島の美しい近代ドイツ風の町並みを想像しながら胸をときめかせていたのも出発10日前までであった−−−。 出発前くつろぎの写真
 「ちょっと雑なところもあるが−−−まあええやろう−−」という甘い気持ちで10月5日の所内研究発表リハ−サルに臨んだ結果、さんざん叩かれるハメになった。「こんなに狭い会議室でも何を表した図なのかよくわからないのに、広い会場で外国人が見たらなおさら理解しくいだろう」とズバリ指摘されてしまった。それまで、ストーリーやスピーチのことばかり考えて、図のレイアウトについてはあまり真剣ではなかった。リハーサル直後、残された10日間にできる限り良いものに仕上げようと早速図の手直しに取りかかった。図を鮮明に表すためのカラーコピーも今回初めて使うことになり、その使い方から時間をかけて覚えなければならなかった。杉崎さんには、沿岸の地形図や成長曲線のレイアウトのポイントについて丁寧なアドバイスを頂き大変有り難かった。図のレイアウトを変えたら、今度はそれに合わせて英語表現等も変えなくてはならなくなり、結局発表当日の朝まで準備がかかった。
 本番では、途中OHPの電球が切れるというハプニングがあったが、なんとか無事にスピーチを終わらせた。しかし、そこでホっとするのも束の間、予想以上の質問攻撃を浴びせられた。その結果上がり気味になってしまって、外国人による日本人のための優しい英語のみならず、日本人の英語さえもよく聞き取れなくなった。そして、いつの間にか日本語が飛び交うようになり、日本人の通訳者までもが登場することになった。東北大学の谷口先生による最新のオキアミ研究のトピックスをも織り交ぜた見事な通訳は、かえって会場の雰囲気を盛り上げることになった。
 発表の翌日、座長をされたカナダのD. L. Mackas博士から幾つかの貴重なアドバイスを頂いた。なかなか聞き取れない部分については親切にもノートとペンを使って説明して頂いた。有り難いという気持ちと情けないという気持ちが混同した。
 このように、発表の準備段階から段取りの悪さが目立ったが、周囲の方々の暖かいご支援に支えられてきた。国際会議の参加は今回初めてのことであったが、研究発表1つするだけでも大変骨の折れることだと思った。また、当たり前のことのようだが、海外の研究者とのスム−ズな情報交換を行い、お互いの研究を発展させるためには、充分な英語能力が必要不可欠であるということを身を持って感じた。
(資源管理部 漁場生産研究室)

杉崎の巻とあとがき

 横内さんは、つまりぼったくりバーに引っかかってしまったわけですね。確かにすごい冒険ですね。瀧さんは、自分の発表(本人の文章を読むと、これも結構冒険だったみたいですけど、話は分かりやすくて内外の研究者に評判良かったですよ)ばかりでなく、いろいろなところでエピソードを残されているように思います(市場に行ったら現地の人と同化してどこにいるか分からなくなってしまった話とか・・・)。瀧さんの冒険譚は漁生研にお茶菓子でも持っていくと語ってくれるでしょう。またお二人の話から、谷口先生が昼も夜もご活躍されていたことがよくわかりますね(私も、発表の座長を務めていただいたばかりでなく、食事にご一緒させていただいたり、ワインをごちそうになったり大変お世話になりました。ありがとうございました)。
 人の話ばかり聞いてないで自分のことも話さないといけないと思うのですが、実は私は割と地味でした。そのわけは青島に着いたその瞬間に決まったのでした。青島のホテルにつくとそこには私が存じ上げている日本人の方々がいっぱいいらっしゃいました。その方々というのは、私の博士論文の審査をしていただいた方とか、研究航海でご一緒させていただいた方とか、私が曲がりなりにも研究職をやっている今日に至るまでに本当にお世話になった方々ばかりなのです。そんなわけで、私は一応毎日会議に出席し、たまにはメモ(最近学会でメモをとるというようなことはほとんどやっていなかったような気がする)をとり、授業に出席する学生のように振る舞っていました。論文でしか存じ上げていない著名な研究者を見かけると、彼がこっちを向いて笑ったの、話しかけてくれたの、滑ったの、転んだのと学生の乗りでミーハーしていました。
 そして学生時代と同様、朝はしばしば遅刻しました。というのは、ホテルの近くに非常に広い公園があり、そのなかには森や池がちりばめられていて、時季おりしも鳥の渡りの季節ということで、島嶼と大陸の陸上生態系を比較する絶好の機会と考えられたので、居ても立ってもいられなくなって毎朝現場調査に赴いてしまったからでありました。そこは1つの村を丸ごと公園にしたところなので、あとから作られた遊園地や動物園の喧噪を抜けると、突然ひっそりとした田舎道が残っており、昔の石橋のあとや井戸のあとが現れ、「大地の子」のロケ地のような雰囲気が立ちこめていました。木々も豊富でしたが、鳥の渡りの時季からはずれていたのか鳥類相は貧困で、暖かい割には昆虫も少なく哺乳類も見かけず、せっかく期待して通い詰めたのにカササギばかりが目立つ寂しいfaunaだったのがちょっと残念でした。
 最後に、これから中国へ行かれる方にとっておきの一言を申し上げます。
 「晩飯は大人数でゆけ!」これは、中国へ行ったらやはり中華料理を堪能したい。しかも中国四千年の歴史に裏付けられた料理の種類は大変多く、それぞれ試してみたい。しかし一品料理の一皿の量もすこぶる多いので、一人で飯を食べに行けば一皿でも余ってしまう。大勢で食事に出向き一皿ずつ多種類の料理を頼むのがよい、という意味です。一人旅の時はそこらの道行く人(中国なのでいっぱい居る)に声をかけてでも大勢で食べに行きましょう。
(海洋環境部 生物環境研究室)

katsumi Yokouchi
Kenji Taki
Hiroya Sugisaki

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