マイワシの仔稚魚は何処へ

杉崎宏哉



 イワシという字は魚偏に弱(鰯)と書きます。確かに、鋭い歯もなければ、とげも毒もないせいぜい30センチほどの何の変哲もない魚です。自然界では食物連鎖でかなり弱い立場にあって、いつも寄り集まって群を作り、プランクトンを食べ、カツオやイルカやカモメに追いかけられ、人に捕らえられれば大半は養殖魚の餌か肥料になってしまうという不遇な魚といえるでしょう。しかし、彼らは圧倒的な数の力でこの弱い立場をはねかえして繁栄しているのです。たぶん、マイワシ(普通イワシと呼ばれている魚)を食べたこともなければ見たこともないと言う日本人にお目にかかるのは、万馬券を当てるほど難しいでしょう。人が資源として利用している魚種の中でもっとも数の多い魚の一種に間違いありません。私が水産学科に入った1980年代前半釧路は日本一水揚げの多い漁港でした。当時、釧路では毎年100万トン以上のマイワシが水揚げされていました。100万トン以上の水揚げ高のある国は全世界で10カ国ほどしかないのに、それだけの量を1漁港で1種類の魚が達成してしまったのです。今では太平洋側より日本海側の方がマイワシの漁獲が多く、鳥取県の境港が最大の水揚げ港になっています。どちらもマイワシで稼いだ日本一というわけです。しかも、煮て良し、焼いて良し、寿司ネタにもなるし、その頭を神棚に奉っている人もいるという優れた魚なのであります。ところが、このよく知られた魚に未だに解明されていないミステリーがあるのです。
 最近、新聞でマイワシが減っているという記事を見かけることがあります。しかも、この現象は去年のコメのようにその年はダメだったけど次の年は大丈夫というものではなく、なんだかこれからもどんどん減っていくようにいわれています。けれどもそれがなぜかというと、これがわからないのです。これまでもマイワシの様にいっぱいとれる魚種は十年以上の周期で増えたり減ったりの大規模な変動を繰り返しており今は減少期にあるのだという説明はされますが、それではなぜそのような資源変動が起こっていたのかと考えるとやっぱりわからないのです。
 日本近海の太平洋側に生息するマイワシは、本州南方(東海地方〜九州地方)の黒潮域を主要な産卵場としていて、卵からかえるとそのまま本州南岸で成長するものもいますが、多くは餌の豊富な索餌場(東北〜道東沖の親潮域)まで長旅をします(相川・小西 1940)。陸上生物が減少する場合、最大の原因となるのは繁殖地であった森林の伐採などによる繁殖力の低下でしょう。同様に考えると、マイワシも何かの理由で繁殖力が低下したのではないかと思われます。しかし、実は産卵場における産卵数は低下していないのです。(河井 1994)。そうすると、産卵されてから成長して索餌場に到着するまでのどこかで事件が起こっていることになります。マイワシは生まれてから仔魚や稚魚になるまでの時期をどこでどの様に過ごしているのでしょうか。それがよくわかっていないのです。つまり、だれでも知っているはずのマイワシなのに、その若い頃の生態はほとんどミステリーゾーンの中にあるのです。そこでこのミステリーツアーのはじまりです。
 マイワシの成長を追跡するためには、まず産卵と、卵からかえった後の仔魚の調査から始めなければなりません。実は、マイワシの仔魚というのは大根おろしと一緒にしょうゆをかけてたべるシラスのことで(カタクチイワシの仔魚もシラスです)、シラス漁は本州南岸の黒潮の影響を受けている海域で盛んに行われています。調査もやはりこの海域で行うわけですが、マイワシは主に冬〜春に産卵する(伊東 1961)ので、 その調査は不幸にも大シケの(この時期は低気圧が 次々にやってきて、日本近海を東進しながら発達するのです)黒潮横断観測ということになります。そこで私は、奇特にもその調査を毎年行っている中央水研の生物生態部の調査に便乗させていただいて、去年と今年の2月から3月におこなわれた蒼鷹丸(494トン;小池利成船長)航海に参加しました。卵や仔稚魚の採集にはプランクトンネットを用います。私の調査に使用する試料を採集するのには稚魚ネットと呼ばれるネット(口径130cm)を用い、2ノットぐらいで船を走らせて船の舷側からネットを降ろして海表面を水平に10分間曳網しました。この方法では航走している船から比較的長い時間曳網するため試料はいたみやすいのですが、ある程度遊泳力のついた大きい仔魚や稚魚の採集もでき、大量に採ることができます。この航海では、マイワシの卵は土佐湾内で採集されただけでしたが、仔魚は黒潮沿いに分布していることがわかり、黒潮によって伊豆半島、房総半島の沖を東進して本州東方の常磐沖まで輸送されていることが確かめられました。
 こうなるとその後のマイワシの仔魚たちのゆく末が気になります。彼等はどこまで行ってしまうのか。黒潮続流に乗って大陸棚もはるかに越えてどんどん沖へ行ってしまい、餌が少ないといわれる外洋まで出て行ってしまうのだろうか。もし外洋へ出て行ってしまうのならそこで生きてゆけるのだろうか。みんな飢え死にしてしまうかもしれないし、あるいは弱ってヘロヘロ泳いでいるうちにみんな食われてしまうかもしれない。黒潮に乗ってここまできてしまったシラスはイワシの姿に変わることなく“みにくいシラスの子”のままで死んでいってしまうのだろうか。次々に不安がよぎります。しかし、あれほど栄えているマイワシともあろうものがたくさんの仔魚をそんなにむざむざと無駄死にさせるような生態を持っているのでしょうか。それにこの時期は、植物プランクトンが盛んに増殖する時期なので外洋といえどもマイワシの仔魚が成長できるだけの餌は確保できると思われます。結構、沖合域でマイワシの仔魚は成長してイワシのかたちをした稚魚になりさらに親潮域の索餌場へ移動して資源に加入しているのかもしれません。産卵量が多いのにその年に成長して資源に加入する量が少ないとか、逆に産卵量の割に多くの加入があるといったミステリーを解く鍵はこの海域にあるのかもしれません。そこでミステリーツアー第二部へ出かけなくてはなりません。
 というわけで、マイワシの資源変動機構解明を目標とする「バイオコスモス(浮魚サブチーム)」の一環として東北水研の生物環境研究室がこのミステリーツアーの担当となっていて、毎年4月から5月にかけてゴールデンウィーク返上で調査に出かけているのです。この航海ももう4年目で、船は鳥取県境水産高校の若鳥丸(273トン;菅原新悦船長)を用船して行っています。この航海は水産高校の実習も兼ねており、髪の毛の茶色い高校生達がいっぱい乗っていたりしてなかなか楽しいのですが、若鳥丸の船上生活については3年前に乗船した資源管理部の高橋祐一郎さんが東北水研ニュース第40号にヴィヴィッドに描写していますのでご一読下さい。
 船上の暮らしぶりや、調査項目(稚魚ネット、CTDなど)は高橋さんが乗船したときと大きな違いはありません(高橋 1991)が、毎年着実に仔稚魚を採集し、その分布域の特定に前進しています。一昨年は東経153゚、昨年は東経155゚まで調査を行い、黒潮続流の北縁に沿ってそこまで仔魚が分布していることが確かめられ、50日齢ほどに成長した仔魚も採集されました。そして毎年、調査海域が沖へ沖へと延びてゆき、今年の調査はとうとう東経165°までいってしまいました (図1)。今年の調査は4月25日から5月31日までの37日間、仔魚が陸からも大陸棚からも遠く離れた沖合域で健康に成長していることを確かめるため、マイワシの稚魚をこの海域で採集するのが大きな目的です。
 今年の航海は幸先の良いスタートでした。昨年たいへん悩まされた低気圧もおとなしくしていて、最も西のライン(東経145゚線)では予想通り暖水塊と黒潮続流との北縁でマイワシの仔魚が採集されました。そして忘れもしない5月1日、午後8時00分がやってきたのです。場所は測点番号33と名付けられた北緯35゚40'、東経150゚の地点、西から3番目の観測ラインで、ここまで東へくるとこの時間にはどっぷり日が暮れていました。私は夕飯を食べた後で自分のワッチ(当番)の時間までまだしばらく間があったので部屋でゴロゴロしておりました。すると、大シケのときでも平然としている松尾室長が明らかに興奮している様子で駆け込んで来て「寝てる場合じゃないぞ」とおっしゃいました。ふと室長の手の上を見ると、そこにはまさにあのマイワシの稚魚が乗っているではありませんか。下顎が少し突き出たうけぐちの顔立ちで、目はギョロ目、背中は黒緑色がくっきり、腹は銀色に光っているのです(表紙の写真を見て下さい)。そこでもう一度稚魚ネットを曵いてみると、10数尾のマイワシ稚魚がネットの中できらきら光っていました。その日は狂喜乱舞して、太っ腹な気持ちになってしまい、作業を手伝ってくれた高校生に焼き肉を腹一杯食わせてやると約束してしまいました(結局ハンバーガーとケーキでごまかしてしまいました。N君、O君ごめんなさい)。
 それ以来自分のワッチでなくてもマイワシが採れそうな測点が近づくと、おちおち寝ていられなくなってしまいましたが、その後も東経162゚30'までの各観測ラインでマイワシ仔稚魚が採集されました。さらに同時期にサンマの調査のため新寶洋丸に乗船していた高橋祐一郎さんからもマイワシの稚魚がとれたという情報を船舶無線を通じて何回か寄せて頂きました。これらの結果をまとめると図2のようになります。黒潮続流の北側に広く仔稚魚が分布し、東にゆくほど仔魚の出現した測点が減り、代わりに稚魚の出現した測点が多くなったことから、北東に移動しながら成長している様子がみられます。つまり、本州東方に出現したマイワシの仔魚はこの海域で健康に成長してマイワシのかたちの稚魚に変態していたのです。しかもマイワシの稚魚が採集された測点の海表面の水温は15〜16℃で、マイワシの産卵場や仔魚の分布域(17〜20℃)に比べて低くなっていました。これらの測点で稚魚ネットにはいってくるプランクトン(稚魚ネットはプランクトンネットの一種ですから当然プランクトンも採れるわけです)をみると、マイワシの未成魚や成魚が索餌場としている親潮域などで見られる冷水域の種類が断然増えてきました。冷水性のプランクトンというのは図体が大きく、体に油をいっぱい蓄えていたりして見るからに高カロリー食品で、これさえ食っていれば飢え死にはしないだろうと思われるものが多いのです。実際に、採集した稚魚の消化管を解剖してみるとこのようなプランクトンが詰まっていました。つまり彼らは外洋で飢えてはおらず、立派に成長できたのです。その上、彼らはもう既に成魚と同じものを食っていたのです。これはひょっとすると発見かもしれません。この冷水性プランクトンの密度の高い水域へ餌を求めて彼らが移動するということは十分考えられます。そうすれば未成魚や成魚の索餌場に到達する可能性も否定できないということになります。すなわち、沖合域に出現した仔魚が大きく回遊しているうちに成長してマイワシ資源に加入する可能性があるということなのです。
 沖合域で育つマイワシが本当にマイワシ資源に加わっているのか、また加わっていたとしてもそれがどの程度の生物量なのかはまだわかりません。けれども、今回マイワシ仔稚魚の生態というミステリーゾーンの入り口は見つけたのではないかと思っています。はじめはミステリーゾーンの入り口もわからないまま敗退するかもしれないとも思われたミステリーツアーですが、無駄足にはならないという希望が見えてきました。もちろん、もしこのミステリーが解きあかされても、毎年マイワシが大漁になるというものではありません。マイワシにはマイワシなりの生き方がありマイワシの都合があるわけですから人間にとやかくいわれる筋合いもないし、人間はマイワシの都合をかえさせてしまうほど大それたことができるものでもないでしょう。けれどもこのミステリーが解ければマイワシの都合を分かってあげることはできるかもしれません。
 なぜマイワシはこんなにいるのか、なぜあんなに大規模な資源量変動を繰り返しているのか、といった自然の摂理の仕組みを垣間みられればいいなと思いつつ、予算が得られれば、私は来年もゴールデンウィークミステリーツアーに出ることでしょう。

(海洋環境部生物環境研究室)

引用文献

 相川廣秋・小西芳太郎(1940).マイワシ漁業調査(第一報).水産試験場報告,10,279-356

 伊東祐方(1961).日本近海におけるマイワシの漁業生物学的研究.日水研報,9,1-227

 河井智康(1994).1988年の魚種交替とマイワシ産卵期・場の変化との関係についての考察.東北水研研報,56,77-90

 高橋祐一郎(1991)初めての乗船体験記.東北水研ニュース,40,21-24

Hiroya Sugisaki

目次へ