退職の挨拶

本間 登



 わかたか丸を退職して早3ケ月、今は毎日が日曜日です。思い起せば、昭和25年北水研白鴎丸をふりだしに、40有余年の海上勤務ができましたことは、ひとえに皆様のご厚情によるものと深く感謝致し、心からお礼申し上げます。
 海上生活から離れ少し淋しい感じも致しますが、ここ北上では和賀川・夏油川そして北上川といった様々な川や小さな沼沼があり、海とはまた違った釣りが楽しめます。良い天気が続く日などは、川釣り・沼釣りに出かけては、勉強・探求にと明け暮れています。
 海上生活40有余年で楽しいことはあまり記憶に残っておりませんが、ただ“さけ・ます調査”の60日航海の休養で見たアラスカ・コジャック島の畳一枚ほどもあるオヒョウやアリュウシャン列島のアダック島の2mしか成長しない木々が密集した30uくらいの林があり、まるでミニチュアを見ている様な風景に感動した記憶が残っています。
 また、忘れることのできない恐ろしい出来事もありました。それは、やはり北洋の“さけ・ます調査”で 980ヘクトパスカルの低気圧に遭遇したときのことでした。25mの風が吹き荒れ、海は15mのうねりで220トンもある旧北光丸がまるで15トンの小船のように思える程でした。船首は45度のピッチング、その船首に波が当たると“ドドドドドーン”という大きな音とともに、船橋の窓ガラスに粒のかたまりのような青白い波が一面に広がって、波が窓ガラスに当たる瞬間には“ザザーン”、“ミシミシミシ”といういやな音が鳴り、あたかも海中をさまようように感じるほどでした。(時間にすれば1分くらいなのでしょうが、そのときは5分にも10分にも感じられました。)特に夜などは船が沈没するのではないかと思われる程でした。それが1日30回以上あると、食事を作ることも睡眠を摂ることもままらなず、船橋でただうねりとにらめっこの緊迫した状態が続き、生きた気持ちがしないものでした。房総沖の三角波も恐ろしい物でしたが、この北洋の経験のおかげで何事もなく切り抜けることができました。退職前最後の航海も房総沖の海洋調査でしたが、これが最後の航海と思うと不吉な迷信ばかり気になって船が沈没するのではないかと不安になり、八戸に入港するまで安心できませんでした。今考えてみると何であんなに小心になってしまったのだろうと残念にさえ思います。
 さて、来年4月にはわかたか丸がハイテク機器を装備した大型船にかわることで仕事の幅も広がって行くことと思います。今迄の道東沖から房総沖までの調査・研究だけではなく世界の海々をかけめぐり、さらにこれからの水産業の発展に貢献できるわかたか丸になれるよう、そして船長はじめ乗組員および調査員の健康、航海の安全を心よりお祈り致します。長い間お世話になり本当にありがとうございました。

(元 わかたか丸一等航海士)

Noboru Honma

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