1年間のアメリカ生活を振り返って

―長期在外研究員生活が私に残したもの―

大関芳沖



 長いようで短かった1年間のアメリカ生活を終えて、帰国してからもう半年が過ぎてしまいました。アメリカワシントン州にあるアラスカ水産研究所で過ごした1年間の記憶の中には、既に薄れかけてしまっているものもありますが、未だに鮮明に思い起こすことも少なくありません。またそれ以上に、日本に帰ってきて改めて違いを強く認識せざるを得ない部分もあります。ここではそのいくつかを思い出すままに記してみることにします。
 1993年1月20日、シアトル・タコマ空港に降り立った私たち家族を待っていたのは、滞在中お世話になりっぱなしだったBailey博士と、横殴りの風が吹くひどい天候でした。ニュースを見ると着陸できたのが不思議なほどの天気で、荷物は飛行機から降ろせないという有り様でした。あちこち停電している空港のビルと恐ろしいほどの風に、時差ボケの私はレンタカーを借りてどこかのモーテルに落ちつこうという当初の考えをあっさりと放棄し、Bailey博士の勧めるままに研究所から10数分のところにあるモーテルにころがりこんだのでした。夜9時を過ぎて暫くしてから、下ろされた荷物を車に積んで研究所に向かってみると、研究所は全館停電で非常口の表示のみがやけに目につきました。真っ暗な研究所を見たのは後にも先にもこれっきりでしたが、これから1年間いったいどうなるのだろうと不安を感じさせるに十分な第1日目でした。
 実際に生活が軌道に乗ってみると、到着当時に抱いていた不安は跡形もなく消え去りました。研究所内では十分な広さの居室と実験スペースを与えられ、旅費以外の面では所員とほぼ同様の研究活動を保証されていました。また研究は全て研究指導者であるBailey博士との共同研究の形をとっていたため、機器の使用についても不自由することはありませんでした。私の留学の目的は個体レベルの生化学的分析手法を取り入れた新しい資源研究方法を学ぶことにありました。この目的を達成するため、滞在したアラスカ水産研究所を中心に行われている「スケトウダラ資源加入量の変動要因に関するプロジェクト研究」に参画して共同研究を行いました。
 私の研究の出発点は“魚類仔稚魚の成長の違いが何によってもたらされるのか”を個体レベルで調べてみたいというところから始まっています。近年、仔稚魚の生理学的な研究は急速に進み、核酸比(RNA/DNA)の定量や耳石日輪解析によって、個体レベルで仔稚魚の健康状態や成長速度を調べるということが可能になってきました。このような情報によって、仔稚魚の健康状態や成長速度が採集された海域等によって異なっているということは段々にわかってきたのですが、どのような環境要因の影響を受けて健康状態や成長速度が変わってくるのかという生理学的な解明は、なかなか進んではいません。いくつかのアプローチが考えられますが、今回は消化酵素の微量定量方法を検討し、個体レベルで消化吸収能力を調べてみるという方法を中心にしました。当初は酵素を単離して抗体を作り免疫学的な定量を行おうとして、日本で酵素を単離して持っていったのですが、設備の関係でなかなか思うようにはことが運びませんでした。いろいろやってみた 結果、魚類のトリプシン・リパーゼ・アミラーゼの3種の消化酵素について、これまでの定量方法を検討するとともに改良を加え、魚類仔稚魚特にスケトウダラ仔魚に適当と考えられる微量定量法を確立することができました。この手法を用いて調べてみると、消化酵素活性と消化器官の形成過程との間には密接な関係があり、卵黄が完全に吸収された後に消化酵素活性が急増することがわかりました。これまでスケトウダラ仔魚については、摂餌開始期(孵化後4-5日齢)から卵黄の完全吸収期(孵化後16-20日齢)までの間、成長や同化効率が低下することが知られていましたが、今回の結果はその原因について一歩踏み込んだ解釈を可能にしたと考えられます。また、アラスカ湾のシェリコフ海峡で採集された仔魚について調べたところ、天然で採集された個体では同一体長のものでも実験室内で飼育されたものよりも高い消化酵素活性を示すことがわかりました。過去の研究で、天然における成長速度は実験室内で得られた結果よりも速いことが報告されており、興味深い一致だと思われました。また、分子生物学的手法を用いた消化酵素定量方法についても検討を進めましたが、時間の関係で果たせませんでした。今になって色々な試行錯誤を振り返ってみると、あれもこれもと手を広げすぎたような気もしますが、その過程で最先端の研究レベルをある程度は身につけることが出来たのではないかと思っています。
 1年間にわたって久しぶりに大学院の頃に戻ったような研究三昧の日々を過ごすことができたのは、研究者として実に楽しかったの一語につきますし、その研究を進めていく上で充実した研究サポート体制には本当に助けられました。まず気が付いた点は情報に関する部分です。アラスカ水産研究所では全室にコンピュータネットワークが完備しており、研究者間の連絡や必要事項の伝達は全てこのネットワークを通じて行われていました。このことは不必要な文書作成や配布の手間と紙資源の無駄遣いを避ける上できわめて有効に機能しているように私には思えました。また論文等の印刷情報の収集に関しても、司書が毎月図書館の購読雑誌の目次を全てコピーして研究者に配布してくれ、研究者は名前とタイトル等を連絡するだけで、2、 3日以内に手元に届くという環境にありました。手に入りにくい文献等についても各地に問い合わせて入手してくれ、こちらがそのサービスの良さに驚いていると、自分の仕事をこなしているだけなのになぜそんなに驚いているのかと逆に言われる始末でした。また、プレゼンテーションに関しても、論文の図表や口頭発表の際のスライドやOHPの作成はグラフィックスの部門に日時を指定して頼んでおくだけで、作成してもらえるようになっていました。国際会議等に出席すると、外国の発表者のスライド等の美しさに驚かされることが多いのですが、これらはグラフィックス部門のプロの作品であることが多く、この点から見ても恵まれていると思われました。さらに滞在した研究機関では各部門にコンピュータや生物統計学の専門家を配置しており、研究計画や結果の解析に関する質問等に答えてもらえる体制がとられていました。現在の生物関連の研究では対象生物種に対する深い知識だけでなく、コンピュータ・生物統計学等の幅広い分野に亘る知識が要求されていますが、一個人がすべてをカバーするのには限界があります。短期滞在の訪問研究者でもいろいろと相談に乗ってもらい、以前から持っていた幾つもの疑問に丁寧に答えてもらったことは今でもありがたく思っています。
 こうした研究補助体制に関する日米間の格差は想像していた以上に大きかったというのが実感であるとともに、研究者や研究補助者の意識も日米間で大きく異なっているように思いました。アメリカではこうした研究補助体制は研究活動の生命線であると考えられているため、研究者もその仕事を高く評価している一方で、サポートする側も誇りを持って仕事をしているのに対し、日本ではほとんどの部分を臨時職員にたよっており、予算が少しでも厳しくなるとこれらの部分をすぐ切り捨ててしまうということが行われています。こうした違いを目の当たりにしてみると、研究補助体制の充実には人的予算的な配慮と共に仕事の適切な評価を確立することが重要であると感じました。
 話は変わりますが、私と家族にとってアメリカ生活が楽しいものであったのは、研究以外の側面も大きな理由であったように思います。研究指導者のBailey博士は、この1年間はあなたの研究にとっても一生にとってもsabbaticalなものなのだから、ゆっくりとアメリカを見て回るといいと言って、仕事の合間にあちこち旅行することを勧めてくれました。飼育実験も終わり季節のよくなった夏の時期には、その言葉に甘えて1週間ごとにワシントン州周辺を旅行して回りました。今から思うと1歳足らずの子どもをつれて車で長距離を走り回るのは日本では考えられないような気もしますが、行く先々で出会った人々とアメリカの景色 はこれからも忘れることはないでしょう。出会った人々と言えば、毎週通ったnight schoolでは人に元気を吹込んでしまうような不思議な魅力を持ったOlsgaard先生という御婦人とも知合いになりました。妻は彼女に家庭教師をして貰っていましたが、妻がアメリカの生活を楽しみ、周囲の人々に溶け込んで道行く人や店の人達といろんな話が出来るまでになったのは、Olsgaard先生のお陰だったと思います。また実験材料の関係から、1月の中旬に帰国するという予定であったため、最後の数カ月は感謝祭・クリスマス・新年と休みの多い季節となり、データを解析したり結果をまとめるかたわらパーティーに呼ばれたり人を呼んだりと愉しい毎日を送ることが出来ました。このころには家族もすっかり環境に慣れ、友達もできていたということもありましたが、滞在期間の設定もよかったように思います。
 こうして公私ともに充実した1年間はあっという間に過ぎ去り、研究者として活性化された私は帰ったらあれもやろうこれもやってみようと、アメリカを去るのが寂しい反面うきうきして成田空港に降り立ちました。ところが帰ってきてみると、あたりまえのことですが日本の研究所の資源研究部門はアメリカの研究所とはかなり違っていました。言うなれば、一方が研究機関であるのに対して、他方は統計情報機関のようなものです。何年もその中で過ごしていたはずの私は、研究員が純粋に研究のみをしているというアメリカ流の環境にすっかり慣れてしまっていたのです。日本の研究所の資源管理部では、ほとんどの労力を漁海況予報事業のため、あるいは国際対応のための定型的な調査に費やしています。毎年同じような海域を定型的なデータの取り方で調査し、その結果を数字だけを入れ替えたような一定の形式の報告書にまとめるという作業は、果たして研究といえるだろうかと改めて考え込んでしまいました。少なくとも研究と言うからにはこれまでの疑問を解明するべく仮説をたて、それを検証していくというサイクルがうまく回っている必要がありますが、なかなかその余裕がないのが現状です。聞くところでは来年からこれまでの200海里内資源調査が見直され、新しい体制がスタートすると言うことです。新体制に向けた作業はかなり大変でしょうが、この機会を捕らえてこれまでの資源管理部の改革をはかるべく努力をしていきたいと思っています。そのなかで、大胆な仮説を検証していくようなプロジェクト研究が生まれてくる土壌を培い、外部機関での研修成果を発展的に生かせるような研究所へ改革していかなければならないという気持ちを噛みしめながら、豊漁の続くサンマの水揚げ情報に接している今日この頃です。
 最後になりましたが、すばらしい機会を与えていただいた科学技術庁・農林水産省技術会議・水産庁研究課およびお世話になった多数の方々に心より御礼申し上げます。特に多忙な研究室を不在にすることを快く認めていただいた東北区水産研究所資源管理部の皆様に心から感謝したいと思います。
写真
格納庫の中の飼育施設
研究室のデスクにて
感謝祭の日 Bailey 博士の家に呼ばれて
ほとんどの家がクリスマスには飾り付けをします

資源管理部 浮魚資源第一研究室

Yoshioki Ohzeki

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