佐藤重勝氏農林水産大臣賞を受賞

谷口和也



 元東北区水産研究所長 佐藤重勝氏は、平成5年11月17日に明治神宮会館において取り行われた農業試験研究一世紀記念式典において、記念事業の一環である研究功績者表彰の中で最も栄誉ある農林水産大臣賞を水産では唯一、「溯河性サケ・マスの資源培養技術の開発」の研究代表者として受賞されました。
 日本におけるサケ・マスの人工孵化放流事業は、すでに一世紀を越える歴史をもっていますが、回帰率が3%を越えて1親当り20尾以上が回帰し、漁獲量が15万トン(昭和60年)に達するようになったのは、佐藤氏が直接指導され、昭和52年度より開始された「サケ・マス別枠研究」における成果を基礎としています。それは、1)種苗性の強化、2)河川域での食害抑制、3)沿岸滞在期での餌料条件の改善による初期減耗の抑制を目的とした「海中飼育放流技術」を含む「適期放流技術」の開発でした。
 現在では極く当り前に行使されているこれらの技術を確立するためには苦闘に満ちた前史がありました。東北水研が昭和53年6月に発行した「別枠研究さけ・ます大量培養・海中飼育放流技術」の昭和52年度報告、つまり最初の報告書に佐藤氏自ら「サケ海中飼育放流考案の顛末」として、またその後、サケ漁業全般を含めて岩波新書に「サケ−つくる漁業への挑戦」の中にその経緯を詳しく紹介していますので、特に若い研究者諸君には一読ならず、年齢に応じて再々読することをおすすめします。
 この研究は“サケ・マスの国際的な資源配分交渉に有利なように”という当時の社会的(行政的)要請によって、サケの海中養殖実験事業として始まり、海中飼育放流という増殖技術への転換が提案され、別枠研究に結晶した、と言えばいとも簡単なように思えます。しかし、例えば実験事業を行うか否かを決定するに際しては“漁村との関係を考えること”、適種、適地の決定に際しては“反感に囲まれていては失敗は必須”、事業の組織化に際しては“漁村社会では、全体が利益を感じ、その力で守ってゆくのが正道”といった応用研究を進める上での貴重な考え方が、事業の実施が非常に困難な状況の中での経験にもとづいて淡々と述べられています。一方、当時のサケ孵化放流事業に対する専門家たちとの論争も、私には専門家たちが漁業を本気で考えているとは思えなかっただけに、厳しいものがあったように感じられます。
 海中養殖の経験は海中飼育、適期放流へという参加者の一致した見解となり、別枠研究へと進むのですが、そのためには、事業を終結させるつもりでいた行政側の方針の大転換があったのでした。“海中飼育放流が生きのびた。技術開発が公認された事自体が奇跡のようであった。これが決まった当時は嬉しくて、この技術が成功したら本間氏の銅像をたてたいと思った。”このように佐藤氏をいたく感激させた本間氏とは、研究課長を最後に水産庁を退官され、日本栽培漁業協会で活躍されている本間昭郎氏です。誠に、研究と行政とは車の車輪であり、互いの立場を認め合い乍ら、互いの溝を埋める努力の中で一体感が生まれ、大きな拡がりのある仕事が可能になることを知ったのでした。今回の受賞には本間氏もメンバーの一人として名を連ねています。
 このような目に見えないご苦労を重ねて来たにも拘わらず、佐藤氏は“海中飼育放流の結果が出てくれば、誰かがそれを大型研究にとりあげ、そして200海里時代の要請に応えて事業化するのは、まさに必然の成り行きであろう”と平然と述べておられます。しかし、サケ・マスの人工孵化放流事業に技術的な革命をもたらすこととなり、また、200 海里時代にあざやかに対応することとなった、これら一連の研究は、実は200海里時代を誰も知らなかった頃に企画され実行に移された訳ですから、佐藤氏の優れた先見性を誰もが認めざるを得ないでありましょう。
 最近、私は研究成果の風化を痛切に感じていましたので、久し振りに佐藤氏の「顛末」を拝見して冒頭を目にした時には大変驚きました。“大きな拡がりを持つ仕事の原理は、拡がった後には至極あたりまえと思われる・・・・技術もそれが生産体系の中に取り入れられれば開発時代のてんまつは消えさり、創始者の名さえ忘れられる。これまた当然の流れである”と。東北水研時代の佐藤氏は、サケばかりではなく、ノリのアカグサレ病菌の発見やアワビ餌料海藻の造林技術、ホタテガイの資源培養技術などの確立に深く関わり、理論的にも、実践的にも指導してこられました。そのような優れた研究者、指導者が“安んじて当然の流れの中に身をひたしたいと思う”と述べておられたのです。私には到底納得のいかないことでした。この度の受賞は、佐藤氏の多大なご功績の極く一部とはいえそれが正しく評価され、歴史の中に記録されることとなる訳ですから、東北水研として大きな栄誉であり、後進の私たちの励みとなるものです。
 佐藤氏は常日頃水産業の事を考えておられ、幾つもの重要な技術体系を確立されたにも拘わらず、私たちには、「科学をせよ、基礎研究を行なえ」といつも激励されました。佐藤氏は科学が一旦実践的或いは政策的立場から分離することによってかえって真に実践と結びつくことを最も良く知り、科学−技術−人間社会の道筋を身をもって示された人であると思います。
 人の一生の中で出逢うことができる人は限られており、どの人と出逢うかは縁としか言いようがありません。短い期間でしたが、佐藤氏という優れた指導者と一緒に東北水研に在籍し、薫陶をいただいたことは、十全に理解できたか否かは別としても、研究者として大変幸運でしたし、誇りに思うものです。今後とも健康に暮々も留意され、いつまでもお元気で、そして何時お逢いしても常に新しい話題を投げかけて下されたこれまでと同様に、ご教示いただき、叱咤激励下さいますように。

(資源増殖部藻類増殖研究室長)

Kazuya Taniguchi

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