退官の挨拶

高橋章策


 退職して早3ヶ月になりました。1951年東北区水産研究所(当時海洋資源部)に入所以来、40数年に亘り職員の皆様はじめ各関係機関の方々から公私にわたりご厚情とご指導を頂き、3月に定年退職することが出来ましたことを心から厚く御礼申し上げます。
 顧みれば、1951年〜1965年は現場での(気仙沼分室)資源研究の基である入港漁船からの聴き取り調査及び魚体測定調査を行った。調査対象魚種は主にサンマ・カツオ・マグロ類で操業位置・水温・水色等の聴き取り調査は戦後間もない為に、困難極まりない状態であった。我々調査員は一隻毎に漁労長に頭を下げながら聴き取りに行くが、即門前払いにあいながらも何度も繰り返し足を運び、先方が根負けするまで通い詰めた。数ヶ月経過後、ある漁労長が次のことを教えてくれた。それは単純に笑えない本当の話で、漁船側としては我々調査員を税務署職員と勘違いしているという事で、その後我々調査員は、腕に「東北水研」と名入りの腕章をして誠心誠意説得に努めた結果、凡そ2年後位には理解度も高まり資料も順調に入手できるようになった。その資料を基に漁海況速報を作成(石巻で発行)し漁船へ配布したため信頼度も高まり、漁労長さん達も次第に分室に訪れるようになり、お互いに今後の漁海況と魚群の分布移動の予測について談議に花を咲かせ丘船頭気分になり得意満面とした当時を思い出される。とくに日曜祭日はなかったが楽しい日々を過ごした。
 1966年に塩釜勤務(本所)となり、サンマ資源研究の源である海洋観測及びサンマ魚群分布移動調査を行った。また10年前より漁業資源評価システム高度化調査の中の一環として、大型魚類による小型浮魚類の捕食について解明するため、毎年5〜6月にかけ北緯36度〜40度東経180度以西の海域を流し刺網による調査を行った。この調査ではサンマが様々な魚種によって捕食されている事が判明した。その結果については各年毎に高度化調査報告書あるいは日本水産学会東北支部大会等で報告しているので省略しますが、現場での経験を私なりに一言述べると、資源研究に携わる場合には先ず広い範囲で、様々な角度から物事を手と足で確かめることが第一であるということです。たとえば三陸の魚市場水揚物の様々な魚種の関係を見て、魚群の北上が例年と比較してどうか、海況・気象との関係はどうなっているか?(地先の沿岸漁業者とお話しをする場合には天候・風と魚の出現状況が話題となる)また魚の胃内容物を調べるのも一つの方法と思い取り組んできました。
 ご存じのように国際的に200海里体制が確立され、日本漁業は諸外国からの圧力に対し今後どのように対応して生き残るか、また漁業経営問題についても再検討する事が急務であると考えられます。現場から見て近海漁業で生き残ることができるのは、サンマ棒受網漁業・カツオ一本釣漁業とイカ釣漁業位のものではないでしょうか。今後益々試験研究機関に対する期待が大きくなるものと考えられます。皆様の研究の発展を心からお祈り申し上げます。
 東北水研をはじめ各関係機関の皆様には、長い間お世話になり心から厚く御礼を申し上げます。
 最後に皆様方のご健康を心からお祈りして退職のご挨拶といたします。

(元 資源管理部主任研究官)

(Shosaku Takahashi)

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