退官の挨拶

飯塚景記


 早いもので退官してから100日余りたちましたが、ようやく後始末等が終わり、今後の生活の方針を考えているところです。振り返ってみますと、昭和37年の東北水研八戸支所を振り出しに、西海水研下関支所、東北水研資源管理部、再び八戸支所と、本州の端から端を往復いたしましたが、その間多くの皆さんの知遇を得ましたことは大変幸せであったと思っております。永かった水研生活ですが、終わってみると、あっと言う間のほんの短い期間のような気がしております。
 昭和37年に岩手水試から東北水研八戸支所に移りましたが、その当時は水産研究所の研究組織が極めて大幅に変化した年代でした。昭和35年から40年にわたる海区水研各支所の統廃合、昭和37年の利用部の中央集中等の機構改編が行われました。八戸支所は昭和25年の発足以来、底魚研究を続けてまいりましたが、昭和38年から底魚研究部門を半減し、新たにマサバ、スルメイカ等の浮魚研究部門を新設致しました。このような組織の変化は東北水研研究者の自主的な意志に拠るものではありますが、一面、当時の社会的、行政的要望への対応と組織の維持のための妥協であったとも言えます。
 水産をめぐる変化は研究組織だけではなく、漁海況の面にも現れ、昭和30年代には魚価暴落を惹起したサンマ・スルメイカの豊漁や漁場開発によるマサバの急増が目立ちましたが、昭和37年には、全国的規模で多くの水産物に被害を与えた異常冷水現象が起きました。それをきっかけに漁海況予報事業が発足し、東北海区ではサンマ、カツオ、マサバとスルメイカが予報対象種となり、昭和39年から予報会議が始まりました。八戸支所はそのうちマサバとスルメイカを担当することとなり、丁度その当時に入所した私はマサバの生態・資源および漁況対応の研究グループに所属することになったわけです。
 このような経緯が私の水研における初めての仕事、そしてマサバ研究の始まりで、以来水研生活の3分の2である20年、マイワシやゴマサバの調査・研究に関与しながら継続することになります。さらに、昭和58年から63年まではカツオの資源研究にも従事しましたので、私の水研の仕事は沖合の多獲性浮魚の調査・研究であったと言えます。また、殆ど役に立たなかったのですが、興味をもっていた沿岸魚に関する調査・研究では、研究グループの一員として参加させてもらい、生きがいのある水研生活を送らせて戴いたことは、これまでの現役の皆さんや諸先輩の暖かいご理解の賜物と思っております。
 ここに、31年の永きにわたるご指導・ご鞭撻とご厚情を心から感謝致します。また、今後衰退はあるものの、決して無くなることがない漁業と水産物にこれまで以上の関心と興味を持たれることをお願い申し上げて退官の挨拶と致します。

(元 八戸支所長)

Keiki Iizuka

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