小野寺文弘


 今年の三月に、宮城県気仙沼水産高校を卒業し、わかたか丸の機関員として社会人の一歩を踏み出してから、約三カ月が過ぎ、船での生活にもなれてきたところです。
 私の故郷気仙沼市は、一般的に漁業の町として知られていますが、私の家は兼業農家をしています。「なぜ、農家の子供が水産高校に入って、しかも船員になったんだ」と思うかもしれませんが、私は子供の頃から海と船が好きでした。そのせいか漁船乗組員という職業に憧れていました。現に高校で担任の先生に「水産庁から募集がきてるぞ」と言われてから、すこし考えてみて「よし試験を受けてみよう」と思い試験を受けたら、見事に合格、そして、すこし親と相談し安定している水産庁へ入ることに決め、わかたか丸機関員となったわけです。しかし子供の頃から船が好きで自分の希望どおり船員になったわけですが、私は少々船に弱いのです。高校の時の実習船での実習の時も出港してから三、四日間は船酔いでノックアウト状態でした。わかたか丸の機関員としての一航海目、出港した日はいい凪でしたが私は少し船酔いしてしまいました。しかし出港してから数日して、海が少し荒れただけで強度の船酔いになってしまったのです。今は船酔いもしなくなり、ひと安心と言ったところです。
 機関員としての仕事を早く覚え、みなさんに迷惑をかけないよう仕事ができるようにがんばっていこうと思います。
わかたか丸機関員

Fumihiro Onodera

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