友定 彰



 文部省に1年、運輸省に4年在職した後、途中名前は変わりましたが、中央水研で20年研究生活を送りました。東海区水研に転任した1970年から、科学技術庁の予算で「北方亜寒帯海域に関する総合研究」というプロジェクトが始まりました。水研に来て未だ右も左も分からないうちに、東海区水研担当の調査をまかされ、諸先輩方の指導・助言を得て、30〜40日の蒼鷹丸による暖水塊の調査を3年間行いました。当時、既に退官されていましたが、研究に打ち込んでおられた木村喜之助先生のお宅に何回かお邪魔して、先生から東北の海の話を聞き、こんなに海を愛している人がいることに深い感銘を覚えたことがつい先日のように思い出されます。また、当時の海洋部長黒田隆哉博士をはじめとする東北水研の方々や函館海洋気象台にいられた泰克己博士など気象庁の方々とも親しく付き合うようになりました。それ以来、特研「暖水漁場」・「親潮水域」で東北の海にアルゴスブイを流したりして、東北の海の研究を続けていました。また、茨城水試の環境部長久保治良博士とは10数年にわたって、常磐〜鹿島灘の協同研究を続けています。このようなことを考えますと、中央水研に在職中も片足は東北海区につっこんでいたと思います。行政的には海区によって海が仕切られていますが、海の水は海区などには関係なく流れています。伊豆諸島域を産卵場とするマサバ卵・稚仔の輸送の研究に取り組んだ時には、東北海区の研究がどれだけ役にたったかわかりません。
 東北水研に赴任して、先ず感じたことは、研究者が東北の海を知るために非常に燃えているということです。私も、研究者のはしくれとして、他の研究者に迷惑をかけないように、東北の海の研究をしたいと思っています。「山に登る者は山を見ず」という諺があります。東北の海はそれだけで変化しているのではなく、おそらく太平洋の一部として変化し、そのシグナルが東北の海に現れていると考えています。このような観点から広い海の一部として東北海区を見てみたいと思っています。さらに抱負を述べさせて頂ます。国連環境計画(UNEP)の資料等によりますと、西暦2000年の人口は60億人に達すると予測されています。このように爆発的に増える人口は地球に様々なインパクトを与えると考えられます。海も例外ではありません。私達水産海洋研究に従事している者は、海からの食料の確保も含めて、人類の平和共存のため、また地球の安泰のために海洋研究を行う必要があると考えています(少し、ふろしきを広げすぎたかも知れません)。広大な東北の海は東北水研だけでは手におえません。「東北の海がわかった」という最終目標に、水産試験場の皆様や関係機関の皆様と力を合わせて進んでいきたいと思っています。よろしくお願い致します。
海洋環境部長

Akira Tomosada

目次へ戻る

東北区水産研究所日本語ホームページへ戻る