田中 實

去るに当たって



 4月1日付で水産工学研究所に配置換えになりました。昭和63年4月東北水研へ移って以来2カ年間を資源管理部で過ごし、ようやく東北海区の特徴、研究の方向性や関係研究機関との協力関係がわかってきたところで転勤となり、東北水研や関係機関の研究者の方々には御迷惑をおかけすることになり心苦しく思っております。
 筆をとりながら、東北水研では丁度カツオの漁海況予報会議の頃だが、今年の回遊状況はどうかなと心配しているところです。
 サンマは、私が東北水研にいた2年とも豊漁で、業界では価格維持のため漁期半ばで漁獲調整を実施したほどでした。9月のある日、来客があり加工団地にある練り製品会社を見学にいった時のことです。その会社の社長は私が東北水研資源部の人であることを知ると「今年はサンマの予報がはずれて水研は大変ですね」という挨拶でした。この様な挨拶に漁況の話が出てくるほど、サンマは地域に密着した魚であり、関心の高さをあらためて知ったところでした。
 乗用車の投棄等で全国に有名になった仙台湾のイカナゴ紛争も、狭められた海、減少した水産資源の配分方法に基づいていることは明らかです。しかし、関係機関の協力により資源回復を考えた方向で解決が計られたことは大変よかったと思います。
 私は仙台の住宅から塩釜に通っていましたが、街路樹のある仙台の街は好きなところでした。仙台藩の城下町であっただけに多数の旧跡があり、休日の散策には不自由しませんでした。夏、中央通り、東一番丁通りを中心に繰り広げられる七夕祭は、スケールの大きさ、その美しさは、しばし目を見張るものがありました。これと並んで師走の夜を彩る青葉通り、定禅寺通りの光のページェントの美しさも思い出されます。木々に取り付けられた多数の豆電球の作り出す光模様は、その下の彫刻像を照らし出し、冬の夜空に美しく輝いていました。住宅から車でそれほど遠くないところに野草園、森林公園、定義観音、松島の他、蔵王山、泉ヶ岳、等の山々がありました。野草園のコマクサの可憐な花やシャイな蔵王山は、いつもガスの衣を着ていて、仲々その姿を見せてくれなかったことも思い出されます。5回目にようやく晴れて、お釜まで見ることが出来ました。
 また、塩釜で忘れることのできないものにマグロ、カツオ、ホヤ、アワビ等の豊富な水産物の味覚があります。ヒラメ、カレイの絵柄のある本塩釜駅前の歩道も、水産都市を強く印象づけるものでした。最後に東北水研の皆様及び会議等で種々お世話になった関係機関の皆様の今後の御活躍を期待して筆をおきます。
水産工学研究所企画連絡室長

Minoru Tanaka

目次へ戻る

東北区水産研究所日本語ホームページへ戻る