思い出すままに

遊佐多津雄


 東北水研が創立されて40年とのこと、さて当時私は何をしていたのだろうか?水研が創立される前年の秋に上海を経由して佐世保に上陸復員しました。翌年5ケ年間のブランクで戦後の状況が判らなかったせいもあって復学したが、その年に水研が創立されたのでした。
 私が北海道から八戸支所にお世話になり始めたのが昭和35年の新年からでした。支所での思い出としては水産振興に役立つ調査研究に没頭出来るのだろうと思っていたら予想が全くはずれて終ったことでした。八戸支所としての対外的な事項が多いことでしたが、いずれもそれなりに外部から支所に期待されてのことだったと考えています。だが寧ろ、忙しいとか、研究費不足という時期には意外と実のある調査研究結果が残っているように思います。
 群集生態学の観点に立った浅海域の定点連続採集を浅虫付近の調査定点で行い、冬季は北西の寒風の中で採集をしたり、選別作業中にも、調査研究の考え方や、環境の認識のし方等が話し合われ、この調査では教えられたり、考えさせられたりで貴重な経験として思い出されます。
 昭和38年には本所勤務となって魚介類の増養殖技術開発を担当することになりました。私は機会を求めて漁業者、諸先生や先輩を訪ねるよう努めましたが、大変ご迷惑だったことゝ思います。私にとっては実に意義深く為になったと確信しています。
 漁業者との思い出はヒラメ釣りの名人を訪ねた時の彼のヒラメ餌付の説明でした。彼はよくヒラメを観察していることに感心しましたが、水槽内での行動と一致している点をこちらからも説明し、お互いに深く感心しあったことが思い出されます。又、このような漁業者に会って見たいものです。
 調査研究分野での思い出は限りがなく、諸先生がわざわざ私共の調査打ち合せの集りに来て下さって調査研究の考え方や、特に調査の方法等についての御意見を述べて頂いたこと、自宅にお訪ねして調査研究の話には“長生き出来るような気分になりますよ、又来て下さい”との会話は忘れることの出来ない思い出になっています。
 水産の学会発表にしても調査や、実験の結果の報告や、説明に終止しているようです。考察や、論議があってこそ興味が出ることだろうし、研究が横滑りしないで前進するのではないでしょうか?水研が創立されて40年夫々の研究が進んできた課程を素朴に振り返って見るよい機会ではないでしょうか?
 東北水研にお世話になったのが20年間、幸いに転勤もなく主に有用魚類の増殖技術の開発研究に没頭することが出来たことです。この間イシガレイ・マコガレイ・マガレイのカレイ類や、シラウオ等の生活史を明らかにすることが出来たと思っています。
 退官後の10年間は主にヒラメの資源増大の手順策定に努め夫々の魚種の生活史の過程に沿った特性の知識を深めた事と、生残りの理由について検討・吟味し具体的に自然減耗群を利用した資源増大の手順を幸いにも策定することが出来たと思っています。
 イシガレイの資源増大の考え方や手順について既に印刷発表されていますが、考え方については基本的にホタテ貝の増殖と類似していることに気がついたこともあります。
 忘れもしませんが、有名な米国東海岸のWoods Hole海洋生物研究所で開催された魚類の初期生活史に関する国際シンポジウムで、イシガレイについての話題を出し終ってからも数人の研究者達との意見の交換をしたり、再会を約束し合って私なりに感動と反響を感じました。
 Woods Holeの帰りにはカナダの国立Nanaimo太平洋生物研究所を訪問しました。この研究所ではWoods Holeの話題と資源増大の手順のレクチャーを求められ、この席では研究が漁業に果たす役割ということまで話題が広がりました。
 私の経験では、諸外国の研究集会は多くの意見や、厳しい質問があり、建設的なもので集会終了後にも個人的な討論があって相互に理解しようとする研究者が多く、他の研究者の主張を尊重する考え方には感心しています。米国・カナダヘの渡航は年休を利用しての自由な旅行でしたが、私には厳しい検討の好機でもありました。ヒラメ・カレイ類資源増大の考え方や、具体的な手順・装置等はシンポや、レクチャーの検討を経て幸いに論文報告等に取りまとめることが出来ました。東北水研と共に歩いてきた現在ヒラメ・カレイ類の資源増大の実証実験を漁業者の方々と推進する機会を楽しみにしています。
 尚、群集生態学の観点に立って対象種の生活史過程を明らかにする方法を討論する機会があまりにも少なかったことを痛感している昨今であります。
Tatsuo Yusa

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