挑戦者となって、第二の人生へ

門馬 昇平


 退職してもう1年10ケ月、一時空白のあった最初の3ケ月間位はこれといったあてもなく平凡な生活にとどまっていた私でしたが、情報化時代の鋭敏さにいまさらの様に驚いている。というのは、退職後の私が無職との、流言伝達・・・・・問合わせの電話がとみに多くなった事です。同輩・知人・級友(いささか悪友も含む)からの消息の確認。
 この頃すこし肥満が上向きになっていた。よし!手取り早く好きな事からと、元野球仲間との交流が本格的となり(塩釜クラブ、平均年令65.5才、私なんかが年少の若僧というところ、元プロ選手1名、ノンプロ2名総数26名)すでに岐阜・群馬・茨城・青森・北海道の全国大会に出場し、どうにか体を動かすことに一定の自信を得た今日この頃。やればできる。いまでは年輩者の早起きも私にピッタリし毎朝午前5時に起床して自慢の愛犬(シェパート犬、リザーブチャンピオン保持犬)を連れての近郊の散歩は欠かすことのできない生活の一部で、私の楽しみの一つとなっている。
 この間同僚の訃報に接し、健康管理と生活に耐え得る体の貴重さをしみじみと感じている。いま思えば、統計事務所より研究所に出向したのが昭和47年10月で場ちがいの職場でいささか気後れがあったが、持前の心臓の強さと楽天性を生かしすぐに職場に順応することが出来た。私にとっては、懐かしい思い出となっている庶務課の若々しさに大きな張合いを感じていた毎日が強く印象に残っている。夢中になる気性の私に、教わった金泉君からの「ボーリング」等々一人前になったつもりでの他所へのコンペ。このあたりから若返った気質がいまだに持続しているように思う。
 この紙面を借りて「庶務課の皆さんありがとう」と一言を・・・・・
 いつの間にか暦も退職後3年目に入ろうとしている。鬼も笑う来年の事だが、二つの目標を掲げているつもりである。
 その一つとして、生意気だが私の小さな信念である「戦争のない平和な生活」で、一時期没頭した記録文集を来年はぜひ完結させたいと手掛け始めつつある。
 二つ目は、魚市場関係者からの鮪類の買付け要望にぜひ応え、インドネシア・ジャワヘ約3ケ月位でかけること。海外での見聞を広めたいとの欲望に浸っている。
 書きはじめたら終着がなくなるのでこの当りでペンを置きましょう。私ごときに投稿の依頼、企画者に心から御礼を申し上げ、いずれ又の機会に・・・
Shohei Monma

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