思 い 出

三輪 勝利


 私が東北水研で所長を勤めたのは昭和54年10月から昭和57年3月までの2年半という短かい期間でした。しかし、その間は私なりに結構楽しい日々を送らせて戴いたことを、東北水研の皆さんに感謝しています。
 東北水研へ赴任する前に、いろいろな人から「東北水研は問題が多い所だから苦労するよ」と言われていたので、塩釜へ足を踏み入れることは本当に気が重かったのですが、日が経つにつれて、東北水研は組織としては問題があるが、人なつこく、親切な好人物ばりのように感じて、これらの人達のために役に立ちたいと思うようになりました。そこで(1)バイタリティーのある研究者を育て、組織を活性化すること、(2)コミュニケーションを盛んにすること、が何よりも先ず必要との認識から、これに微力を尽くしたつもりです。 塩釜での通勤はバス又は自家用車を使いました。私の車は赴任の1年前に東京で買ったホンダのシビック(1,300cc)でした。当時小さな車に乗っていた人は菊地省吾さん他1名が私と同じシビックに、八百さんがダイハツのハイゼットに乗っていただけで、他の皆さんは比較的大きな車に乗っていました。安井さんの車は一番大きく、ニツサン・グロリアでした。菅野尚さんはトヨタのカローラに乗っていましたが、ある日私に「所長の車は質素だからもう少し大きな車を買った方が良いでしょう」をアドバイス?をしてくれました。しかし、新車を買ってまだ一万キロも走っていないし、使い馴れた車なので手離すのは惜しい気がして、まだまだと思っているうちに、2年半をシビックで通してしまいました。
 東北水研では自家用車がないと本当に不便です。交通の便が悪いので、通勤はもちろん、遠方へ出掛けるにも、鉄道やバスを使うよりも時間を効率よく使うことができました。冬の寒い朝には水産加工団地入口のバス停から水研までの間は冷い北風が吹きつけ、ツルツルに凍った道を恐る恐る歩くと、わずか500m位の距離なのに1キロもあるように長く感じたのもでした。ですから、冬は車で通勤することが多くなりました。
 私の車は東京で買ったので、寒冷地仕様車ではなかったのです。バッテリー容量が小さく、エンジンのガス吹出し量が薄く、エンジンがかからなかったり、バッテリーがあがったり、路上でエンストを起こしたことがよくありました。道路の真中でエンストを起こし、どうしてもエンジンがかからずよその人の車に曳いて貰ったことが2回ほどあったので、車を寒冷地仕様に改造して貰って使い続けました。
 自家用車のおかげで、近郊へ遊びに行きましたし、釜石、十和田湖、酒田などへも日帰りで出かけました。しかし、釜石から北上に出る283号線は、昼は景色がよく、ドライブを楽しめるのですが、ある時に仕事の都合で夜になったことがありました。この線は暗いうえに山坂が多く、時々道路がよく見えなかったりして、崖下に落ちそうになったことを覚えています。
 私が東北水研に居る間に、谷口さんがトラックに追突された事故、黒田さんがバイクで転倒した事故などがありました。大事に至らずに幸いでした。東北水研では車で移動することが多いだけに交通事故がないよう祈ります。
 最近は東北地方の太平洋岸で群発地震が発生し、大きな地震がくるのではないかと不安を感じさせていますが、東北水研の敷地は下が岩盤になっているめため、前回の大地震では殆ど被害がなかったのは幸いでした。水産加工団地は地盤が軟いため、前回の大地震で地下の下水道管があっちこっち壊れているらしいといわれています。東北水研は如何に地盤がよいからといって前回の地震より大きいのが来たたら大変です。大地震の来ないことを祈りますが、地震対策は充分にしておくことが必要でしょう。
 思いつくままに纏まりのないことを書いてしまいましたが、東北水研から見た松島湾の景色、汐の香りと魚粕工場の臭いが懐かしく、機会があればまた訪ねてみたいと考えています。
Katsutoshi Miwa

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