水産研究所の位置づけ

林  繁一


 東京勝どき3丁目の角に東北急行バスの車庫があった。八重洲口22時発松島行きのバスは午後9時頃出庫する。私は車庫からバスに乗り、翌朝7時に本塩釜の駅前で下車する。杉ノ入の東北水研で開かれる会議に出席するためである。翌日の会議を終ると、再び夜行バスで月島に戻り、東海水研に出勤する。乏しい旅費を有効に使う1960年代の研究者の知恵でもあり、楽しみでさえあった。
 この経験から、そしてかつお・まぐろでの協力から200海里元年に命じられた東北水研への転勤には懐かしさもあって喜んで赴任したものであった。それだけではなく、転勤直前に宿舎事情が悪いと聞かされて、住宅を買い、本籍まで塩釜市越ノ浦64に移してしまった。物事はいつも甘くはない。4年も経ないうちに再び転勤することとなり、その家も5年と住むことなく人手に渡ってしまった。
 家などはたいしたことではない。東北水研在任中から特に頻繁になった外国とのお付き合いは我が国における水産研究の位置付けを反省する材料を次々と与えてくれた。まずサンマ稚魚の沖合分布の調査は産卵場を持っている我が国よりも、ソ連の太平洋海洋漁業研究所の方が充実していることに驚かされた。そして日ソ漁業技術協力協定に基づく会議を通して、研究者の数において先方がはるかに勝っていると実感した。従来からの交際で米国、フランス等が我が国よりもはるかに多くの研究努力を海洋研究に投じていることは知っていたが、経済的に苦しい筈のソ連も我が国よりも大きい研究投資をしているのである。カツオの研究では南太平洋に対してヨーロッパ共同体やその加盟国の多額の資金供与を知ったものである。調査、研究における我が国の実績には敬意が払われており、たとえば初鳥丸によるカツオ標識調査の実績からか、1989年11月の今日なおツバル漁業公団から調査船の漁撈長の紹介を求める手紙が舞い込む程であるが、それでも個々の調査担当者や研究者の努力では支え切れないのが現実であろう。たとえば米国海洋漁業局NMFSの研究者は1965年当時765名であって、我が水産庁研究所の研究者約400名の2倍である。我が国には水産試験場で代表される誇るべき都道府県水産試験研究機関に約1,500名の研究者がいると反論されるが、米国の州立研究機関の水産関係研究者は約2,400名である。
 双子の赤字で悩む米国からは、主権の侵害になりそうな議会の決議が頻繁に報じられる。日本叩きのなかには感情的、或は傲慢とも思われる点も少なくない。しかし世界最大の漁獲を上げ、しかも世界中から水産物を買い求めている我が国が海洋の生物資源の管理、保存にかける熱意は余りにも足りないのではないか。色々な問題が挙げられているけれども、食糧の生産とか、環境の保護という人類の将来にとってもっとも基本的な課題に対する科学的、或は技術的な努力の不足は経済の成功を誇るこの国の重大な怠慢として国際的な非難を浴びる危険がある。非難はともかく、金余り現象がこゝまで明らさまになったこの経済大国にとって、自然の生産と保護とに関する科学的努力は国際社会の一員として不可欠な努力と言わねばなるまい。
 こゝで食糧は先進国の間では留易問題の対象であるが、発展途上国では不足が問題である点に注意をむけたい。たとえば1人1日当たり食糧消費量は米国では3,500カロリー、ドイツでは3,200カロリーであるのに対して、インドでは2,000カロリーである。蛋白質について見ると、米国人1人が1日に105g摂取するのに、インド人は50gも摂っていない。社会の発展は平等と消費の拡大とを求める。日本と韓国とにおける1人1日当たり蛋白質摂取量は1964-66年には76gと56gであったが、1980-82年には91gと82gとに増加している。生活水準の向上に伴って発展途上国でも人工増加率は低下するとしても、総消費量は増大すると考えねばならない。水平的な拡がりでも、時間的な拡がりでも食糧は決して余らないのである。
 そして食糧生産に必要なエネルギーの問題がある。現在の我が国の農業労働時間は1940年代の1/50に低下したそうである。労働生産性が向上したわけである。その意味でもっとも効率の良い農業は米国農業であって、1カロリーの労働によって6,000カロリーの農産物を生産するといわれる。これは世界の平均である10カロリーに対して驚異的な数字である。しかしそれを支えた機械、肥料、農薬等の消費エネルギーを計算に入れると米国農業は世界でもっとも非効率となるそうである。たとえば270カロリーのとうもろこしの缶詰を1ケ作るのに2,790カロリーを消費することになるという。翻って現代のグルメブームの中の我が水産業を見ると他人ごととは思われない面が多い。もちろん現実の社会に成立する経済性はあるけれども、化石エネルギーの限界、その消費によって生じる二酸化炭素、硫黄化合物の増加の危険を考えざるを得ないから、元来農業は自然の生産力を効率良く利用することが基本であるとの主張には強い説得力がある。水産においても同様に将来を見据えた研究の方向が求めれれる時代の流れが感じられる。
 水産研究所を去った今日、なし得なかったことは余りにも多いが、その研究に対する我が国の責任と、本来の水産研究の目標を改めて考えさせられている。豊かな海を研究の場としている東北区水産研究所で、将来性のある研究が育つことを切望する次第である。
Shigeichi Hayashi

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