東北水研ニュース

40周年を迎えて

秋山 和夫


 水産研究所が発足して40周年を迎えたという。まずとにかく「おめでとう」のお祝を述べさせていただきます。
 東北水研には私はこの間の初めと終りの1〜2年ずつを除いて在職し、誠に長いこと皆様にお世話になりました。思えば戦後間もなく国家公務員の採用試験が行われるようになって、たまたまそれにパスしたので、拾っていただいた。塩釜も釜石もはっきり区別がないまま、上野駅からSLの急行で煤だらけの真っ黒になり7時間位かかって仙台にきたと思う。仙台も駅前の青葉通り辺りでも黒いハニーバケットを積んだ牛車などがのんびり歩いていたり、ひどい土ほこりが風に舞っていたりで田園的風情も多く残されていたし、塩釜へは毎日行商の魚屋さん(ガンガン部隊)と一緒に通勤したのもである。
 さて駆出しの頃の水研の生活では文献は手書きで幾晩もかかって写したり(予算があると写真コピー)、データーの計算は算盤やガリガリチンという手動計算機、電話は忘れた頃に相手とつながる呼出し式、調査は車がないので女川、気仙沼、松川浦など少し離れた所は泊まりがけといったように時間のかかったことは数え挙げるときりがない。最近の測定機械類やOA機器、交通など、それに街並などその変わり様は以前に比べると全く夢のようであるとさえいえる。
 一方対象とした調査フィールドの海については転勤もなかったせいか、古い時の印象が鮮明に残っているところも多く、その状況の落差はやはり著しいものがある。例えば水研の下に展開する松島湾、ここは30年位前迄は湾内の殆ど全域がアマモ(海中の顕花植物の一種)が密生していて、この草の消長はタネガキの生産などとも密接な関係があるともされていたが、現在は湾内には殆ど見られなくなってしまっている。またノリ養殖は松島湾でも戦後著しく発展した主要浅海漁業であったが、最近の10年間湾内ではノリ芽が育たず、漁業が成り立たなくなってしまっている。またこの松島湾に限らず外洋面の牡鹿半島などでも以前は岩礁上には岩ノリ、フノリ、ヒジキなどの潮間帯海藻類が誠に豊富であったのだが、数年前訪れた時、その激減ぶりに驚かされたことがある。
 主に水研近辺での例をあげたが他所でも同じ様な事例は多い筈で、陸の我々人間生活の発展とは逆比例して沿岸浅海域の漁獲生産の荒廃は著しいものがあるといえる。陸では緑の消失などについては最近はそれなりに我々に知らされる機会は多くなってきているが、海についてはPRはまだまだ少ない。このままでは益々急速に沿岸域の荒廃は進むであろうから、多くの人々にその実情を知らせ、これ以上荒廃を進ませない、少しでも遅らせるための方法、対策を共に考えなくてはいけないと痛感させられている。
 最後に水研が更に多くの業績を加えられ、益々発展されることをお祈りしている。
Kazuo Akiyama

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