斉藤忠福

東北水研を離れて



 初めて水産庁(東北区水産研究所)に勤務したのは61年7月16日付けの発令で、本塩釜駅裏のグランドパレスに宿をとって頂いたのが始まりです。
 それから、この4月1日付人事異動発令になるまでの3年余り、この至らぬ私に対して公私共にいろいろと御協力くださった皆様方にどのような表現で感謝の言葉を申し述べてよいものやら分かりません。
 庶務課の皆様方は仕事も良く出来たし、若い職員も多く、とかく生意気ざかりの年頃と見られがちですが皆さん方はそうではなく真面目で仕事熱心な方たちばかりだったので感心させられた次第でした。
 レク旅行で、鳴子温泉峡に行ったときのあの紅葉のきれいだったこと、どじょう風呂に入ったら、肌が本当にドジョウのようにヌルヌルになった事、役所の前の山に登ったら浮浪者が住みついて居て気味が悪かったこと、増殖棟の屋上の雑草取りや、配水管の詰まりを直したこと、ニューミドリでのカラオケで歌う歌の上手な人が多かったこと、また、夏の季節には魚加工団地からの異様な臭いで窓をあける事ができなかったこと等々思い出は数限りなくあります。そして又、時時皆さんの笑顔や建物等が浮かんでくることがしばしばあります。
 東北区水産研究所での通勤はバスでしたが1台のバスに乗客はせいぜい10人位でのんびりの通勤でしたが、東海区水産研究所(現在は中央水産研究所)での通勤は電車とバスの乗り継ぎですが、電車の混雑ぶりはものすごく圧殺されそうな毎日です。でもこの頃では、混雑通勤や大都会での生活にもそろそろ馴れて来たところです。
 こちらでの主な仕事は、部課長会議の事務局、依頼研究員の受け入れ関係事務、賃金支払いに係わる出勤簿と単価金額との照合、受給者の洩れはないか等、公印の管理・押印、特許関係、農林生協関係、その他諸諸の仕事があり結構忙しい毎日をすごしています。
 この4月という月は、東北区水産研究所にとって、私を除き優秀な方々4人に離れられて大変ご苦労された事と思います。幸いに移動されずに残った方々も有能ですし、後任で来られた方も立派な方々なので安心をしている所です。
 私にとりましては、今後東北水研の皆様方はいつまでも思い出として心に残る事と思います。
 上京の折にはどうぞお立ち寄り頂き、東北水研のお話し等をお聞かせ頂ければ幸いと思っておりますのでその節は宜しくお願いします。
 最後にお世話になりましたお礼と、皆様のご健勝をお祈りしつつ失礼いたします。
中央水産研究所庶務課長補佐

Tadafuku Saito

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