小川嘉彦

ドラネコの捨てゼリフ



 今冬は何時になく暖かく、立春の頃とは言えば春とは名のみの寒い季節のはずなのに、ポカポカと文字通り春そのものの陽気で、つい浮かれて水産加工団地のあたりをゴロニャーゴロニャーとほっつき歩いていたのが運の尽きだったのです。いきなり首ねっこをギュツと掴まれ、シマッタ!と思う暇もあらばこそ、そのままダンボールの中に詰め込まれてしまったのです。さて、箱の蓋が開いたのでヤレヤレと箱から飛び出したまでは良かったのですが、飛び出してみて驚きました。これはもう“驚いた”なんて生易しいものではありません。腰を抜かさんばかりにたまげてしまいました。うす汚い倉庫街の建物の間から、な、な、なんと勝どき橋が見えるじゃありませんか!・・・。とまあ、例えて言えば、そんな感じの今回の移動でした。長門の国から奥州は塩釜湊に移り棲んで僅か3年半、何時も朝夕は一緒にごみ箱漁りをやっているブスネコと「今年の夏はねぶたでも見に青森あたりまでのしてみっぺか」等と言い言いしていた矢先のことでした。
 僅か3年半とは言え、沢山の方々にご迷惑をかけ、また大変お世話になりました。ここでいちいちお名前をあげませんが、紙面を借りて心から御礼申しあげます。本当は、この小文のタイトルも“ドラネコのご挨拶”としたいところなのです。しかし、“ドラネコのご挨拶”では日本語になりません。と言うと、何をそんな馬鹿な、と仰る方もあるかも知れません。さしずめX氏ーーXはエッキスとはっきり発音する!?ーーなら、どこも日本語としておかしいことなんか在りませんよ、そういったことがわからんで、こういったこと書くのは馬鹿、馬鹿ですよ、とでも仰るでしょう。そんなX氏の得意げなお顔も懐かしく思い出されます。しかし“ドラネコのご挨拶”は日本語としてナンセンスー英語でIt doesn't make sense.と言うあれーです。
 ついでに言わせて頂くと、東北水研内では“ドラネコのご挨拶”的ナンセンスがまかり通っているところが案外少なくないような気がします。研究についての考え方、研究に対する姿勢、いや、それどころか水産についての物の見方から研究所における日常生活全般にわったて、この“ドラネコのご挨拶”的ナンセンスが蔓延している、と言ったら言い過ぎでしょうか?例えば、世の中では“絵を描かない絵描き”或は“ピアノを弾かないピアニスト”等と言う者は存在しないのに、何の恥らいもなく“研究しない研究者”が存在しうるのは一体何故なのでしょう??ここで「研究しない」とは「論文を書かない」と同義です。「論文を書かない」等と言うと、すぐに、やれ業績主義の何のといきなり立つ向きもあるかも知れません。しかし、ドラネコは管理職でも何でもありません。ただ、国民の税金を使って公の機関で仕事をしていると言う事にはそれなりの責任が伴うのではないか、と考えているに過ぎないのです。
 少し話がそれてしまいましたが、“ドラネコのご挨拶”が日本語でありえないのは、ドラネコと言うヤツはまともな“ご挨拶”等したくても出来ない生き物だからです。まともな“ご挨拶”のちゃんと出来るネコなら、それはもうドラネコとは呼びません。仮に、ドラネコが格好つけて“ご挨拶”に及んだとしましょう。果たしてサマになるでしょうか?なる訳がありません。ドラネコ、と来たらその後は“捨てゼリフ”と来るのが相場と決まっているのです。決して“ご挨拶”ではありえないのです。それが日本語のセンスというものでしょう。そんな訳で、この小文のタイトルも心の中の思いと裏腹に、些かとんでもない代物に成ってしまいました。それならばドラネコに拘らなければ良いと言うことにもなりそうですが、実は拘る理由が在るのです。
 或会議の後の懇親会でのことです。今までお目にかっかたことのない初めての方でしたが、ツカツカと近づいて来られたと思うと、こう仰ったのです。ドラネコ読みました。是非一緒にやりたいと思います。「こう仰った」と言うよりも、そう仰ったと思うのです。何故なら、あまりに突然でしたし、すっかり感激してしまって、もうポーっとなってしまいましたから、正確には憶えていないのです。今だから白状しますが、その夜は胸が一杯でほとんど眠れませんでした。彼の言ったドラネコとは、やはりこの水研ニュースに載せて頂いた“ドラネコの提言”のことです。彼のこの一言で代表出来るように、「ドラネコの提言に温かく応えて下さった水研内外の研究者」の存在は、“ドラネコのご挨拶”的ナンセンスに満ち満ちた東北水研で生きていく上で、とても大きな励みになりました。
 この小文の唯一の目的は、東北の地で働く機会を与えてくださり、或いはこの3年半お世話になった全ての方々に心から御礼を申し上げることにあります。とりわけ“ドラネコの提言”を率直に受け止め、温かい手を差し伸べて下さった皆様には、感謝の他ありません。ある方とは何編かの研究報告を纏めることができました。またある方との共同研究は草稿の段階であったり、更に別の方との共同研究はやっと資料の整理が終わった段階であったりと、具体的な形としてはまちまちです。けれども、一緒に資料を解析し或いは一緒に考える過程で実に沢山の事を教えて頂きました。そうした共同研究者のご好意に甘え、休暇をとって、秋の頃三陸の川に帰って来るサケを見に行ったりもしました。小さな川でしたが、水辺にしゃがみこんで、川に入って来るサケを、3人でじっと見ていた時のあの気持ちは、おそらく生涯忘れないだろうと思います。
 こうして共同研究を進めるうちに、ひとつの大きな問題についても考えるようになりました。それは、水試と水研とでこれからどのように役割分担していったら良いのか?と言う問題です。まだこの問題には自分でも答えられずにいます。水研に入ってすぐの頃、こんな事を言われたことがありました。「水試もレベルが上がったんだろうね。水試にいた人が水研に来て使いものになるようになったんだもんな」。驚くにはあたりません。これも水研の“ドラネコのご挨拶”的ナンセンスなのです。驚くべき事は水試から水研に来ても使いものにならないような人などめったにいないけれども、水研から水試に連れて行ってまともに役に立つ人間が何人いるかとなると誠に心許ないと言う現実です。とはいえ、使いものになるとか役に立つとかは、相対的で主観的な側面のある評価ですから、いちがいに論じることは出来ないかもしれませんし、そういう観点からの議論はとかく不毛なものに終わりがちです。もっと正面から、水試と水研の役割分担はどうあるべきかという問題として取り上げるべきだという気がするのですが、如何でしょうか?
 最近「ああ、そう言う問題について水試でもうやっています。水研ではなにをやろうとしているのですか?」と言う声が大きくなったような気がします。もちろん、似たような声は3年半前にもありました。しかし、それは主に懇親会等のお酒の席のことでした。それが僅か3年半の間に公式の会議の席で聞かれるようになったのです。言い替えるなら、これは水試と水研との役割分担についての、水試側からの率直な、しかし、厳しい問いかけの言葉だと理解出来るのではないでしょうか?例えば、具体的に漁海況予報の問題について考えてみてもそうではないでしょうか?海としての東北海区はわが国の水産海洋学の発祥の“地”です。又東北水研は、その設立以来、サンマ・カツオの漁海況予報に関わって来ており、それが伝統にさえなっています。しかし、どうもスッキリしません。多少逆説的に言えば、漁海況予報が進歩しないのは、東北水研では伝統的に漁海況予報の研究を行っているからではないでしょうか?水試と同じ立場、同じ考え方、同じ方法で漁海況予報だけをやっていれば、それでよいのでしょうか?
 一体東北水研は何をやろうとしているのですか?東北水研は本当に必要でしょうか??必要だとしたら、何故必要なのでしょうか???
 信じ難いことと思われるかも知れませんが、僅か3年半余りとは言えそこで一生懸命過ごした東北水研を、ドラネコはドラネコ流に愛しているのです。ドラネコが如何に深く東北水研を愛しているかという証として、この言葉を“捨てゼリフ”として残そうと思います。何故なら、少なくとも、仕事の上では次の点が最も大切だと思うからです。いわく、「たとえどんなに悪意に満ちた言葉で語られようと、批判だけが進歩にとって必要である。」これは、こんなふうにも言い替える事ができるでしょう。「ひとを駄目にするのは至極簡単だ。ただほめてやりさえばそれでいいのだ。特にその欠点をほめてやるのがいい。そうすりゃ一発さ。おまけに、たとえ好かれることはあっても、嫌われる心配など全くないのだ」。
 元企画連絡室長の安井さんがまだ在職中、これまたお酒の席で仰ったことがあります。おい、お前さん、「借りてきたネコ」の次は「ドラネコ」で、それでもってその次は何だ、え? 残念ながらドラネコはドラネコです。くたばってしまえば「化けネコ」になるかもしれません。が、まだくたばるわけにはいきません。これからもドラネコとして頑張っていくつもりです。もっともドラネコの身にはこれしか表現方法がないとは言え、“捨てゼリフ”を吐くということは、言ってみれば、“天に唾する”にも等しい所業です。“捨てゼリフ”の地方名“東北”を取れば、“捨てゼリフ”はそのままドラネコがこの薄汚れた倉庫街の片隅で考え続けなければならない重要なテーマのひとつでもあるのです。おまけに、ついさっき悪態ついたばかりの「研究しない研究者」に、他の誰でもない自分がなってしまいそうです。(ああ、何てこった!)。慣れない土地でモタモタとまたぞろ皆様にご迷惑かけることになりました。もう少し落ち着いたら東北で始めた共同研究の続きもちゃんとやりたいと思っています。どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。
中央水産研究所海洋環境研究官

Yoshihiko Ogawa

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