伴 真俊

半魚人紀行 ー出会いー



 陸奥の地を後に、北上回遊を始めてから3カ月が過ぎた。以前、索餌回遊途上ふと立ち寄った東北区水産研究所八戸支所には、2年間お世話になったことになる(当時の目的は産卵回遊だったのだが・・・)。各地を回遊した私にとって思い出深い八戸の地も、配属された当時はそれほど魅力的な土地ではなかった。
 索餌の拠点となる我が庵は、建立後30有余年を経た、家屋というより小屋に近い建物だった。浜風が吹けば部屋中に砂が堆積し、梅雨になれば雨漏りがする雨風さえしのげない代物であった。聞けば地元民でさえ、そこに人が住んでいるかどうか知らなかったという。まともな宿舎のない土地になぜ人を配属するのかと、神や仏を恨んだものだった。
 また、魚の飼育実験を中心に生理学的な仕事をしてきた私に写った八戸支所は、飼育施設すらない研究所という名前からは程遠い存在だった。もちろん、ここでも従来の資源学的研究であれば、まともな仕事が出来ることを支所の伝統を実績が示している。ただ初めて漁海況予報会議に出席した際、これからの資源研究には生理学的手法の導入が必要であることを痛感した私は、施設のないこの場所で何をどうしたら良いのか全くわからずの途方に暮れてしまったものだった。
 しかし、配属1年後ぐらいから私の身辺りがにわかに慌ただしくなった。不足している設備を、補充してくれる人々や機関が現れたためである。渡る世間に鬼はないという言葉を実感するとともに、人と人のつながりが如何に大切であるかを身にしみて感じたのもこの頃である。私の我儘を理解し協力してくれた水産研究所の人々、魚を提供してくれた定置網の親方、さらに実験機材を賃与してくれた多くの機関の方々を思い出す度、胸が熱くなる。極めて協力的だったこれらの人たちに対し、何等明瞭な結果を出せなかったことが僅かに心残りだ。このような熱き思い出を残してくれた多くの仲間や陸奥の地に、今は心から感謝したい。
 仕事に伴う回遊には不安や不満はつきものだか、出会いはそれを補って余りあるほどエキサイティングだ。今では八戸も、忘れ得ぬ土地の一つとして私の心に深く刻み込まれている。
 さて、北の都札幌ではどんな出会いが私を待っていることだろう。
北海道さけ・ますふ化場調査課

Masatoshi Ban

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