日米暖水塊研究事情第3回日米暖水塊セミナーに参加して

安田 一郎


1.はじめに

 1988年10月3日から10日まで米国マサチューセッツ州にあるウッズホール海洋研究所において、第3回日米暖水塊セミナー(U.S-Japan the third Warm-Core Ring Workshop)が開催された。東北水研海洋環境部では昭和63年度科学技術庁重点基礎研究として「三陸近海における暖水塊の変動過程の物理的解明という課題を担当しており,この予算により当研究集会への参加の機会を得た。この暖水塊セミナーは今回で3回目であり,第1回はニュージーランド,第2回は東京,東大海洋研で行われた。第2回のセミナーには当水研から現遠洋水研の水野恵介氏が参加し東北水研ニュースNo29にその報告が掲載されている。このセミナーの目的は黒潮続流(北西太平洋),ガルフストリーム(北西大西洋)等西岸境界流から発生する暖水塊に関し,その物理・化学・生物的性質について異なる海域における共通点,相違点を明確にし,また,暖水塊を現実の海にある巨大な実験場としてとらえ「海の中で一体どんなことがおこっているのか?」ということを専門分野を越えて討議し,総合的に明らかにしようというものである。
 この小論では,三陸近海の暖水塊についての概観と重点基礎研究で行っている研究の経過,セミナーでの討議をもとに私なりにまとめた米国の暖水塊をめぐる研究の一端と私の感想を紹介させて頂くことにする。

2.東北近海における暖水塊

 東北海区(本州東方海域)は,房総付近から東へ向って流れる黒潮続流(暖流)と,北からの親潮(寒流)とが合流する境界域にあたっており,南海流の間には暖水と冷水が入り組み,大小さまざまな渦が存在する。暖水塊は黒潮続流やそれから派生する暖水から形成され,直径数10km〜数100kmの時計まわりの流動を伴い高温部が下に凸の構造をもつ渦である(図1図2参照)。これら暖水塊は短いもので数ヶ月,長いもので2年以上の寿命をもら,その周辺の海況や生物の分布に大きな影響を与える。移動方向は144°E以東に中心をもつ暖水塊は西,144°E以西のものは北が多いが,南下して黒潮に吸収されるものもある。
 暖水塊が持つ水産上の重要性としては次のことが挙げられる。春季においては,本州南岸で産卵された卵や,ふ化した稚仔魚は黒潮により運ばれ,本州東方海域において暖水塊の形成,移動とともに北方へ運ばれる。また,黒潮続流の近くに暖水塊が存在する場合,暖水と黒潮は相互作用し,黒潮前線から帯のようにのびて暖水塊塊境の周辺をかこむ暖水ストリーマ(暖水流条)と呼ばれる暖水がしばしば発生する(図1)。この暖水ストリーマによっても稚仔魚や卵が北方へ輸送される。このような現象は魚の生き残りや成長,再生産に影響を及ぼすと考えられるが具体的な影響については今のところわかっていない(実は稚仔魚や卵がどのように輸送されているかについても実証的に明らかにされているわけではなく,ここに述べたことは仮説である。このあたりのことは平成元年度からスタートする特別研究「生態機構」でも取り上げられる予定である)。夏季から秋季にかけては,暖水塊の周辺の冷水域にはサンマ,オキアミ,イカナゴ等の,暖水塊の内側にはカツオ,マグロ,イカ,イワシ,サバ等の好漁場が形成され,漁場予測という面で重要となる。特にサンマ漁は近海で漁場が形成されるか否かが暖水塊とその周辺の海況によって決定されるため,漁獲量さえもが暖水塊の動向に左右される。また,暖水塊の接岸は,沿岸水温の急上昇を引起こしたり,サケの接岸を妨げる等,沿岸漁業にも影響する。
 このように暖水塊については漁業上の重要性が認識され,東北水研においても木村喜之助初代所長以来,主に漁場形成との関連で多くのことが明らかにされてきた。しかし,いざ暖水塊の動向を予測するとなると,暖水塊は前述のように北に動く場合も南に動く場合もあり,正確な予想は困難なのが現状である。これは,(1)暖水塊はどのように形成れるか,なぜか,(2)どんなとき,どのように北or南or東or西に動くのか,なぜか,(3)暖水塊の構造はどのように変化するのか,なぜか,定量化できないか,(4)暖水塊はその周辺の黒潮,親潮,他の暖水塊とどんな相互作用をし,それはなぜか,等の暖水塊をめぐる基本的な疑問が解決されないでいるためである。
 東北水研海洋環境部では,これらの難問を解決する糸口を掴むために,数年前から暖水塊を人工衛星画像と調査船による海洋観測から総合的に調査し,その変動の実態の把握に努めてきた。特に1986年秋季に形成され“86B”と命名された暖水塊については,形成から2冬越した1988年秋まで計7回の調査船による海洋観測を行いその変動を詳細に追跡してきた。その結果,(1)形成過程については,黒潮続流の蛇行から切離され形成された86Bが,形成後も黒潮と相互作用をくり返し,初めに形成されたものより大きな暖水塊となったことが明らかとなった。また,86Bの形成直前に,それまで金華山沖にあった暖水塊が黒潮続流の蛇行が北へ拡大するのに伴って北へ移動する現象が捉えられた。(2)北上移動過程については,移動は間欠的であること,北上を始める際には暖水ストリーマが侵入し,同時に形状を南北に長い楕円に変化させ,その軸を時計まわりに回転させながら北へ移動すること等,他の海流との相互作用が北上移動と関連していることを示唆する事実が明らかにされた。(3)海洋観測により,2回越冬した暖水塊の海洋構造の変化が明らかになり,また,(4)沖から西へ移動してきた他の暖水塊との相互作用の様子(図3)が明らかとなった。最後にあげた他の暖水塊との相互作用の事例については簡単な数値モデル(図4)によっても再現された。このように三陸近海の暖水塊については問題解決の糸口が漸くみつかりつつあると考えられ,今後さらに研究を進展させることが必要である。

3.米国での暖水塊研究

 米国における暖水塊研究は1980年代に入ってから活発となり,それまでは漁業との関連で調査の進んでいた日本の方が暖水塊の研究については先進国であった。米国と日本の暖水塊研究の大きな違いは,日本が主に漁業上の重要性という観点からの取り組みであったのに対し,米国では暖水塊を海洋物理・化学・生物の実験場として捕え,学際的な部分にも多くの興味が向けられていたことである。例えば,ある海洋物理構造の変化に対応して化学物質の循環や,生物相の変化が綿密に調べられ,海洋物理学上の理論から生物相の変化まで一貫したストーリーが立てられるような有機的な結びつきをもって研究が進められたのである。暖水塊は第ゼロ次近似では孤立した系(渦)と考えることができ,比較的安定した系であるために,観測においても焦点を定めやすい等の利点がある。このような理由から,各々の分野における素過程を定量的に追及するのに暖水塊は格好の場であった。これらの研究を可能にするために必要な測器が開発され,最新の測器群を用いて各分野の詳細な観測が同時に行われた。そして,特に“82B”と命名された暖水塊については形成から消滅まで徹底した観測が行われ,各分野においても学際的分野においても多くの成果が得られている。
 米国の学際的な部分の研究のうち筆者が興味をもったのは次のようなものである。ガルフストリームの蛇行から形成された暖水塊は地球自転の緯度変化の効果(β効果)により西南西に移動する。この間に越冬し冷却されると,暖水塊内の水は500m深付近まで混合し,深度の大きいところの水と混ざるために表層付近でも栄養塩は高いレベルとなる。春となり,気温が暖水塊の水温より高くなると暖水塊の表層には季節温度躍層が形成される。この躍層形成とともに植物プランクトンの大増殖(ブルーミング)が起きる。通常であればこのブルーミングは表層水の栄養塩の枯渇とともに終了するが,ガルフストリームの暖水塊は南向きの移動傾向をもつためにその時計回りの渦度は減少,暖水塊は減衰し,下に凸の構造は次第に水平に近くなる。この変化にともなって暖水塊の中心付近では下層からの栄養塩豊富な水が湧昇するために植物プランクトンの増殖がブルーミング後も持続し,暖水塊の基礎生産力はガルフストリーム内に比較して高く,生物の生息環境としては必ずしも悪くない,というものである。
 このような結論を,北向きの移動傾向を持ち周囲の暖冷水との相互作用が大きい三陸近海の暖水塊にそのまま適用することはできない。しかし,個々の研究成果,解析手法,観測手法等については米国の研究に見習うべきことが多い。三陸近海の暖水魂については,研究に十分な物理,生物,化学データが同時に取られた例は少なく,生物の環境という側面からの研究はこれからの課題と考えられる。現在進行中の特別研究「親潮」や,平成元年度から始まる「生態機構」の海洋環境部課題は対象とする海洋現象は異なるが,研究手法や目的は米国の暖水塊研究と共通点が多い。これらの研究を成功させるためには物理,化学,生物についての十分なデータを同時に取るということが最も重要な鍵となるが,これらの観測には綿密な設計,観測のための労力,それに加えて最新の測器とそれを維持し,使いこなし,改良してゆく知力,人力と経済力が必要である。東北水研の塩釜には現在調査船が無く,このような込み入った調査の実施は難しいのが現状であり,大型船の配備が望まれるところである。
 ところで,暖水塊と漁業との関係という点でも日本と米国では事情が異なっているようである。日本では前述したように漁業形成や稚仔魚卵の輸送等魚の回遊と結びついていたのに対し,米国では大陸北東岸に広がる大陸棚域に大量に生息する魚や卵が暖水塊の接近にともないその流動によって外洋域へ運びだされる,ということが漁業に与える影響として重要視されているようである。黒潮の暖水塊については沿岸陸棚域への影響という点では余り研究されておらず,今後注目される課題であろう。

4.さいごに

 今回セミナーが行われたウッズホール海洋研究所は米国大西洋岸,ボストンからバスで三時間ほどの海に面した大変景色の良いところにあった。セミナーが行われた会場は海洋研究所のある一つの建物であったが,他にも幾つもの建物が点々として,その間は車で移動する様な距離で,まるで大きなゴルフ場の中にいるような気がした。
 私にとってこのような会議は初めてであり,特に外国の海洋研究所で著名な研究者を前に英語で発表せねばならないということは少なからぬプレッシャーを私に与えた。何しろ私はそれまで外人恐怖症でほとんど英語で話をしたことがなく,出発ニカ月前になって慌てて英会話を始めたりしたため,直前までバタバタとし(これはいつものことだが),海洋環境部だけでなく,資源増殖部の方々にまで迷惑をかけてしまった。しかし,会議において,我々の研究に対しても貴重な意見を聞くことができ,また,他分野の発表に対してもメモを取り積極的に討論に参加する米国研究者の姿勢を見ることができたことは大変大きな収穫であった。また,ウッズホール海洋研究所のみならず,スクリプス海洋研究所,ロードアイランド大学,米国南西水研,東北水研を訪問し見聞を広められたことは私にとって大変良い経験となった。このような機会を作って頂いた科学技術庁研究調整局,農林水産省農林水産技術会議事務局,水産庁研究課,東北水研の皆様にこの場を借りて御礼申し上げたい。特に,厳しい海況の中調査に惜しみない協力を頂いた調査船わかたか丸,北光丸、俊鷹丸の皆様に感謝したい。
(海洋環境部海洋動態研究室)

Ichiro Yasuda

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