マイワシはこの先いつまで獲れ続けるか?

−バイオコスモス浮魚系プロジェクトの目指すもの−

小川 嘉彦


 目 次

1 プロローグ
2 バイオコスモス計画
3 浮魚系プロジェクトの全体像
4 浮魚系チームにおける東北水研の役割分担とこれからの問題
5 エピローグ


 プロローグ

 漁業白書は誰にでも参照できる資料のひとつですが、その昭和62年度版によると、昭和61年1年間に我が国周辺で漁獲されたマイワシの量は421万トンにも達しています。しかし、そのマイワシも、昭和40年頃には年間1万トンにも満ぬ量しか漁獲されず、幻の魚とさえ呼ばれた程でした。魚と限らず一般に生物の個体数が時間的に大きく変動することはよく知られていて、例えば『比較生態学』という本には、さまざまな生物の個体数変動についての豊富な例が示されています。そして、この本の著者は、海産魚類の個体数変動は他の生物のそれと比較してマイルドだと言っています。とは言え、我が国の海面漁業による“総”生産量は、同じ昭和61年の統計で1,134万トンです。1,134万トンのうちの421万トンがまた1万トン以下になってしまうとしたら?それは決して「マイルドだ」等と言ってはいられない社会的大問題です。
 マイワシはこの先いつまで獲れ続けるのか?ある研究者はまだしばらくは大丈夫だと考え、ある研究者はもうそろそろ危ないと感じ、また別のある研究者は「そんなことわからんさ」とあっさり匙を投げ、漁業者や行政官は戦後40年も資源研究をやっていてまだそんなことがわからんのか、と苛立ちます。バイオコスモス浮魚系プロジェクトチームは、この疑問に科学的に答えるために平成元年度から新しい方法で研究を始めようとしています。

  バイオコスモス計画

 バイオコスモス計画とは農林水産技術会議の大型別枠研究“農林水産生態系秩序の解明と最適制御に関する総合研究”の愛称です。その予算総額は平成元年度で4億2千万円です。と言われてみても,ますますわからんというところが正直な印象かも知れません。そこで,いくらか長くなりますが,もう少し具体的に紹介しますと,この研究は「動植物,微生物など生態系を構成する生物種の多様な生存戦略と適応様式に着目して,生物間の相互作用あるいはコミュニケーション等そこに介在する未知の要因とその機能を近年の新しい手法及び理論により解明し,これに基づく生物集団の最適制御技術を開発して,革新的な農林水産技術の創出に資することを目的」としています。
 この計画がバイオコスモスと呼ばれるようになったのは比較的最近のことで,計画案を練る段階のかなり長い期間,アグロホロニクスと呼ばれていました。確かめたわけではありませんが,この言葉の発想のもとにA.ケストラーの著書の一冊がありそうです。実際に呼び名は変わりましたが,この計画の関係者が“技会のマトリックス”と称する研究課題の骨格に当初のホロン的発想の名残を認めることができます。
 バイオコスモス計画の研究課題の構成には“技会のマトリックス”の「行」が対応していて,個体レベルのテーマから個体群レベル,さらに群集レベルのテーマまでいわゆる小課題数で16テーマがあり,その他に共通基盤技術に関するテーマが設けられています(表1)。他方,“技会のマトリックス”の「列」には耕地生態系,草地生態系,森林生態系および水産生態系の4チームが対応しています。そして各系はさらにいくつかのサブチームによって編成されているのです。ですから同じ「行」の研究テーマについては耕地から水産までの横並びで研究を進めるわけで、これはバイオコスモス計画の大きな特徴です。
 農林水産の分野で水産以外の人々が皮肉をこめて、また自身水産の人々は自嘲的に時折口にする言葉があるそうです。それは「水産は一周遅れのトップ・ランナー」というものです。そう言われるようになった理由はいろいろあって単純ではないでしょうが、理由のいくらかは水産の分野で研究対象とする生物が主として生息している海洋という環境の特殊性にも依存しているように思われます。海洋は広大な三次元空間であるというだけでなく、海水という特別の流体の場であり、海洋では地球に対して固定した観測点を設けることが極めて困難である上に、海面上では波浪によって、また深部では大きな水圧と光の不足(あるいは欠落)によって、人間の現場観測を阻まれているからです。
 とは言え、だからいつまでも“一周遅れ”でいてよいということにはなりません。本物のトップ・ランナーにはなれないにしても、せめてトップ集団にはついていたいものです。他分野と横並びで研究を進めかつ評価されるこのプロジェクトは、水産研究にとって刺激を受け、多くを学べるまたとないよい機会と言えそうです。

 浮魚系プロジェクトの全体像

 浮魚系というのは前述の“技会のマトリックス”の4つの「列」のひとつ,水産生態系チームの中のひとつのサブチームです。水産生態系には浮魚系の他に遡河魚系,浅海生態系及び岩礁生態系というサブチームがあります。浮魚系以外の系については本誌上でそれぞれの系の専門家が紹介していますので,ここでは浮魚系についてのみお話することにします。
 当初アグロホロニクスと呼ばれたこの計画のことが初めて東北水研に伝えられたのは昭和61年7月22日のことです。正確な日時を別にすれば,この計画について考えはじめるようになったのは各水研とも同じ頃だったのではないでしょうか?その段階ではまだ浮魚系だとか岩礁生態系といった区別は勿論,水産生態系,森林生態系といった考え方さえまだ具体的なものではありませんでした。ただ,もし水産で大型のプロジェクトを組むとしたら浮魚群集内における“卓越魚種の交替”の問題だという考え方は,塩釜の資源部と海洋部では割合早い時期にはっきりしていました。
 昭和61年7日以降,塩釜では渡部資源部長(当時,現企画連絡室長)を事務局長に,事務局員として資源から渡辺技官,海洋から筆者が下働きを務めることとして資源・海洋両部合同の計画案作成検討会が何度となく開かれました。そうして出来上ったのが「中規模外洋生態系における浮魚類魚種交替現象の生物学的機構の解明」という13ppの計画書で,ほぼ1年後の昭和62年7月30日に水産庁研究課に提出されています。細かい説明は省きますが,この計画書は,従来の魚種別1人1魚種担当研究型から脱却し,新しい浮魚群集に着目し,要素個体群レベルで実際海の中で何が起っているかを,テーマ集中解決型の資源・海洋研究者のプロジェクト研究としてやろうという考えに基づいて立てられていました。
 他の水研でもそれぞれの所内で検討と計画案の作成作業が進んでいましたが,計画についてのもうひとつの考え方の代表はマイワシの資源変動に焦点を絞った東海水研案でした。昭和62年の夏は,東海水研と東北水研との間で「××案に対する○○の見解」,「○○の見解に対する××の反論」という文書が忙しく行き交ったホットな季節でした。当時の楽しかった議論の思い出に「東北水研における浮魚生態系研究計画についての基本的考え方(メモ)」の中から,“違いのわかる一覧表”をそのまま表2としてあげておきましょう。議論をしていてある人のひとつの考え方に批判的な意見を述べると,まるで己の全人格を否定されたかのように感情的になって怒り出すような,そんな人が研究者の中にもいないわけではありません。浮魚系の計画に関心を抱いた人達の中にそういう“センスのない人”がいなかったのは実に幸せでした。
 ツラツキアワセて議論することの重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。昭和62年11月26〜27日に東大海洋研で開催された日本版SARPシンポジウムとその直後の夜間検討会や昭和63年1月20〜21日に東海水研で開催された第4回イワシ資源検討会で各水研の考え方が議論され浮魚系の全体像の骨格が出来上りました。こうした一連の検討会を通して合意された浮魚系のテーマは,「マイワシを中心とした多獲性浮魚類の資源変動機構の解明」というものです。このテーマは4本の柱によって支えられることになっています。
 その“4本柱”は(1)初期減耗とその周辺の問題,(2)成魚の栄養環境と性成熟,密度効果のメカニズム,再生産能力の変化等の問題,(3)適応戦略としての生活型,ポピュレーション構造の変化,回遊,集団間の交流・混合の問題及び(4)長周期・大規模の環境変動と資源量大変動との関係の問題です。この“4本柱”はそれがそのまま“技会のマトリックス”にはまりこむものではありませんし,研究者が理想と考えるテーマと現実の予算要求の過程で生き残るテーマとの間には若干のギャップがあります。ですからこの“4本柱”がそのまま浮魚系の個々の研究テーマとなっているわけではありません。
 むしろ“4本柱”は個々のいくつかの研究テーマによってその妥当性を実測によって検討すべきそれぞれ相対的に独立した仮説であると理解すべきものといえるでしょう。仮説として読みかえると,それぞれ(1)マイワシ資源の大変動の鍵は発育初期の大量減耗にある,(2)成魚期における栄養条件が再生産能力に影響を及ぼし,これが資源量変動の動向を決定する,(3)資源量の増大に伴って生活型やポピュレーション構造が変化し,これがある条件の下で密度独立的な資源減少の要因となる,(4)海洋の環境の長期的な変動が資源量の長期変動の鍵である,といったものになります。勿論これはかなり単純化した説明で,実際に(4)の柱では,(1)〜(3)を総合した上で環境の長期変動も組み入れた資源の変動機構についての総合モデルを開発するところまで含まれているのです。
 このプロジェクトは全体として10年にも及ぶ長期の計面です。その目的は,つまるところ“マイワシはこの先いつまで獲れ続けるか”という疑問に科学的に答えることだと最初に申しましたが,浮魚系プロジェクトで10年後に“期待される成果”としてあげているのは正確には次の4点です。それは,(1)マイワシの大規模な資源変動(魚種交替)の機構を解明し,長期的な変動傾向を予測することを可能にすることによって,漁業および水産加工業などの産業の経営に資するとともに,我が国の食糧自給の基盤を強化すること,(2)大回遊性浮魚類についての研究手法を確立し,これらの資源の人間による管理可能性と限界----------資源利用方策----------について展望を示すこと,(3)資源の変動について現象の記述から機構の解明へと踏み込むことにより,資源研究の科学としての質的発展に寄与すること,及び(4)世界的な規模で実施されようとしているイワシ類加入研究の重要な一翼を担い,先導的役割と国際的責任を果すことの4点です
 一見しごく当り前のようにも読めるこの“期待される成果”は,少し注意深く読むとただごとではないことにすぐ気づくはずです。(1)の成果をあげるためには(2)と(3)を達成することが不可欠で,(2)と(3)に支えられた(1)があってはじめて(4)が可能だからです。ここで大切なことは時間的に(2)と(3)が先にあって次に(1)がくるといったそんな関係ではなく,(1)と(2)及び(3)とは表と裏の関係にあるということです。(4)についても同じことが言えます。つまり研究結果そのものが同時に新しい方法論の提示になっているような,そんな成果が要求されているわけです。
 ところで,例えば前述の“4本柱”について,テーマにあまり新鮮味が感じられないとか,水産のテーマは20年前とちっとも変わっていないじゃないか,と言った批判のあることも確かです。しかし,テーマは新しければそれでいいというものでもないでしょう。古いテーマでもいまだに解決しておらず,なおかつ解決する必要のあるテーマなら古かろうと新しかろうと問題ではないはず。つまり,テーマは解決すべきテーマかどうか,また取り組む価値のあるテーマであるかどうかによって判断されるべきです。必要なものはテーマの字面の新しさなどではなく,テーマに迫る方法論の新しさ,その発想の新しさでなければならないはずです。その意味で浮魚系プロジェクトチームは新しい浮魚資源学の構築を目指していのだと言うことができます。

 浮魚系チームにおける東北水研の役割分担とこれからの問題

 バイオコスモス浮魚系チーム全体として15のテーマについて研究を進める計画ですが,東北水研はそのうち2つのテーマを分担することになっています。そのうちのひとつは,資源管理部浮魚資源第一研究室が担当研究室になっている「耳石日輪解析による仔魚の成長過程の実証的解明」というものです。これは,例の“4本柱”で考えると(T)の柱に該当し,“技会のマトリックス”(表1)で考えるとU−2−(1)に当たります。東北水研で分担しようとしているテーマのもうひとつは,海洋環境部生物環境研究室が担当研究室となっている「マイワシ仔稚魚の成育場への移動様式の解明」というものです。これは“4本柱”では(1)と部分的には(3)の柱に当たり,“技会のマトリックス”ではU−2−(1)に該当します。個々のテーマそれぞれの研究目的や方法等については,研究がスタートした段階で折々のトピックスも含めて改めて紹介させて頂くことにして,ここでは省略いたしますが,基本的には表2の“違いのわかる一覧表”の「東北案」のような考え方に立っていることだけを指摘しておきたいと思います。
 ところで,研究を具体的に進めるためにはいろいろな現実的問題を解決する必要があります。それ故ここでは研究をうまく進める上で何が必要かという点にも触れておきたいと思います。
 最も重要な点は,いかに研究チームを構成するかということではないでしょうか?東北水研で分担する2テーマについてお話したところで「担当研究室」という言葉を使いました。この計画で事務局の雑用係出身の研究室から出たテーマが残ったというのは単なる偶然の一致に過ぎません。すでにお話したように東北水研では部や研究室の枠を越えて真剣に議論をくりかえしてさました。ですから担当研究室というのは「事務担当研究室」とでも理解すべき性格の言葉です。そうでなくてはせっかくここまで皆で一緒に考えてきた努力を無駄にすることになりますし,第一,“期待され”てい“る成果”をどうして達成できるでしょう?
 チーム作りの重要性は単に東北水研内部だけにとどまりません。他の水研が担当しているテーマとどうやって共同し,浮魚系研究チーム全体として効率的に成果をあげていくかはとても大切です。仲間内だけで傷を舐め合うといったような気色悪い平和な状態を保つというのではなく,相互に批判し合い,その相互批判を通して理解を深め,また助け合えるような関係を一層発展させたいものです。戸坂の『科学論』を埃つまでもなく,科学の基本は批判的精神にあると思うからです。しかし,これは単なる精神論ではありません。フィールドでの実験的観測のために調査船をどのように配船し,またどのように運航するか,どんなギアでサンプリングするかといったきわめて現実的な問題に直接関わっているのです。とりわけ“独自の調査船”を持たぬ塩釜にとっては,計画の生死にかかわる大問題なのです。
 さて,ここまでは浮魚研究チーム内のことです。しかし,浮魚類の研究者は今回たまたまバイオコスモス計画に参加することになった研究者だけではありません。水試や大学にも,また水研内部にもこの計画に参加していない優れた研究者がいて,それぞれの体制や予算枠の中で仕事をしています。いくら浮魚系研究チームとしてうまくまとまっても,それだけで孤立した集団となってしまったのでは発展は望むべくもありません。チーム外の研究者といかにうまく連携プレーが出来るかということも,チーム作りに優るとも劣らぬ大事なことがらだと思います。あるいは,それができなくては,本当の意味でのチーム作りができたとは言えないのかも知れません。
 もうひとつ大切なことがあります。浮魚系の研究計画はSARPをかなり強く意識して立てられており,その意味でSARP型と言える側面を持っています。そして,そうした点についてはチームの内外からの一定の批判のあることも確かです。例の“4本柱”を整理したのも,ひとつには浮魚系の個々の研究テーマが“技会のマトリックス”の中で発散してしまうことがないようにという配慮に基づくものでした。戦後間もない頃のイワシ資源研究体制と浮魚系研究チームとの大きな違いのひとつは,見方を変えて言えば,浮魚系研究チームには“大ボス”はいないということです。浮魚系研究チームは,研究者個人個人の自意識はどうあれ,それぞれ腕に覚えのある専門家の社会的にはドングリの背比べ的集団です。そこが浮魚系研究チームの最大の長所のひとつでもあるのです。が,長所はいつの場合でも反面短所でもあり得るものです。そのことが今すぐ問題だというわけではありません。ただ,10年という長丁場です。これから10年の間には,せっかくの長所が短所として作用しかねない局面に出会すこともまったくないとは言い切れません。そのことはいつも心にとどめておくべきだと思います。
 心にとどめておくということは,やはりテーマについての共通の大きな理解に立ってのことでなければならないでしょう。最初に紹介したバイオコスモス計画の長い日本語名はしばしば「生態秩序」と略されていますが,生態秩序という言葉からは,C.ダーウィンの『種の起源』の最後の一節が鮮やかに心に浮かび上ってきます。これは多分に筆者の好みにもよることで,ここで筆者の好みを他人様に押しつけるつもりは毛頭ありません。ただ,何かそういう大きなイメージを共通して持っていることが,“心にとどめておく”上で必要ではないかと思います。何故なら,バイオコスモス計画全体の大きな目的のひとつは,まさに生態秩序のイメージを具体的にすること,つまり「生態秩序の解明」にあるからです。

 エピローグ

 TOGAという計画があります。TOGAという単語からE.Rutherfurdのベストセラー“Sarum”の中の印象的な場面を思い出す万もあるかも知れません。しかし,ここで言うTOGAは,1985年に10年計画ではじまった「熱帯海洋および全球大気変動国際共同研究計画」の英語の略称です。このTOGA計画について1984年にJSC/CCCO TOGA Scientific Steering Groupが“Planfor the TOGA Scientific Programme”という150pp.近い文書を出しています。この運営委員会の委員長A.Gill-----海洋研究者には名著“Atmosphere−OceanDynamics”の著者として“お馴染み”?-----は,この文書は科学運営委員会の会期後ほんの数週間という短期間に集った計画の最初の草稿に過ぎないことを強調していますが,筆者にはとてもそうは思えない出来栄えのものです。
 残念ながらバイオコスモス浮魚系研究チームにはこれに匹敵するものがありません。「残念ながら」という表現には,計画のための議論の過程でもう少し工夫があれば,これに匹敵するバイオコスモス計画浮魚版を作っておけたかも知れないという反省と後悔の念がこめられています。実際,昭和61年7月以降,浮魚系研究計画に関心を抱いた研究者が戦わせてきた議論の量と質は,決して貧しいものではなかったのです。計画立案のため精一杯努力したつもりですが,いささか工夫に欠けた点は反省しなければなりません。これからは創意・工夫・努力,そのどれもが欠けることのないようにしたいものです。ただ,不幸中の幸いは,バイオコスモス浮魚系研究について本当のエピローグが書かれるのは,早くとも10年後だということです。バイオコスモス浮魚系プロジェクトは今やっと走り出そうとしているのです。
 こうした大きなプロジェクトの実現は,研究者の努力は当り前のこととして除外するとしても,研究者以外の実に多くの方々の努力と支援とによっています。研究者は“研究テーマは新しければそれでいいってもんじゃない”等とうそぶいていれば事足りるかも知れませんが,必要不可欠とは言え一見新鮮味に欠ける研究テーマに予算を獲得しなければならない行政部局の方々の苦労は並大抵ではないでしょう。本プロジェクト実現のため御尽力頂いた農林水産技術会議事務局、水産庁研究課、同資源課の関係者各位をはじめ、SARPシンポジウムの場を通じ、あるいは個人的に批判や助言を頂いた多くの研究者の全ての方々に、紙面を借りて厚くお礼申し上げます。

(海洋環境部 生物環境研究室長)

注)現在「浮魚系」と呼ばれている系は、このメモが作成された昭和62年11月20日当時はまだ「浮魚生態系」と言われていました。
Yoshihiko Ogawa

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