岩礁系漁場の「環境収容力」の実相解明にむけて

浅野昌充



 東北水研資源増殖部の伝統的な研究といえば、エゾアワビ Haliotis discus hannai の増殖技術にかかわる一連の研究がまず挙げられよう。紫外線照射海水の産卵誘発効果の発見は種苗生産技術発展の引き金となり、かつ技術自体の核を形成した。この種苗生産と表裏一体の関係にある種苗放流は、当初その効果に疑問を持たれた時代もあったが、海中造林により漁場の餌料生産を高めて所謂「環境収容力」を向上させ、一方でアワビ・ウニの放流時期、放養密度等を調節して最大限の生産性を実現する漁場管理的な技術へと発展してきた。これが「磯焼け」の持続する構造解明に端を発したものであることは周知の通りである。こうして現在、アワビの増殖は、誰もが実行可能な技術としてほぼ完成したといってよく、今後の研究はこの一連の技術形式の改良の中で、如何にして種苗生産のコストを低減し得るか等の事業経営上の経済効率にその要点が求められる段階に入るものと思われる。
 これらの研究は、「浅海別枠」及び「マリンランチング計画」において推進されてきたものであるが、この間に積み上げられた問題も少なくない。そしてそれらの問題の多くは特に所謂「環境収容力」の実相に収歛するものである。この問題の解明は、当部においてかねてより懸案とされながらも、一つに研究員の不足と技術開発先行の研究姿勢とから今一歩踏み込ずにいたのであるが、最近3カ年に新研究員が配置されて実戦力となり得る体制が整えられたこと、また基礎研究を指向する傾向を持ったポスト・マリランの大型別枠研究プロジェクトが発足しようとしていること、さらにこの「環境収容力」の実相たる水面下での生物生態をキチンと理解して事業を進めたいとの現場からの強い要望のあること等の理由から、この研究が実現し始めている。そこで、本稿ではその研究の全体の構想を中心に、いくつかの具体化しつつある研究テーマについて述べてみたい。
 研究フィールドは、牡鹿半島突端に位置する200haの外洋にに面した北向きの湾であり、アラメ Eisenia bicyclis の大群落を核として多種類の海藻群落を擁する、さながら植物園のような岩礁域である。底質は岩盤及び転石で湾口から砂泥底となる。海底には、スキューバー潜水を主体とした調査に便利なように15m間隔で碁盤目状にロープを張り巡らし、目的のポイントに容易に到達できるようにしてある。(図1)これは、植生の分布と植食動物の分布とを経時的に追跡するための工夫である。
 これまでに行ってきたその調査結果を概括すると、次のようになる。
 春から初秋、多年生の大型褐藻であるアラメがその葉状部を成長させ、直下の岩面への日射を遮るように被度が高くなるこの時期には、植食動物はアラメ群落の外部に多く分布している。ところが、晩秋から冬、アラメが葉状部を落とし、被度が低下して岩面への日射が相対的に増加するに従って植食動物は全域にはほぼ均等に分布するようになることである。ただし、水深になる動物分布の種組成や密度の相違が認められ、季節的変化のあることもわかってきた。
 アラメ等大型海藻群落内における植食動物密度が低いという現象は以前から知られており、その要因として、実験室レベルではアラメ及びアラメ群落深部外縁に分布するアミジグサ科のフクリンアミジ Dilophus okamurai がアワビ・ウニに対する忌避物質を生産するようであるからアレロケミクス的な障壁を形成しているのではないかと考えられている。しかし、初秋から発育が盛んになるフクリンアミジの生活環を考え合わせると、上記の現象をそれだけで説明することができないようにも思われる。事実、フクリンアミジ帯における植食動物の分布密度も有意に低い傾向が認められる。実際に、その障壁効果を調べる目的で、その現存量が増加してくる10月に殻長3pのエゾアワビをフクリンアミジ帯の深部外縁に多数放流したところ、12月にはすでに多くのその放流個体がアラメ群落内に進入し、分布の様相からフクリアミジ帯を中央突破したものと考えられ、2月にはアラメ群落内の浅部を中心に湾内全域に分布するようになった。4月以降は今後の調査結果を待つことになるが、アラメが被度を増加していけばおそらくこれらアワビはまた群落外へと移動すると思われる。これは、2月現在、放流したアワビ以外の天然個体を含む植食動物群が群落内部にも外部と大差なく分布しているが、前年の夏から初秋にはこれらは内部に僅少であったことが推測の根拠である。
 このような現象に対して,統一的に説明できる仮説があれこれ討議された結果,遊泳力を持つものが少なく小型種の多い植食動物群集の分布の第一義的な規定要因は大型海藻よりむしろミクロフローラにあるのではないかとの考え方が有力となった。というのは,植食動物の摂食形態は岩面をなめながら這い回るものであり,大型海藻の葉状部を感知してそこへ向うだけの感覚器も発達していないし,たとえ向ったにしても足下のミクロフローラがその前に餌となるはずだからである。そして実際多くの種では岩面をなめ回っているところが観察される場合が非常に多い。また,磯焼け海域に多量の植食動物が蝟築していて逸散しない理由も,この点から説明することが可能となる。従って,アレロケミクス的な関係は大型海藻と植食動物との間ばかりでなく,ミクロフローラとの間にも考えなくてはならないということである。
 磯焼けの持続する構造は,周知のように,過剰な植食動物の分布によって海藻幼芽が萌出してくるそばから摂食されてしまう点にある。即ち,磯焼けの岩面には日射を遮るものが存在しないためにミクロフローラの生育には適しているが,そのミクロフローラに植食動物が蝟集して海藻幼芽が成体へと発育する前に摂食して減耗させるためにあたかも不毛の場のように現象していると考えれば筋が通ってくる。事実,磯焼け海域の植食動物を駆除すれば,コンブ等大型海藻が生育し,植食動物密度を押えてコンブが毎年繁茂する状態を維持して行けばアラメの群落が形成されて行くことが知られている。
 従って,先述したアラメ群落内外の植食動物分布の季節変化は,春から初秋,アラメの被度が増加して岩面への日射量が遮られミクロフローラの発育が阻害させる時期には,植食動物はアラメ群落外部へ分布の中心を移動し,晩秋から冬,アラメ群落内部にもミクロフローラの発育が相対的に高くなる時期には海域全体にあまり偏りなく分布するというわけである。
 もし,これが正しいこととすると,磯焼け現象や三陸沿岸に時折起る劇的な現象との統一において,植生と植食動物との相互関係に対する研究の基本的な視点が形成される。ここで,その三陸沿岸に時折起こる劇的な現象とは,冬季極低水温経過後の春にコンブ等大型海藻が多量に繁茂する現象である。最近の例では1985年の春に起った。それまで磯焼け状態にあった海域までコンブに覆われたのである。このような現象は10−30年に一度の割合で寒流系支流が接岸し,平年7〜8℃の水温で経過するところが2〜3℃で2カ月にもわたり推移した冬の年に生ずる。この現象も植食動物のミクロフローラに対する摂食によって説明できる面がある。いうまでもなく岩礁系の植食動物は変温動物であり,水温低下によって活動が強く抑制を受ける。
 水温を2.5,5.0,7.5,10.0℃の5段階,各水温について,小型植食巻貝を密度を変えて収容した水槽中で,マコンブの幼葉或いは芽胞体(1〜10細胞体)の生育を観察したところ,水温及び植食動物密度に対して逆相関性のマコンブの生育が認められた。このことは,実際の海域でも,植食動物の摂食圧を抑制する目的で海中に垂下したマコンブ種糸で,海底面にマコンブが繁茂しない年でも多量の繁茂が見られ,海中造林技術として応用されていることは周知のことであり,また,波浪によって植食動物の蝟集が困難な潮下帯には毎年大型海藻が生育していることもよく観察されるところである。
 これらのことから,植食動物とミクロフローラとの関係が密接なものであり,それは単に植食動物がミクロフローラに蝟集するという一方的な関係だけでなく,そのことによって海域の植生も規定される関係にもあることが推察されるのである。従って,「環境収容力」の実質である海藻のあり方を究明するためには,植食動物と海藻との相互作用において両者のあり方を捉えて行かねばならないとの研究の視点が必要である。そこで,今後の研究の指針となるべき仮説的な模式図を描いてみたのが図2である。
 図2は海底面の水深に従った海藻群落の構造が描かれてあり、植食動物(図中では特にアワビを挙げてある)の生活段階に従った海藻との相互作用を忌避・誘引の関係において描いてある。またこの図は,長期的な視点から眺めて,海底面の海藻群落の遷移過程を示してあり,その遷移過程の各段階で植食動物との関係によって遷移方向が決定づけられて行くことも示してある。
 現在,述べたように,植食動物とミクロフローラとの関係が非常に密接であり,かつこれが海藻遷移の始相とその発展方向とを強く規定するのではないかとの考えに立って,特にこの部分に焦点を当て研究が進められている。
 まず,ミクロフローラの観察は海藻群落の構造に従って,アラメ群落内部の最浅部,中央,フクリンアミジ・無節サンゴモ帯,以深の砂泥帯に塩ビ板を固定し,裸地からのフローラ形成過程を追跡することによって行なわれている。これまでの結果を概括すると,季節毎に発生する毎藻が異なり、また植食動物の分布によって萌出量が強く規定されていることがわかってきた。しかも,植食動物は種によって食対象が異なっているらしく,従って,萌出の種組成も場所によって変化するようである。
 実験室レベルでは先述した水温や植食動物の密度,種組成によって,藻類の繁茂が如何なる影響を受けるかが調べられつつある。この海藻の発育が植食動物の活動性に強く規定されていることは実証されつつあるが,そればかりでなく海藻相互の競合も大きく絡んでいるようである。
 植食動物の方向からは,ミクロフローラに対するミクロファウナの構成が追跡され,植生分布や水深に従った植食巻貝類の量や種組成の季節変動,資源加入の様相が調べられている。特にアワビについては,生活過程に従って個体群の移動・分散を調べる目的から,これまで全くわかっていない着底から約1カ年の分布様式を把握するための手法の開発が行なわれている。それは岩面から剥離・採集した雑多な標本中のアワビ椎仔の数量を免疫抗体法によって検出しようとするもので,現在抗体の作出が行なわれ,抗体の特異性の検定が進められる段階に入っている。また,この着底場所の検索を行なうにしても,着底の時期を正確に知らなければ,移動・分散の様相はつかめない。そこで,アワビの産卵の日時を把握するために,浮遊幼生のプランクトンネット採集を産卵期に毎日行なったところ,台風の通過に同期して産卵が起るのではないかとのデータを得た。
 エゾアワビの産卵の台風誘発については,これまで全く知られていなかったことではなく,天然母貝による種苗生産に携わる人達の間では,台風通過後に採集した母貝が放卵後の状態を示していることはよく知られている上,プランクトンネット採集によって台風通過後に浮遊幼生が多数発見されることも知られている。しかしながら,このことは未だ確証がなく,明確な現象の確定が今後必要である。
 当水研の資源増殖部で今後推進されて行く岩礁系海域における生態学的研究の基本的視点といくつかの代表的な研究を述べた。観察を行なえば行なうほどに,様々な自然現象が研究者の目の前に展開してくるようであり,興味は尽きない。
(資源増殖部魚介類増殖研究室)

Masamitsu Asano

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