舌足らずの弁解

安井達夫



 退職後はや5カ月になりました。お陰様で腹の出っ張りも少々減り、高血圧も薬の助けを借りてはいますが大分良くなりました。まだ頭の眠気が醒めないのが弱点です。
 さて、退職直前本誌第33号のあとがきに「水産研究所は理学研究所にあらず」と書いたところ「あれはどういう意味か」とか、「誰のことを言っているのか」と言われました。私は特定の誰かを頭において書いたのではありません。近頃の水産研究所全体の傾向を批判したかっただけです。水産研究所というものは水産業があるからこそ社会的存在意義を認められているのであって、水産業がないところではその研究所の存在もあり得ないのだということを、研究所の皆さんが、本当に知っているのか、考えたことがあるのかという問題を含んだことなのです。産業の発展には技術の進歩が必要です。技術とは単に道具やその使い方だけではなく、生産の対象、水産でいえば多くは水棲生物の性質を良く知ることも含まれるわけです。そこに生活の場を知るための海洋物理とか生物とかの理学的研究が必要なことは当然で、それを否定しているのではありません。ただ、だからといって、水産研究所が物理学や生物学の研究で事足りるということにはならないということです。技術は生産に役立たなければ何の価値もありません。必ずしも即効的ではなくてもいずれは役に立つことに結び着いたものでなければならないものです。科学と技術の関係は立派な先生方が論じた本がありますから、それをお読みいただくとして、時に生産があって科学が発達したことを忘れ、科学があって生産が起こったのだと錯覚しているのではないかと思われるような話し方を聞くと、研究の将来を心配せざるを得なくなるのです。偉そうな口ぶりお赦しを。
Tatsuo Yasui

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