現役を終わって

福島信一



 安井・秋山両氏と東北水研を辞し半年、フリーながらサンマの生物的基礎研究を執筆中です。このたび本誌に挨拶をのせるよう言われましたが、去来者多数の由にて字数制限つきであります。入省以来、数年前まで人事異動もなく、60才ぐらいでは辞めず頑張る例も多かったので、隔世の感があります。そこで、今回は古い話を2つばかり書いておくことにしました。
 戦後は遙かとなりましたが、奉職当時は日本中が復興に努力の最中にあり、我々も長期中断されていた調査研究の再建、機構改革に伴う水研の新設にたずさわったのであります。研究もさることながら、民主化、生活向上、職場環境の改善等の問題が山積し、労組や民主団体の結成、諸活動の実践も重要な事で、まだ反封建闘争なども展開されておりました。
 研究面では、まだ自由もあり、自主的な発想と協議により関係水試・水高と協力し、試験研究を推進することができました。漁業資源、水産海洋研究は戦争による中断で知見も少なく、調査研究はいずれもヒットしました。もちろん、研究費や調査船の不足は今と変わりなく、旅費も打ち切りをよいことに、ずいぶん自由に振舞ったものでした。小生は、ほとんどの水産庁調査船、多くの公庁船、漁船(独立採算)のお世話になって海と魚を調査し、松輪島〜奄美大島沖合の広範な状況はそらんじております。その際、各船の根拠地や主な寄港地には、時に長く滞在し、水試・水高職員各位と親交を深めると共に、漁業情報を得、見聞を広め、たいへん勉強になりました。一方、主要漁港にも漁況調査で長期滞在し(1951年、気仙沼には半年)、これまたよい勉強になりました。
 今では世の中も研究環境もすっかり変わってしまいましたが、長い間の皆様方の御友誼に感謝しながら古い経験の一端を記して御挨拶といたします。
前海洋部長

Shin-ichi Fukushima

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