放言・失言

森 英夫


 前回の東北水研ニュースを読んで,衝撃を受けました。それは某水試から最近移ってきた某氏の発言です。初めは文章のうまさに感心しながら,うなずいてたのですが,もう一度読み返して思わず顔がひきつるのを覚えました。「何ということだ,水研をまるで馬鹿にしている」と頭にきました。然しもう一度,冷静に読み直してみました。
 まさに他の職場から移ってきた人の,客観的な感想だと思いました。それは長年同じ職場に居た者には気がつかないことだったからです。
 同じ職場で長いこと同じ顔をつつきあわせていると,お互いに性格も癖も判ってしまい,喧嘩にもならない。あの人はあゝだから,この人はこうだからと諦めてしまい議論もしない。こういう平穏は慣れ合いというもので,進歩向上を妨げることになっていたのではないでしょうか?
 選考採用で,研究室に他の機関から研究者が移ってきたことや,庶務課に国鉄から研修という名で,転入者が入ってきたことは,組織の活性化に大きな役割を果しました。人事の交流こそ,組織をリフレッシュさせる何よりのカンフル剤です。
 最近感ずることは,研究職・事務職・海事職の間に目に見えぬ壁が出来てしまったような気がするのです。
 どちらが悪いというのではなく,相互に十分理解しないで,ところどころ必要な部分だけで妥協したり,押したり引いたりして,調子を合わせて共同作業を繰り返してきたためでしょう。夫々が忙しく,交流の場も懇親会という「お酒」の席だけに限られるので,その時だけに終ってしまいがちです。
 最近は人の入れ替りが激しく,年令構成に断層が出来てしまい,益々話合いが困難になってくるように思えるのですが。
 ところが一方では,話の合うグループ,気の合った者同士というのがあって,その間だけでは,交流を深めているようですが,あとは関係ない。自分のことたけやっていれば良いという個人主義優先のタイプが多くなってきているように見受けるのですが。
 近年,純研究費が伸びずに,研究費から所の共通経費にかなりの額をもっていかれるという状態は,重々判るのですが,部に配分された予算を室に分け,更に人に分けるために,余りにも個人購入の多いのに驚いています。部一本化は無理としても,室一本にまとめて計画購入されればと,常々感じています。特別研究等で一人で何もかも処理しなければならないという場面も判っているつもりです。
 長年水産研究所で暮していると,事務屋の方も研究について,理解しようとしなくなり,紙の上のつきあいだけになりがちです。事務屋も若いうちに,研究の現場を見て,研究者の苦労の一端を知るということは,必要なことだと思うのです。また出来ることなら調査船に乗り,海事職の苦労も,身体で感じることが,研究職や海事職を理解することへの近道だと思うのです。
 大学からきた人,水試からきた人,国鉄からきた人の当を得た批判に,従前から水研だけで暮してきた者は耳を傾けるべきではないでしょうか。
(庶務課長)

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