資源研究における生物学の再生

−長期在外研究員を終えて−

渡辺 良朗


目 次

1.はじめに

2.わが国の資源研究の現状

3.米国南西水産研究所での資源研究

4.日本の資源研究の今後



1.はじめに

 1985年9月9日から1986年9月8日までの1年間,科学技術庁長期在外研究員として,米国カリフォルニア州ラホヤの南西水産研究所沿岸資源部(部長Dr.Reuben Lasker)に滞在し,浮魚資源の研究方法について勉強する機会を得た。滞在中2回の調査航海に出ることができ,研究集会にも参加して2つの研究発表を行った(CalCOFI Conference 1986,10th Larval Fish Conference of the American Fisheries Society)。また,カタクチイワシの総合的なプロジェクト研究SARP(Sardine Anchovy Recruitment Project,東北水研ニュースNo.30参照)の研究方法についての2週間の実習コースにも参加し,新しい考え方や研究方法を学ぶことができた。このコースに参加するために集ったメキシコ,エクアドル,ペルー,チリ,アルゼンチンなどの中南米諸国を初め,1年間の滞在中に研究所を訪れたり,上記の研究集会に参加したノルウェー,デンマーク,イギリス,西ドイツ,イタリア,モロッコ,中国,オーストラリア,カナダなどの国々の研究者と論議をすることができたことも大いに刺激となった。
 これらの経験,そして南西水産研究所の研究者との共同研究や論議を通じて,日本の資源研究の現状や今後のあり方についていろいろと考えさせられるところがあった。本稿では,水産研究所における資源研究が日本と米国とでどのように違うかについて紹介し,今後の日本の資源研究が目指すべき方向についての私の考えを述べて,諸兄の御批判を仰ぎたいと思う。

 2.我が国の資源研究の現状

 水産資源学の中心的課題は資源生物の現存量の把握とその変動機構の解明であり,その内容は資源の解析・評価手法の研究と,資源生物の生物学的特性に関する研究とに大別される。最近論議の盛んな資源の管理・有効利用の問題は,これらの研究で得られた結果を漁業生産と結びつける応用的な課題である。また,魚の分布や漁況と海洋構造との関係については,魚の発育と回遊という生態学的内容としては資源生物学の一分野といえるが,漁場形成の問題は生物学的というよりは水産海洋学的アプローチがより重要であると思われる。このことは,最近東北水研海洋部が中心となって行った「東北・道東の暖水漁場における短期予測技術に関する研究」が漁場形成論に新しい展開を与えつつあることからもうなずけるであろう。
 資源の評価・解析には,漁獲統計のような漁業からの情報や,卵稚仔調査や標識放流,魚群探知機調査などの漁業からは独立した情報が用いられる。我が国のように漁業活動が非常に活発で漁獲統計がよく整備されているという条件下では,漁業からの情報が有効な研究材料であったのは当然であり,北欧やカナダなどの漁業国で水産資源学の基礎的な理論が成立したのも同様の事情によるのであろう。漁業から独立した情報についても,イワシの産卵調査は戦後いち早く始められて再生産水準からの資源量推定が行なわれてきた。魚群探知機の発達によって漁獲対象資源そのものの水準を直接的に推定できるようにもなってきており,標識放流や試験操業と合わせて重要な資源解析の情報源となっている。これらの情報に基づく数理的資源解析については水産研究所にも多くの研究事例があり,また優れた研究者も多いように見受けられる。いろいろな魚種の資源量評価や漁況予報では,水準の差はありながらも多かれ少なかれこのような解析手法を用いているのではないだろうか。
 水産資源学のもう一方の柱であるべき資源生物の生物学的研究の現状はどうであろうか。私が研究対象としているサンマについて振り返ってみよう。資源水準の動向を知る上で本質的に重要な生物学的特性は,成熟,産卵,卵稚仔の生残,成長,などである。サンマではこれらの特性が明らかにされているであろうか。答えは否である。もう少し具体的に見てみよう。サンマは1産卵期に何回産卵するのか,1回の産卵数はどれほどか,という問題についての最新の論文は1955年のものであり,かつこれがほとんど唯一の報告である。この報告ではサンマがマイワシのように0才から4才までの年級群からなるという考え方に立っている。しかし現在では年齢に関するこの考え方は正しくないとされ,産卵様式の問題についても再検討を必要としている。親魚が産卵後に全て死亡するのかという資源解析上大きな問題も未解決である。卵稚仔の減耗については,他の浮魚に比べて非常に長い卵期を持つサンマでは,卵期の1日当り死亡率がわずかに異なるだけでふ化までの生残率にきわめて大きな変動が生ずると考えられる。一方稚仔についてはふ化仔魚が大きく発育も進んでいることから,イワシ類で考えられているような大きな減耗はないのかもしれない。このようにサンマは他の浮魚類とは異なった初期生活の特性を持つと推測されるが,これらの疑問に対する答えはこれまで全くなかったといってよい。さらに,年齢と成長の問題はサンマの生態や資源変動を考える上で鍵となる情報であるにもかかわらず,これまで決定的な年齢・成長に対する考え方は確立されていない。北太平洋のサンマについての研究報告が見られるのは我が国の他にソ連,韓国,米国であるが,これら4国の研究者間でも年齢に対する考え方は全く異なっている。
 このような状況は果してサンマだけであろうか。残念ながら答えは否である。昨年(1986年)11月に水産海洋研究会の25周年記念シンポジウムに招かれた米国南西水産研究所のラスカー博士が,講演を承諾するに当って日本のマイワシ資源の近年の急激な増大に関連し,マイワシの初期生活についての最近の論文を紹介してほしいと滞米中の私に依頼された。私も日本のマイワシ研究がどうなっているのかよくは知らなかったので1980年代の論文をさがしたところ,卵稚仔の分布と海洋条件に関する若干の報告以外には,再生産や初期生活に関する生物学的な原著論文は全くなかったのである。資源の急激な増大期というのは,その種のいろいろな生物学的特性も大きく変動する時期であり,資源研究者にとってはきわめて興味深い研究対象に恵まれた時期といえるであろう。そのような半世紀に1度あるかないかのきわめて貴重な時期に,少なくとも公刊された原著論文から見る限り生物学的な研究が全くないとはどういうことであろうか。
 このように我が国の水産研究所の資源研究では,資源解析・評価についての研究が比較的着実に進展して来た反面,資源生物学的研究はきわめて貧困であると言わざるをえない。これに対して米国の資源研究はどうであろうか。北欧諸国のような伝統的漁業国ではなかった米国は,水産資源学の研究から見れば遅れて出発した国であった。その米国が現在では,少なくとも再生産や初期生活という浮魚類資源研究の中心的課題に関して世界のトップレベルに達している。短期間で急速に研究を発達させてきたその推進力はどこにあるのであろうか。

 3.米国南西水産研究所での資源研究

 1年間の南西水産研究所での滞在で,私は次のような点に日本の資源研究との大さな違いを感じた。第1に,研究体制が日本のように魚種別に細分化されておらず,研究内容別の組織になっていることである。私が滞在した南西水産研究所沿岸資源部には,生物学研究室(J.Hunter),生態・分類学研究室(H.G.Moser),水産海洋学研究室(M.Laurs),海上調査・データ処理室(W.Flerx),調査システム研究室(P.Smith),漁業経済・管理研究室(D.Huppert)の6研究室があり,資源研究に必要と思われる分野の研究者がほとんど揃っている。そして魚種ごとの研究課題によってそれぞれの研究室からの研究者がチームを作って数年計画で研究を進めて行く,という方法をとっている。このような体制であるため,新しい研究対象へも柔軟に対応できるのであろう。私の滞在期間中に沿岸資源部は研究対象をカタクチイワシからカレイ類へと転換しつつあった。これに関して私はラスカー氏に「研究対象が浮魚から底魚へと替ってたいへんですね」と尋ねたことがある。それに対する答えは,「カタクチイワシの研究が中断することは大変残念だが,私は漁業生物学研究者であってカタクチイワシの専門家ではない。研究対象が替ってもこれまでの研究の蓄積を新しい対象に生かして行くことができる」というものであった。
 第2に,研究所では調査ではなく研究を行っているということである。海上観測では,ある研究目的に最も適した調査海域,観測項目,採集具,採集法,などが研究チームで検討・開発され,得られる結果の解析法も目的に応じて決められる。海上観測の結果をより正確なものとするために必要な室内実験も十分に計画され,調査と並行して実施される。資源研究であるから中心があくまでもフィールドとなるのは当然であるが,フィールド研究をより水準の高いものとするためには,必要と思われるあらゆる研究手法を取り入れているのである。卵稚仔の分布に関する約40年にわたる定型的な調査もあり,それによって膨大なデータベースも作られている,これにはそのための体制が取られているので研究者がそれに多くの時間を割く必要はない。
 第3には,研究が実証的なことである。1つ1つの課題や問題点を,その解決のために必要な観測,実験などを合理的に組合せて短期的に解決し,1歩1歩実証された事実として積み重ねて行くという研究方針が貫かれている。

 4.日本の資源研究の今後

 合理的な研究体制,優れた研究計画,そして実証的な研究姿勢,米国の資源研究を急速に発達させてきたと思われるこれら3つの特徴を視点として我が国の現状を振り返り,今後の在り方について考えてみよう。第1に述べた研究体制の問題は水産研究所が大きく変ろうとしている現在特に重要である。これからの水産研究所での実質的な研究推進を考えるとき魚種別の研究体制は合理的ではない。水産研究の水準は水産研究所が現体制で発足してから大きく進歩し,「誰それさんはある魚のことは何でも知っている」という博物学的時代は既に終ったのである。わずかな人数で,ある魚種の生物学,生態学,資源解析・評価,漁獲努力と資源管理の問題まですべてを行なおうとすれば,たまたまその研究者が得意とする分野を除けば全体の水準が低いものになるのはやむを得ない。これに代わって,生物生産研究室(動植物プランクトンの生産),生物特性研究室(資源生物の生理生態),資源解析研究室(数理解析,モデリング),漁業管理研究室(漁獲努力,資源管理政策,漁業経営)などの内容別研究室を資源部の中に設け,部として担当する全ての魚種について各研究室がそれぞれの立場からアプローチして,全体として整合性の取れた,かつ高い水準の研究を行なうという体制が今後の資源研究には必要である。世界でも最も高い水準にある日本の増養殖研究を担っている養殖研究所が,ヒラメ研究室とかマダイ研究室などの魚種別の研究体制でなく,遺伝,繁殖,栄養,病理,環境,といった増養殖技術を支える専門分野別の研究体制をとっていることを見ても,高い水準の研究には専門別研究体制が必要であることが分るのではないだろうか。
 第2の研究計画の問題については,日本の研究所の資源部で行なう仕事の中のどれほどが研究といえるであろうか。多くが漁海況予報事業のため,あるいは国際対応のための定型的な調査であって,水産研究所の研究者の多くがそれに主要な力を注いでいるのではないだろうか。毎年同じような海域を定型的なデータの取り方で調査を繰り返し,その結果を一定の形式の報告書にまとめる,という「調査」の繰り返しではなかっただろうか。調査と研究を分けるのは,それまでの知見の総括をふまえた何らかの新しい仮説の証明を計画の中心に置いているかどうかということである。研究というからには,明瞭な問題意識を持ち,それを解決できる方法を検討・考案して研究計画を立て,それを実施して得られた結果をまとめ,問題が解決されたかどうか,残された課題が何かなどの総括の後に次の段階に進む,というサイクルの積み重ねでなければならない。それによって1歩ずつ問題の本質に迫って行くという考え方を計画の中心に置くことが研究の推進にとって最も重要なのである。
 最後に第3の実証性の問題である。これについての日米の違いを比較するのに最も適切な事例の一つは,日本でも古くから用いられている産卵量からの親魚資源量の推定法,即ち卵数法である。この方法は,産卵期全体をカバーする産卵調査によって得られる総産卵量から,それを産み出した親魚資源の量を推定するものである。その依って立つ最も重要な前提は,年齢別の雌1尾あたりの産卵数が年変動しないということである。この前提は,資源水準が高くても低くても,ある年齢の雌1尾が1産卵期に産み出す卵の総数は一定であるということを意味する。
 ところが最近,カタクチイワシの産卵が餌条件によって大きく左右されること,即ち餌条件の悪化は先ず産卵間隔に,次いで1回当り産卵数に明らかな影響をおよぼすことが鶴田(1987年日本水産学会春季大会)によって示された。また,餌条件を同じにしても,高密度で飼育した群では低密度飼育群に比べて成長がよいにもかかわらず,産卵間隔が長く1回当り産卵数も少ないことも明らかにされ,カタクチイワシは資源が安定した水準に保たれるように産卵量を調節している,と結論されている。
 もしマイワシでも1尾当り産卵数がカタクチイワシのように調節的であるとすると,総産卵量から親魚資源量を推定するためには1尾当り産卵数を毎年調査しなければならなくなる。ところが産卵数が調節的であるのか,一定であるのかについてはこれまで調べられたことがない。日本の卵数法はその本質的な部分できわめて重要な前提の上に立っているということである。この前提が正しいのか誤っているのかの検討はなされていないのである。
 これに対して,米国南西水産研究所では,産卵回数と1回当りの産卵数とを親魚標本から実測して雌1尾当りの産卵数を年ごとに求め,この値でその年の卵の総分布量を割って親魚資源量を計算するという新しい卵数法を開発した。これは,総産卵数と親魚資源量との関係が一定であるという前提を必要としない,より実証的な方法として画期的なものであり,これまでの卵数法を大きく前進させるものである。これを可能にしたのは,前提を前提のままにせず,その正しさを確認してから次の段階へ進むという研究姿勢であったと思うのである。
 我が国の資源研究では,ある仮説が証明されないままに何年も経過し,その年月の長さのゆえに仮説が定説となり事実のごとくに扱われるということが多かったのではないか。また,そのために相対立する考え方のいずれが正しいのかの結論が得られず,研究進展の1つの壁になってきたのではないだろうか。歴史性をもつ現象や広大な毎洋での現象については,実験室内で行うような単純な意味での実証性を求めることが難しい場合があることは否定できないが,日本の資源生物学がぶつかっている問題がそこにあるとは思われない。資源研究においても実証性と再現性とが研究の基本として重視されなければならないことは,他の自然科学となんらかわるところがないはずである。
 最近の資源解析の研究では,生態系モデルに典型的に見られるようにある一定の海域全体のシミュレーションモデルを作り,これによって単一種ではなく多魚種の資源変動についての解析を行なおうとする水準に達している。このような高度なモデルであれ,あるいは単一種の変動モデルであれ,それに用いる生物学的パラメータがどの程度の精度か,あるいはより大雑把にそれらが正しいか間違っているかは,モデルによって得られる結果を決定的に左右するのではないだろうか。前述したサンマの例でいえば,年齢組成を0才から4才の5年級群とした場合と,耳石の輪絞構造からの年魚であるという結論(渡辺・Butler・森1987年日本魚類学会年会)を用いた場合とで答えは明らかに異なるであろう。即ち,資源解析の手法が進めば進むほど,その進歩が一層正確かつ精度の高い生物学的情報を要求するということである。資源生物学と資源解析の研究とはいわば車の両輪であり,両者がバランスよく発展することによって初めて水産資源学が全体として向上して行くのではないだろうか。日本の水産研究所での資源研究の現状と今後の発展を考える時,今最も必要なことは資源生物学の再生であると考えるのである。1年くらいの滞在ですっかり米国かぶれになってしまったと眉をひそめられる向きもあるかもしれない。また,私の資源学に関する知識は主として再生産や初期生活に関するものであるため,本稿で述べた考え方を一般化するのには問題があるとの指摘もあろう。しかし,ここで述べたことは米国に行く以前から漠然とながら持っていた印象が,米国滞在中そして帰国後に1つの考え方としてまとまってきた結論であり,現在の資源研究の問題点を部分的になりとも捉えていると考えている。日本の水産研究所には米国とは異なった社会的責任があり,全てを投げうって一気に改革を求めることができないことは私も理解しているつもりである。しかし,これまで戦後の日本の研究を支えて来られた多くの方々がここ数年のうちに引退され,好むと好まざるとに係わらず資源研究の方向や体制の変化を考えて行かねばならない今,今後の論議に当ってここに述べたような考え方もあるということを御記憶いただき,御検討,御批判いただければ幸いである。
 最後に,1年間の不在をお許しいただいた東北区水産研究所資源部の諸氏,殊に資源第一研究室の高橋,小坂両技官に心より感謝の意を表する。(1987年5月)
(資源第1研究室)

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