“借りてきたネコ”その後

-ドラネコの提言-

小川嘉彦


 「借りてきたネコのごあいさつ」というタイトルで着任の挨拶をこのニュースに載せて頂いてから,かれこれ2年近くも経ってしまいました。最初はおとなしかった“借りてきたネコ”も,今ではすっかりドラネコとしての本性を現わして,「もう10年も前から水研にいるみたい」などと悪口たたかれても,眉ひとつピクリとさせるでもなく,鼻の先でフンと笑っているという憎たらしさです。
 “借りてきたネコ”と称したことについては思いがけない方々も含めて少なからぬ方から感想やら批判やらを頂き,びっくりいたしましたが,ネコの意味については多少誤解もあったようで,ちょっと弁明しておく必要がありそうです。少なくとも本人は,かの夏目漱石の描いたネコを思い出していたのです。自分が本来柄も品もよくないドラネコであることは心得ていましたので,かの漱石のネコのように,冷静に,まわりの状況をみつめ,何もわからないうちからゴロニャー,ゴロニャーと騒ぐ愚だけは避けなければ,と己を戒めていた次第です。それが2年も経たぬというのに,もうすっかりドラネコぶりを発揮しています。やはり“ネコをかぶる”のはむずかしい!?
 閑話休題。“借りてきたネコ”が水研という新しい環境の中で,最初に,そして最もびっくりしたのは,水研の“静けさ”でした。それこそひっきりなしに電話の鳴っていた所から来たのですから,めったに電話が鳴らないことに,かえって落着きを失ってしまったくらいでした。勿論,部や研究室によっても事情は異なるのでしょうが,漁業者からも,また逆に行政部局からも具体的な課題について電話があるというのは,水研ではむしろ珍しいことなのに驚いたのです。
 最初の驚きの感情がおさまると,この“静けさ”は好ましい環境のように思われました。よく仕事ができる!と喜んだのです。が,しばらくするうちに,この“静けさ”は一面とても恐ろしいものではないか,と感じるようになりました。要するに“静けさ”は外の世界から隔離されることによって保たれているのですから。
 加えて,水研の旅費の予算というのは腰が抜けてしまうくらい少ないときています。ですから現場を歩く機会は“ない”と言ってしまってもいいくらいです。おかげで「もう10年も前から水研にいるみたい」と悪口たたかれるようになった今になってさえ,東北弁がしゃべれない,しゃべれないだけならまだしも由緒正しい東北弁だと聞き取れない,というていたらくです。卒業して2ケ月もしてふと気がついたら,ちゃんと長州弁で漁業者と話をしていたことを思うとまるで嘘みたいな,しかし,本当の話なのです。
 東北水研に限らず,いわゆる“水研”の中には,何も現場のことを知らなくたって,水産業に役立つ研究はできる,という意見も少なくないようです。そして,この意見は,少なくとも論理的には,間違いであるとは言えません。しかし,そういう意見を聞く毎に,ああ,何て冷たい言葉だろう,と思ってしまいます。論理的には正しいかも知れませんが,愛情が感じられません。もし,イワシの稚仔の研究をしている人がいて,彼がその研究を愛していたとしたら,単に稚仔だけでなく,大きくなったイワシがどうなるか,またそれはどんな漁業によって獲られているか,獲っている漁業はどうなっているか………興味と関心は果てしなく,しかも自然に拡がってしまうのが人情というものではないでしょうか?“真剣にひとを愛せないようなヤツにまともな研究などできるか!”ドラネコは酔っぱらって,これはもう論理もヘチマもないわけのわからないことを時々ひとりで叫んでいます。
 さて,これはひとつの提案ですが,水研と水試との共同研究を活発にしてはどうでしょうか?“共同研究”と言うとすぐ予算のことが頭に浮かぶかも知れません。しかし,予算などほとんどなくてもやれる共同研究はいくらでもあるはずです。水試には現場の問題に対応して得られたものの十分解析されないままの資料も沢山ねむっているのではないでしょうか?あるいはそうではないかも知れません。が,いずれにしても,一緒に資料を解析し,一緒に考える過程を通じて,水研の人も水試の人もお互いに沢山のことを学ぶことができる,と思うのです。たとえ全員ではないにしても,仮に水研の半数くらいの研究者それぞれが,どこかの水試のどなたかと,地域の具体的問題について一緒に解答をみつけるための作業をやっていたら,“静けさ”の中にも活気がみなぎるのではないでしょうか?少なくとも,気色ばんで“現場のことを知らなくても水産に役立つ研究はできる”などと悲しいことを言う必要もなくなるのではないか,と思うのです。
 東北の塩釜にあるから東北水研なんて言ったんじゃ笑い話にもなりゃしない,などとホザイタら,この憎たらしいドラネコめ,とたたき出されてしまうでしょうか???それはとにかく,東北水研と看板をかかげている以上,東北各地の水産の諸問題に無関心ではいられないはずです。だとすれば,隔離された“静けさ”の中にとじこもることなく,積極的に“外の世界”と関わりを持つべきでしょう。その具体的方法として“お金がなくてもやれるところから”方式の水研・水試の共同研究の活発化を提言する次第です。
(海洋第2研究室長)

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