ナマズに対する誤解を解く

浅野 昌充



 「ナマズ」と聞くと,大方の人が「地震を感じますか。地震予知に役立ちますか。」と地震との関連を尋ねてくる。生物学的知見に乏しい門外漢ならともかくも,こともあろうに生物研究者までがそうであるからいささか困ったことである。これは,「ナマズが騒ぐと地震が起る」との古い言い伝えがあることから,異変に先立つ前兆現象としての生物の異常行動が異変予知に役立つのではないかとの,想像するだに恐ろしい天変地異に対する不安に加速された,社会的な強い期待の素朴なる反映に他ならない。その意味でこの問題の解明は自然科学に課せられた重要なことがらの一つではある。しかしながら生物学的側面からは異変に先立つ物理的,化学的過程としての前兆現象の諸要素を生物が如何様に感知するかという点に問題が収歛するであろう。換言すれば,地震なら地震の地質学的過程の解明によって浮上する様々な環境要素の変動に対して生物がどう反応するかということであり,地震そのものの研究の進展を待たなければ,我々の側からは明確な回答を提示することはできないわけである。つまり,地震予知は地震学者の問題であり,我々生物研究者はそれに対して若干の助力となるだけである。それ故に私は,かかる質問に対して,「さあどうでしょう。ナマズが地震を起すわけではありませんから。」と,特に生物研究者に対してはこう答えることにしている。そして彼らは憮然となる。
 そこで,少なくとも,水界の生物をその直接の対象とする水産研究者にだけは,このような皮肉を言わずに済むように,ナマズのいささか特殊な能力についてその誤解を解いておきたい。
 地震の間際になると振動刺激に対してナマズが興奮状態を示すという実験的観察はHataiら(1932,1934)が行なったが,それ以前にParkar&VAN Heusen(1917)により,同科に属するヨーロッパ・ナマズが高い電気感受性を持つことが発見されていたところから,地震時の地電流変化がこの興奮状態をひき起す重要な要因であるという示唆を行なった。彼らによると,電気的に大地とつながった水槽では,地震の間際に震動刺激に対してナマズが敏感になるが,そうでない水槽ではこのようなことは起らないということである。この研究の意義は,刺激−感覚−行動という生物学的に立証され得る一般的法則に基づき,それまで神秘的に考えがらであった生物の予知的行動に科学的根拠を与え,また,我々人間が持たない感覚に媒介された環境世界が,これら生物種に対して展開していることを示した点にあると言えよう。
 しかしながら一歩退いて,この問題を生物学的視点から捉えかえしてみると,いささか異なった側面から解かねばならないことに気付くはずである。つまり,ナマズとその電気的環境とのより基本的な関係の解明である。
 そもそも,電気に対する高い感受性がナマズにあるとすれば,それは何も地震などのような何時起こるともわからない現象を感知することにあるはずはなかろうというものである。一般に動物の感覚系の意義を考えてみるならば,それは進化過程において与えられた環境の内で,その動物種が自ら保身に必要な情報を感覚系を通して得,これに対して適切な行動をとるところにある。この保身のための行動は,さまざまであるが,基本的には餌をとること,そして,外敵から逃れることがまずあげられる。動物の行動が直接に,間接に餌に結びつき,逃避行動との複雑な絡み合いの中で、摂・索餌行動として発現していることは,行動学の指摘するところである。
 ナマズの習性に着目すると,これは水の停滞しがちな河川や湖沼に生息し,日中は水草の繁った泥底などに潜み,夜間や増水などで水が濁ったときに行動して小魚などの小動物を捕食している。同じ生息域に棲む他の魚種と違って,特に夜行性でありかつ肉食性であることは,この習性を可能とする感覚機能の存在を示唆していることになる。従って,ナマズが同じ生活圏に棲む魚種の中で,例外的に電気に敏感であるならばその感覚機能こそ,夜間の捕食活動のために特別に発達したものと考えてしかるべきであるし,また,一方捕食対象である小魚などの水生生物から,何らかの電気発生のあろうことも当然に推察されてくる。
 結論から述べてしまうならば,この論理的予想はズバリ“アタリ”であった。ナマズは,魚などの水生生物が生理的に不可避に発生する電気を感知して,これを正確無比に捕えるのである。つまり,わかりやすく言えば,ナマズは視覚の効かない状況下にあって視覚に代わる感覚系を持ち,それが電気感覚であるということである。
 ここで,この感覚の感度がどれほどのものなのか,という疑問が呈されよう。この疑問はナマズの電気に対する敏感さが果して感覚系と呼び得るかという問題にもかかわってくる。
 習性を利用してナマズを自ら塩ビ管に潜入させ,その管内にあらかじめ装着しておいた電極により,呼吸運動に同期する水中電位変動を観察しながら,水槽壁にとり付けた刺激電極を通じて数段階の周波数の矩形波を魚の体軸方向に与える。すると,有効な刺激電圧に対して反射的に呼吸運動が停止したり,あるいは緩徐となるが,この応答は餌を与えることで容易に強化される。そこで,電気刺激を与え,応答が得られたときに餌を与えるという刺激を繰返しつつ刺激電庄を下げて行くと,やがて反応が認められない電圧に行きつく。こうして反応率が50%となる電圧を閾値とすると,4尾の平均がDCでは0.17μX/cm,1Hz−0.05,3Hz−0.05,10Hz−0.04,30Hz−0.17,100Hz−4.2μX/cmとなった。ナマズは乾電池の数千万分の一の電位差を感知し,特に1〜10Hzの低周波電位変化によく応ずるのである。体表の全面に分布する小孔器と呼ばれる感覚器に対して電気生理学的に調べてみたところ,その感覚細胞にかかわる神経放電は,低周波刺激ならば弱い電圧でも同期するが,周波数が高くなるにつれて強い電圧が必要となり,個体レベルでの周波数応答特性とピタリ符合する特性が得られた。従って,ナマズの電気に対する敏感さというものは感覚系の存在によることが明らかとなったわけである。比較のために,ナマズと同じ淡水域に生息するウナギやコイについて,同じような方法で調べたが,こちらは体側筋の痙攣が起る高い電圧まで何らの反応も見せなかった。
 ならば,捕食対象の魚の電気発生如何が問われよう。魚類の周囲の水中に電極を置くと,その呼吸運動に同期した電位変動(以下“呼吸波”と呼ぶ)を捉えることができる(図1)。そして,この呼吸波の発生や発生源は,鰓において主に行なわれる浸透圧調整機構とかかわっていることが判明した。
 軽く麻酔したコイの周囲水中を,水流によって電極電位が乱れないように工夫した電極で探査し,電場形状を調べてみると,口および外鰓孔へ向けて電極を近づけるに従って,無限遠に対する0電位から指数関数的な電位上昇が観察され,それぞれの近傍で1〜3mVの正電位に達した。一方,他の体表では逆に電位が下降し,近傍では1〜3mVの負電位となった。このような測定をもとに電場形状を描くと図2が得られる。明らかに電流は口および外鰓孔から流出し,他の体表部分へと流入している。
 ついで,呼吸波を調べてみると,図3にL(0)で示した線を境界に,頭部側の領域(S)では変動の位相が鰓付近のそれに一致し,尾部側の領域(R)では逆転している。L(0)上では電位変動は殆どない。外鰓孔が開くときの電位変動は頭部領域では上昇,尾部領域では下降であるから,口および外鰓孔の開閉により,電流が制限される結果,呼吸運動に同期した電位変動,すなわち,呼吸波が生じているというわけである。
 この電場や呼吸波をもたらすそもそもの電流の源は、少し手の込んだ実験によって,魚類が生理的に体液の塩類濃度を一定に保つ機構(能動的なイオン輸送)とその結果として生ずる体内外の塩類濃度差による物理化学的な「液間電位差」との微妙なる組合わせであることが示された。
 以上のことから,ナマズは電気感覚を具有し,その食対象たる魚類から生理的に電気の発生があることがわかり,ここに役者がそろったようである。ならば,ナマズは電気的情報をたよりに捕食活動をするのであろうか。
 ナマズは照明下では殆ど行動を示さない。そこで,眼球摘出した個体を1尾ずつガラス水槽で飼育しながら,捕食行動に着目して観察,実験を行なった。ただし,水槽中に放した1尾の小魚を捕食するに要する時間が,眼球摘出の前後で有意に違わず,従って,視覚の有無が捕食行動にあまり影響を与えないことを,あらかじめ確かめておいた。
 ナマズは一日の大半,水槽の隅で,じっとして動かないが,水面の振動や餌の臭いに敏感に反応して“身構える”。このような状態では,1)生きた小魚が体表から約5cm以内の距離に進入すると,これを正確に一瞬のうちに捕食する,2)帯電体を水槽外で動かすと,それを追う。3)局所電流を生ずる金属棒に対して攻撃するが,ガラス棒に対しては,それが体表に触れるまで何の反応も示さない。4)小魚周囲の電場,すなわち呼吸波を電極を通じて水槽中に再声すると,電極にかみつく,5)この電場を強くすると,逃避行動を示す。6)大きなコイを水槽に入れると,それに近付かないなどの行動を示す。また,コイ肉片を5〜6pの間隔で2個つるし,その一方に電極を装着して小魚の呼吸波を再声したところ,ナマズが電極付きの肉片を捕食する回数は,全試行回数に対して,6尾平均76.7%であった。この結果から,ナマズの捕食行動に際して,餌魚周囲に存在する電場が有効な手掛りを与えていることが確認できるだろう。しかも,大型魚周囲におけるような強い電場に対しては,ナマズは逆に逃避行動を示すのである。
 一日をノタリ・ノタリと過し,地震となるとあわてふためく,怠け魚の代表のように思われているナマズであるが,実はこのような特殊な能力を持っていたのである。ナマズに対する認識を一新されたであろうか。地震−ナマズというのは,生物研究者としてはいささか的外れの容認され得ない発想である。
(増殖部魚介類研究室)

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