世界のサンマ

渡辺 良朗



 スクリップス海洋研究所(Scripps Institution of Oceanography)の高名な魚類学者カール・ハブス博士(Carl L.Hubbs)が亡くなって7年になる。博士の魚類学への貢献は,その名が5つの属名,22の種名に付けられていることから十分にうかがわれる。1915年に発表された日本の異体類に関する研究を最初に,博士の生涯の研究論文は700編を越えている。その研究対象も魚類ばかりでなく,海産哺乳類や鳥類,節足動物や軟体動物さらに植物にまで及んでおり,魚類学者というより博物学者と呼ぶべきかもしれない。
 博士の晩年の研究の1つにサンマ科魚類(Scomberesocidae)の分類がある。この研究は博士の死後発表され,従来2属4種とされていたサンマ科魚類に2つの新しい属を加えて4属とするとともに,Scomberesox saurusが2つの亜種に分けられることを示したものである(Hubbs and Wisner,1980)。即ち,我が国で漁獲される北太平洋のサンマCololabis sairaは1属1種とされ,それまで同属とされていた東部太平洋低緯度水域の萎小型サンマはElassichthysという新属名が与えられてE.adocetus とされた。また,Scomberesox sp.とされていた大西洋およびインド洋の一部に分布する萎小型のサンマにはNanichthys simulansという新属名,新種名が付けられた。我が国でクチナガサンマと呼ばれているScomberesox surusには、鰓耙数によって北大西洋,地中海に分布するS.saurussaurus(平均鰓耙数39)と,南半球に分布するS.saurus scombroides(平均鰓耙数44)の2亜種が認められている。
 4種のサンマの特徴をこの論文に従ってまとめると次のようになる(表1)。2種の萎小型サンマはともに卵巣が1個不対であり,鰾を欠いている。また鰓耙数,各鰭鰭条数,脊椎骨数,体側中央の鱗数はいずれも大型種(C.saira,S.aurus)に比べて少ない。大型種では臀鰭の小離鰭に達する側線が,N.simulansでは腹鰭基部のやや後ろまでしかなく,最も萎小化の著しいE.adocetusでは側線を全く欠いている。サンマ科魚類の重要な形態的特徴である上下顎前端(beak)の突出状態についてみると,S.saurusが最も長く発達しており,下顎では眼窩後縁から鰓蓋後端までの長さとほぼ同じである。N.simulansはこれよりは短いが,下顎では著しく突出して上顎の約2倍の長さである。C.sairaは先端が尖っているものの,これら2種よりはるかに短く,E.adocetusでは短くて先端が鈍い。
 以上のような形態的特徴,特に上下顎前端部の発達状態に注目して,Cololabisをサンマ科魚類の系統発生上の基本的な属とし,C.sairaの直の祖先から他の3種が分化したと考えている。つまり,Cololabisの祖先が太平洋の赤道水域を横断した後隔離され,上下顎の発達,卵の付着糸の喪失,魚体の大きさ,鰓耙数,脊椎骨数の増加を伴って,Scomberesoxへと分化し,後にインド洋や大西洋へと分布を拡大したのに対し,C.sairaは残存種として北太平洋の温帯水域に残ったとされる。2種の萎小型については,CololabisからElassichthysが,ScomberesoxからNanichthysがそれぞれ独立して萎小化により分化したと考えている。ElassichthysNanichthysの分布上の特徴は,太平洋,大西洋においてそれぞれに分布する大型種に比べてより低緯度に広がっていることである。
 この新しい分類の妥当性について,Collette et al.(1983)はParin(1968)に従って,ElassichthysCololabisの,NanichthyScomberesoxそれぞれシノニムと考えた方がよいとしている。しかし新しい属名種名は,その後何人かの研究者に用いられており(Kovaleuskaya1983;Browrell,1983;Andres and John,1984),Parin自身も1984年の論文では Hubbs and wisner(1980)を引用して新しい属名を用いている(Parin,1984)。さらに,「Fishes of the World」第2版(Nelson,1984)にも用いられていることから,一般に受入れられてきていると考えてよいであろう。
 スクリップス海洋研究所から車で20分ほどのところにシャチのシャムーのショーで有名なシーワールドがある。その中に博士とその夫人(Laura C.Hubbs)の姓を冠したハブス海洋研究所(Hubbs Marine Research Institute)があり,十数名の研究者によって海産哺乳類や魚類の研究が行なわれている。この研究所が,その設立と後の研究の発展に一貫して尽力のあった博士だけでなく,ローラ夫人の名をも冠しているとされるのは,彼女が博士の研究のよき協力者であったことによる。このことは夫妻による共著論文が20編近くあることからもうかがわれる。夫人は現在もこの研究所の名誉議長の職にある。
 私は1985年10月末に,黒沼勝造先生からのローラ夫人への贈り物を携えて米国南西漁業センター(Southwest Fisheries Center)へ来られた養殖研究所の福所邦彦氏の案内として夫人を訪ねる機会を得た。日本の古い友人からの思わぬプレゼントに,夫人は昔を偲んでたいへん喜んでおられた。夫人の部屋の海の見える窓辺には,日本魚類学会から博士に贈られた楯が置かれていた。
(1986年5月29日)
(資源部・資源第1研究室)
引用文献
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