それぞれの目的に対する満足度は時間とともに変化します。満足度のスレショウルドは時間とともに高くなります。たとえば,生活を始めた頃は街のスーパーで欲しい物が買えたことだけでも嬉しいが,慣れてくると同じ品物でも品質がよく安い店を知らなければ満足できなくなってきます。このような目的のもとに10か月近く生活するなかで,最も頻繁に行なった反省,感じた教訓は,思ったこと,考えていることを,今実行するために全力を投じなければならないということです。特に外国語の壁の存在によって,ためらいを強いられることが多い私にとってはこのことが重要かつ必須でした。
視野を広くするという観点から,旅行をできる限り多くしました。そのなかで最も印象に残っているうちの一つは,9月に訪問したマサチューセッツ州のウッズホールです。海洋研究のメッカの一つのウッズホール海洋研究所を見学したあと,すぐ向いのNOAAのNortheast Fisheries Center を訪問しました。ここは名前から察せられるように我が東北水研と最も近い関係にある国立の研究所です。そこで私の目を魅了ししたのは,YEAR OF THE OCEANというどでかい看板でした。これは水研とは少し違うぞと,直ちにここが好きになりました。水研と同じ研究機関でありながら,一般向けの普及広報にもかなりのエネルギーを注いでいるという点に興味を持ちました。施設自体は別にたいしたものではありませんが,子供向けの小さな水族館があり,さらに毎洋科学の基礎知識を教育的に展示・解説しているコーナーがありました。何も水研が子供向けの水族館をもつことがよいという気持ちは毛頭ありません。そんな予算があればもっと研究費をという声がすぐそばから聞こえてくるようです。どんな形がよいかはすぐに答えを出すことはできないが,パブリックサービスを考えてゆくことも重要だと思いました。
高い家賃を出して庭付きの一軒家を借りてよかったと思います。広い庭ではバナナ,グレープフルーツ,ココナッツ,マンゴー,アボガドなどの亜熱帯の果実や鳥獣の訪問を楽しむことができました。我々を困らせた信じられないほど生長の早い芝生と,はらってもしつこくついてくる蚊の群れも庭の財産でした。笑い話ですが,まさかマイアミでメイド イン ジャパンの蚊取り線香を愛用するとは思ってもみませんでした。自然の恵みに加えて,よき隣人にも恵まれました。6才を頭に6人の子供を支えた共働きの若夫婦,平安〜鎌倉時代の絵画の本を持参してしつこく尋ねる知的おばさん,我が長男の顔を見たいと遊びにくる姉妹,笑顔と挨拶英語だけで会話を楽しんだ美人のスパニッシュ等が我が家の隣人たちでした。でも絶対に忘れられないのは,89才で独り暮らしのリリーおばあちゃんです。脚が弱く,耳が遠い独り暮らしの老女といえば,すぐに暗いイメージが連想されそうですが,それが我々よりもずっと若いのです。ハローウィンの時には朝から張り切ってドーナッツを30個も作り夜の子供の訪問に備え,思ったほど訪問者が釆ないと蚊の多い玄関に腰掛けて待っているほどでした。このことはその夜に我々が2回も彼女の家に訪問してわかったことでした。彼女は我々のよき友人であると同時に友人の輪を広げてくれました。私の最も尊敬する彼女の長男一家,私の妻の一番の友人である孫娘,それに我が長男の一の子分であるひ孫くん等とは家族同様に付き合うことができました。おかげで,マイアミ在住の4世代のアメリカ人を知ることができました。リリーおばあちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。
別れる時はいつかは必ず来るものですが,やはり悲しいことです。マイアミを去る日が近づくとにわかに忙しくなりました。10・11月の週末は週に1度の来客の繰り返しで,楽しいが正直いって疲れました。それに拍車をかけたのが12月10日の私のセミナーと生活関連の契約解除・生活品の売却でした。忙しいなかでセミナーを終えることができた充実感とムービングセールを行なった楽しさは格別でした。いよいよ最後の別れとなると多くの人にサンキュウを綻り返すしか言葉がでてきませんでした。多分素性の知れない異邦人が来て何かをやっていたという印象の人が大多数であるなかで,ほんの10か月の滞在の我々の別れに際して涙を流してくれた友人がいたことは至上の喜びであり,大満足です。大学の友人であり,車とフットボールのゲームに関して私の先生であり,安月給で子供を養っている若き研究者であるライナーくんの奥様と私の妻が肩を抱き合って涙を流していました。別れの言葉をいうためにわざわざ1時間半もかけて来てくれたスティーブー家と玄関で再会を約束する熱い握手を交していると,長男が大きなおならで笑顔の別れの場に変えてくれました。やはり家族を同行してよかったと思います。
最後に初体験の異文化のなかで私の知らないところで多くの苦労を重ね,英語の障壁で落ち込むことの多かった私を激励してくれた妻と,何もわからないままに同行させられ,断えぬ笑顔で私を支えてくれた長男に感謝を致します。
本稿の題名は渡航前の数か月間,某紙に連載されていたアメリカに関する記事からいただいたものです。私がみたアメリカと他人が見た,また今後見るアメリカはきっと全く違ったものであるだろうという観点から適切な題名だと思いました。もう一度体験したいという願望がパート1に含まれています。