あとがき


 「ぼろは着てても心は錦」というのは演歌の文句だが,昔から「清貧に甘んず」という言葉がある。負け惜しみと受け取る人もあろうが,権力者に抱えられて結構な生活を保障されると,抱え主の御機嫌を損うことを恐れて真理を覆い隠し,やがて真理の追究を止め,ついには誤った判断を真理と思い込むようにさえなるような生き方に対して,貧しさに耐えあるいはそれを誇りにさえ思い,清さを貫き通すことを言うものである。しかし,「貧すれば鈍する」という諺もあるように,貧しさに苦しめられると才知も鈍ってしまうことがあるのも事実である。
 水産研究所の海洋部は,利用部の東京集中化との奇妙な交換条件で生まれたという歪んだ発足以来,長い間,人的にも研究費の面でも貧しい暮しを強いられてきた。そのために“鈍した”とは言わないが,思うように調査・研究が進まなかったのは事実であろう。最近,海洋物理学者を含む少壮研究者を揃え,ささやかながら特別研究費も獲得でき,本文中に奥田技官が紹介したように一定の成果をあげた。しかし,文中にもあるように,広い海の複雑な諸現象のほんの一部を経験的に捉え得たに過ぎない。いわばレース編みの1ピースがようやく出来かかったというところで,大きなテーブルクロスやカーテン,まして華麗なドレスを完成するには,まだまだ人手と金と時間と,そして,先達の調査・研究結果の正しい総括,新しい観測技術の利用,科学的思考が必要なのである。
 さらに,漁場形成を予測するには魚介類の行動と環境の関係をも明らかにしなければならない。この場合既往の漁場形成や魚群行動についての経験的知識が,まず最初の重要な手がかりであるが,近頃はスキャニングソナーやピンガーを使って,ある程度の時間魚群や個体を追跡することも可能になっている。あるいは,表層に分布する魚群なら,飛行機を使ってかなりの広範囲の分布状態を,短時間で観察し写真撮影もできるし,AXBT等を使って,その水域の水平・垂直水温分布を同時的に知ることも可能である。人工衛星による海表面の水温分布観測も含めて,これら最新の観測技術を駆使して,特定の水域で集中的に組織的な反復調査を行ったら,水塊の動きと生物の動きの関係について,経験的ではあるが,従来捉えることのできなかった具体的な知見が得られる。これは決して夢ではなく,プロジェクト研究の組織の仕方にかかっているだけである。いろいろな分野の研究者・技術者が1つの目標のために協力して調査研究することに慣れていないわが国でも,今やそうした方向を指向すべきではないか。特に,広い海とそこに積む生物の動的な姿を捉えるにはそれ以外に道はないと思われる。
(企画連絡室長)

Tatsuo Yasui

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