さけ・ます大量培養技術開発研究のその後

佐々木 實



 昭和52年度から56年度までの5ヶ年間にわたって行なわれた,別枠研究「さけ・ます大量培養研究」が終了して既に3年が経過した。実験期間中には,3実験地から継続してシロサケ稚魚の脂鰭と腹鰭を切断して標識とした群と無標識のままの群を大量に放流したが,その時の実験放流魚が現在も3年魚から4年魚に成長して放流地周辺に回帰している筈である。
 ここでは昭和58年度までに回帰している実験放流魚の数と“筈”について報告する。
 このさけ別枠研究の成果の詳細については,「海中飼育放流による稚魚減耗の抑制」の表題で東北水研の昭和52年度から56年度までの報告書に記述されているので参照されたい。
 周知のごとくさけの回帰年令は2年魚から始まり,3年・4年魚が主体で帰り,遅いもので5年あるいは6年魚になって帰ってくる。したがってこの種の実験では,研究期間が終了してもその後のフォロー調査に5年から6年が必要となり,それがなければ研究が完結したことにはならない。表1に実験放流群の回帰年と回帰年令を示したが,一年級群の回帰を調べるのに非常に長い年月を要することが理解できよう。例えば昭和59年秋に帰ってくる魚には,昭和56年に放流した3年魚から昭和53年に放流した6年魚までが含まれており,しかも放流魚が何年魚としてどの位帰って来るかは,必ずしも明確には予想しがたい。
 表2に青森実験地での標識魚の放流尾数と再捕状況を示した。青森実験地の茂浦周辺はさけが溯上する河川がないので,ここでの捕獲方法は海中飼育を行った生簀附近に刺網を張って捕った記録である。茂浦でのこれまでのシロサケ捕獲の記録は,古老や漁業者の話によれば,ガヤ網と呼ばれるメバルなどを対象にしたごく小型の定置に,茂浦全体で年間10数尾が混獲される程度といわれているが,昭和56年11月から12月にかけては,県水産増殖センター職員と漁業者が刺網によって1,200尾,57年の同時期には986尾を捕獲している。もちろん捕獲したこのさけは大部分無標識魚であったため,全数が実験放流魚の回帰とみることはできないが,そのなかに標識魚が172尾混獲されていたことは貴重な事実である。
 表3に岩手実験地での標識魚の放流尾数と再捕状況を示した。岩手実験地の山田湾及び宮古湾周辺はさけの溯上河川が多く,また沿岸定置による漁業が盛んであり,生産量は県内でも有数な場所である。したがって標識魚の再捕数も他の実験地に比べて高い値を示し,昭和52年級群と昭和53年級群の回帰率はそれぞれ1.5%及び1.4%になっている。しかし,それにもかかわらず,この値は岩手県全域の沿岸と河川に回帰した昭和53年から55年の3ヶ年平均回帰率2.69%よりはかなり下廻っており,回帰標識魚の完全な回収の困難さをあらわしている。また,現在,岩手県のさけ生産量は北海道につぐ第二位の位置を占めているが,さけの品質面からみた経済的価値は,北海道のもの(銀毛の度合が高い)より劣っており,ブナの発生率が著しく高い点が問題視されている。
 表4は岩手県沿岸全域に回帰したと思われる実験放流群の推定量を前記の回帰率で求めたものである。昭和52年級+53年級群の推定回帰量は8万尾以上に達したことになる。この実験放流に供した種卵は北海道から入手した早期回帰系群で,沿岸来遊時には銀毛度合の高い魚群とされており,その経済的価値が高いため,さけの品質向上面での効果も期待されている。
 表5に宮城実験地での標識魚の放流尾数と再捕状況を示した。宮城実験地の鮫ノ浦湾は,これまでさけの溯上しない未利用河川をもった湾であり,昭和50年までは年間約40〜50尾のさけが迷い魚として入って捕獲されていたに過ぎない。したがってこの湾でのさけの増殖事業は無く,昭和48年から2万尾程度の放流が試験的に行われていた。その後,別枠研究による実験放流が始められるようになり,表6に示すように,50年以降鮫ノ浦湾と唯一の河川である後川で回帰さけが捕獲されるようになった。昭和58年度の鮫ノ浦湾におけるさけの捕獲数は7,000尾弱になっている。
 しかし宮城実験地においては,まだ標識魚を含めた実験放流群の回帰割合が低い。この原因としては,回帰標識魚の回収が不完全なこと以外に,海中飼育技術の不備,すなわち,長期にわたる海中飼育が放流適期を逸する原因となっている,放流に供した種卵が距離的に遠い北海道産である,などの点が挙げられている。
 以上各実験地ごとに,標識魚の再捕数と昭和58年までに帰った実験放流魚の回帰状況について記述した。
 前記のようにさけ別枠研究の期間は昭和56年度で終了しており,その後は「北海道から本州に移殖したシロサケの回帰現象の変化に関する緊急調査研究」が1年間,別枠研究のフォロー調査として行われたに過ぎない。また人の面でも,別枠研究を支えた青森県・岩手県・宮城県の関係研究機関の職員の全員がすでに他の研究課題に従事しており,研究期間中に放流した実験魚の再捕調査体制は,現状ではほとんど失われている。このことが,前述の回帰標識魚の完全回収の困難さに加えて,実験標識放流魚の回帰率の低下の一因となっていると考えるのは早計であろうか。
(増殖部魚介類研)

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