思いつくままに
佐藤祐二
4月1日付をもって東北水研を去ることになりました。夢にも思わなかった部署を任されて
不器用な毎日を送って居ります。
中途半端に手がけ・口がけした仕事を多く残してきたことを、特に支所の皆さんには深く
御詫び致します。
いくばくかの荷物を抱えて八戸線鮫駅に降り立ったのは33年の晩秋でしたから、足かけ
25年に達する長い年月を過ごさせていただいたことになります。
悪名?高い臨海プールでカレイを追い回して居りましたから、間もなく藤永私案なる機構改変
案が出され喧喧たる論議が始まりました。いままた行革の波が多少とも水研組織に影響しそうな勢いで
あるのをみるにつけ、つくづく体制問題に随伴したわが支所生活であったと思います。組織問題が
論議になれば真っ先に槍玉に上がるのは支所・分室であって、精神的重荷はこれらの職員に
大きいことは否定できず、たまたま就職した先が支所であるにすぎぬのに、無事安泰、それでいて
時折指導者めく面もあった一部本所の方々に不満をもったのも率直な心情でした。
38年の所内体制の変革(支所の調査体制が底魚一本から浮魚との二本立てになった。
資源部3研も力を割くという話であったが何故か実現しなかった−若い人のために。)に伴って、
沿岸浮魚の調査を担当し、毎年漁期にはできるだけ現場との密着をと心がけ、支所の調査は魚市場の
名物となった程でした。けれども、結局「漁民とともに」の境地が達成できなかったのは、少し
ばかりの教養が邪魔した故かも知れません。「旦那!!旦那のような仕事が一番だな!!」と椰揄を
受けながらの船回りなど、標本船調査に依存し折ふし漁協会議室で蘊蓄を傾けるだけでは知り得ない
漁業の実態に接し得たのも東北水研ならではのわが成果であったと考えて居ります。
8月には在京東北水研OB会(第2回)を開こうという話が菅野さん・八百さん等を中心に
持ち上っており、諸先輩と御会いできることを楽しみにしておりますが、定年制施行も間近く、
ここ数年の中に水研人事も大変動が予想されます。
どこにどうあろうとも東北水研の紐帯は大事にし、それぞれの発展の途を探りたいと念ずる次第です。
ありがとうございました。
前 八戸支所第二研究室長 東海区水産研究所 数理統計部長
Yuji Sato
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