心残り
阿部眞雄
昭和56年9月、上野駅で同僚の見送りを受けながら、異様な圧迫感と不安感でのどが
カラカラだったのを思い出します。あの日から2年6カ月を過ぎた昭和59年4月、今度は
仙台駅で叫びたくなるような寂寥感に襲われました。2つの情景はまことに対照的で今でも
私の中を駆け巡っています。
東北水研は短い期間でしたがいろいろのことがありました。それは楽しいことばかりでは
ありませんでしたが、過ぎ去ってみると皆バラ色に脚色されて心暖かく思いだされます。塩釜での
心残りと問われれば、それは沢山あります。蔵王の樹氷、十和田湖の紅葉、それに栗駒登山はと
いうと機会に恵まれませんでした。松島湾に観た中秋の名月の素晴らしさは忘れられません。
心残りと云えば国鉄塩釜駅ホームに掲示されている名所「東北区水産研究所」の由来です。
どういう経緯から東北水研が名所への仲間入りすることになったのか興味を覚えました。
常識的に名所といえば景色や古跡などで名高い所となっていますので、日本三景の松島や、
奥州一の宮の塩釜神社は当然でしょうが、それと肩を並べている東北水研の存在は些か奇異に感じ
られました。国鉄の名所案内に東北水研を持ち込んだ発送は只者の仕業ではないと私の興味は
広がります。勿論、1人の力でできるものではないでしょう。あるいは、仙台にも青森にもない
東北唯一つの研究所に塩釜市民の誇りと力強い支援を伺うこともできます。あるいはまた、
漁業関係者が漁業経営の飛躍的な向上を夢見て、世界有数の漁場とその調査研究にあたる東北水研に
大きな期待をかけた象徴とも思えます。想像を巡らせば限りはありませんが、その真相は是非探って
みたいと思っていました。
東北水研のますますのご発展を祈念し、ご指導ご交誼をいただきました皆さんに心からお礼を
申し上げます。
前庶務課長 南西水研 庶務課長
Masao Abe
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