近海浮魚資源の漁況経過(昭和58年)

佐藤 祐二



 58年の東北近海における漁況を,ごく簡単に要約すれば,マイワシの引続いての豊漁,マサバの低調,スルメイカの低迷,アカイカ流し網の盛況,サンマの予想以上の好調という点があげられる。相互に海域調整が済んでいるはずの大目流しと沖合イカ釣り漁船の漁場利用をめぐるトラブルがあったり,開発が進む筈の沖合サバの探索が空振りだったり,人間臭い思惑も随所にちりばめながら漁期も終った。主要魚種の経過を簡単にふり返ることにしたい。
 マイワシ:とに角大漁であった。北海道釧路沖の漁場では7月〜10月の漁期中累積漁獲量は98万トンに達した。流通上の問題もあって運搬船の使用を制限するなど規制に規制を重ねてなおこの数量である。一方、常磐〜三陸近海でも年はじめから好調な漁況が続いていて,夏には八戸沖が主漁場になったり,時にはサバ を兼業したりを重ねながら,年間150万トンとはぼ前年並以上に達する漁獲があげられた(漁獲物の主体は16〜17cmの中羽群の比率が圧倒的に多い)。
 本年も日本周辺のマイワシ漁獲量の記録更新は間違いないところである。昨年以来エル・ニーニョだ,産卵量の減少だとマサバ資源の動向をめぐる論議が盛んである。全体として60〜65年頃に何かの変兆があるとの見解は一致しているが,その内容については議論百出である。マサバ・カタクチイワシ等の動向を見ながら,恐らく59年漁期には次第に論議の決着があるものと期待している。
 マサバ:前年からの残留群を漁獲する銚子沖のまき網漁場の好況で蓋を開けた。久しぶり(10数年ぶり)に房総沖にたも抄い漁場が形成されたことにみるように,銚子近海に魚群の停滞があって,1月中に約5.5万トンがあげられた。魚体は32〜33cmモードの中型主体大型まじりである。
 業界の要請もあって,東北沖合のサバ群探索が海洋水産資源開発センターによるまさ網チャーター船によって行われたのであったが,殆どみるべき魚群に遭遇しなかったという。八戸沖の秋漁の開始が9月15日で低調ながら漁獲が続き,11月には1夜で2万トン以上をあげるという好調な漁獲をあげているが,以前から問題になっていた夏季におけるマサバの存在様式が改めて問い直されざるを得ない本年の漁況の経過であった。主漁場である八戸沖では漁期中約17万トンがあげられ,南下して銚子沖の漁場では7万トン,合計25万トンという線が本年の成果であったが,全体として昨年に続き低い水準に終始した。
 スルメイカ:冬生まれ系統群を中心とするスルメイカの漁況は本年もいぜんとして低迷の中に終った。
 8月の一時期に八戸沖でやや好転の兆しをみせ期待されたのであったが,これも永続きせず少数の船(4〜5隻)による少量(20〜30ケース)の漁獲が秋まで細細と続くという状況ではあったものの全く好転しなかった。三陸の主漁場である岩手県下でもほぼ同様の経過であったし,道東海域への北上スルメイカ群の数量も期待外れに終った。昭和55年に一時的に漁況の上向きもあったのだが,とにかく太平洋のイカが幻になってから15年を越えた。ここらで回復の兆しを掴みたいと願望するのはイカ・ソーメンの味を覚えた地域住民だけではなさそうである。因に八戸港の水揚量は2.4千トン,釜石港のそれは0.5千トン(釣り)0.1千トン(定置網)という状況で見る影もない。
 アカイカ:57年頃からの現象であるが,総漁獲量の中の比率は,釣りによるものに比べ,流し網によるものの比率が次第に増加しつつある現状である。イカ流し網船の操業範囲は今や日付変更線を越え,汎太平洋的にすらなっている。西側の比較的近海(といっても165゜E位まで)を漁場とする釣り漁業の漁獲は相対的に比率を減じており,手許に資料のある11月までの分を比べても,生鮮漁獲物(釣りによる)は57年の7,182トンに比べ,58年は3,570トン,冷凍品(この中で流し網によるものが60〜70%を占める)は,57年44,969トンに比ベ58年51,415トンとなって,漁業種ごとに対前年比率が逆転するといった状況が明らかになった。
 以上,主な魚種の58年の漁況の経過である。
 サンマについては,合計23万トンと,前年の17万トンを大きく上回ったことは周知の通りであり,また漁期前半の大型魚はかなりの比率で寄生虫Pennella Spをぶら下げていた等の特異点もあった。
 しかし,詳細については他の著者が述べるであろうから,ここでは触れない。
 その他,二,三の特徴点については次の通り列挙される。
(イ)春から夏にかけてイサザ(オキアミ)及びイカナゴ抄い網漁が岩手県南部から茨城県にかけて活況であった。本年春は親潮系冷水の接岸が強く,各県沿岸に好漁場の形成をみた。茨城県の例だと2月・3月が漁期であるコウナゴ漁が8月まで持続されたということである。
(ロ)具体的な資料としては取りまとめていないので大変感覚的な話ではあるが,58年にはマサバ当才魚の生き残りが近年になく多かったのではないか? 57年までは殆どマイワシを対象にしていた各地沿岸の遊漁の対象が,58年には殆どマサバに変った。また,八戸沖のマイワシ漁獲物へのマサバの混獲も例年になく多かった。
(ハ)各地の定置網や沿岸の小あぐり網で,カタクチイワシが次第に勢いをとり戻しつつあるように思われる。
 例えば八戸近海では15トン階層の2そうまきあぐり網が4〜5ヶ統着業しているが,これらの漁獲物は夏以降殆どカタクチイワシで占められ,前年までのマイワシ主体の状況から次第に変貌しつつあるようにも思われる。これが,前記の60〜65年に予想される変動とどう関連するのだろうか。
 陸奥湾や津軽海峡でも資源回復の情報がある。
(ロ)、(ハ)は今後の浮魚資源の動向と関連して重要な情報と考えるものである。
(八戸支所第2研究室長)

目次へもどる

東北水研日本語ホームページへ戻る